自ずと湧き上がる「反省」じゃなきゃ、意味がない
同僚があるカジュアルな議事録で「(私が担当する)***の件の反省がメイン」と書いた。
その文言になんとも言えない気持ち悪さを感じて、ふと考えた「反省」という言葉。この気持ち悪さの原因は何だろう。
そもそも「反省」という言葉がネガティブに思えるから?(印象・定義の問題)それとも、そもそも***の件については改善プロセスの途中であり、決してネガティブなものでもないのに、「反省=ネガティブ」というふうに設定されたから怒っているのか?(ネガティブや失敗の定義の問題)それとも同僚にそんなことを言われたくないから?(人の問題)
改めて「反省」という言葉を調べてみる。
>反省(はんせい、英: reflection)は、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。出典元:wikipedia
ここで気になるこの言葉「何らかの評価を下すこと」。
誰が「評価を下す」のかー
これが問題だ。
-「自分でも本当に反省しています」
-「ちゃんと反省してるの?」
この二つのコメントを読んでどう感じるだろう。前者が「自分で評価を決めた=それを改めようとした=反省」というパターンに対して、後者は「人が評価を決めた=それを改めようと強制づける=反省」というパターンである。
自分で決めたことではなく、人が決めた評価に対しての気持ち悪さが残る場合は、最初にすべきは「反省」ではなく、今起きたこの事象は「良くなかった」のかどうかのすり合わせである。
そもそも、ある事象に対する評価が違うのだから、いくら「反省しろ」と言われても改善されるわけがない。だって、本人は「良くなかった」と思っていないのだから。「反省しろと何回言っても治らない」そんな言葉を発することが多い方は、事象の認知の仕方・見方をもう一度整理した方が良いかもしれない。
人間は自分がやりたいこと・自分が認めたことしかやりたくないモノ
だとすれば自ずと湧き上がる「反省」じゃなきゃ、意味がないーのかもしれない。
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