見出し画像

初投稿 スポーツをD.I.Yする?-vol.1


祝!!!

どうも、MLA+研究所 上級常成士(Exective DReconstructer of Works)研究員の西田です。
当研究所のnoteが開設されました!(パチ\/パチ\/パチ)
すでに所長は連続で執筆しておられますが、所長以外のメンバーも書きたいことがあれば書いていこうという場になっているので、私が試しに書いてみることになりました(できれば連載かなぁとか言いながら、できるのかしら?)。
最初のテーマは、どんなテーマにしようかとあれこれ話すと、やりたいことは結構出てきて(趣味全開ですが、そのうち徐々に明らかにされていくかもしれない)、その中で、我々があまり触れたことがないテーマが一つ浮かび上がってきました。それはざっくりいうと「スポーツ」です。社会教育関係だと社会体育がありますが、なんでスポーツの話になったのか?、タイトルの「スポーツをD.I.Yする」って何?とか、ことのはじまりから書き起こしてみましょう。


思索への道は突然に

「妹が病気でなかなか体育の授業に出られないんです。実技教科なので参加しないと評価の対象にすらなりません。本人もどこか体育の授業については諦めている感じです。そういった子に対しても新しい評価基準があればいいのにと思います」。
ある時、私が担当する授業で教職をめざす学生から、こんな趣旨のコメントをもらいました(私の方で多少表現などは変えています)。
私の専門は教育行政学なのですが、こういうコメントから行政や法制度についてよく考えます。このコメントを読んで頭には色んなことが浮かんだのですが、当時うまくまとめられなくて十分に応答できなかったなぁ、と先ほどの話し合いの中で思い出しました。そして、よくよく考えるとこれは学校教育だけの話ではないな、とも考えていたので今回書いてみようとなりました。これから書くことは、あの時できなかった私なりの応答でもあります。

さて、今回はコメントに沿って少し私の学校体験も交えながら、体育ってどんなイメージかを整理してみます。
コメントでは妹さんが病気のために、体育に参加できないということでした。「何かの事情で授業に参加できない」ということは、誰しも遭遇する可能性がありますよね。そうしてふと次のようなことを考えました。

私は体育は好きな科目でしたし、スポーツ関連の進路に進みたいと思ったこともあります。人並み以上には、運動ができる方だったと思います。その意味では、特に自身が体育に参加できないことで悩む、ということはなかったでしょう。ただ、スポーツをする中で、いくつかの故障も経験し、その間何もできないという時間はすごく苦痛だったことはあります。また、アニメや漫画の中でよく病弱なキャラクターが体育館や運動場の端っこでポツンと座って見学しているシーンを見かけることも連想しました(寂しそうだったり、羨ましそうだったり、開き直ったりしながら同級生が動いているのを眺める色々なキャラが浮かびます)。

その人や周囲の状態・環境によっては、どうしようもない場合があるだろうし、悩んだりもしたけど今は折り合いをつけているという人もいるかと思います(別の楽しみがあるならそれはそれでステキなことです)。その一方で、せめて機会がゼロという状態からは脱せられないだろうか、限られた時間や身体的可動域の制限があっても身体を動かすって楽しいなとか、身体が動かせなくても何かしらの参加ができたとか、そういったことが実感できる授業があるといいな、と個人的に思うところもあります。
ここまで考えたときに、体育の授業に「参加できる」or「参加できない」を分かつモノってなんだ?ということが気になります(この基準は何に重きを置くかで、色々なことが問題として立てられそうです。またどういう状態を「参加」というの?というツッコミもありえますが、少なくとも体育の中で行われるスポーツを「一緒にプレイ(PLAY)する」ということくらいでとどめておきます)。
そうすると、例えば今回の話だと病気や体質といった「体が弱い」ということが、実は参加のハードルを上げている。逆に言えば、「体が強いor弱くない」ことが参加するための条件の一つになっている。このように二分するだけが問題の立て方ではないけれど、この前提を考えることで参加のハードルを下げる方策が見つけられそうな気がします。
少なくとも私が知っている体育のイメージの大半(もちろんすべてではありません)は、「健康体」である人間像を前提にしていて、その前提に合わない人がいた場合「仕方ない」ので、不参加ということになってしまっているなぁ、と振り返ってみると思い当たることがあるのです。そこには、自分自身おそらく「運動ができる」側にいたことで気付かなかった、あるいはモヤっとはしてたけど深く突っ込めてこれなかったという自省もあります。そして、ちょっとでも何か変えられる「仕方のある」話しができるアイデアはないもんかね?と思い至ったわけです。学生のコメントに「新しい評価基準」という言葉がありましたが、それとも関連することだと思います。


そんなこんなで連載になる

まったく本題に入ってねぇな、と思いつつ、だいたい1記事の文量は2000字くらいということだったので、落語でいう「まくら」と思ってください。ここまで書いて、連載記事になるという結論になりました。といっても何回できるかなぁ・・・。
とはいえ、次回以降書いていくことになるのは、私の中にある「体育」観や「スポーツ」観をどうアップデートするのかということです(私はこういうのを某漫画にあやかって「分解と再構築」と呼んでいます)。これは、既存のやり方以外のものを新しく生み出すよりも、既存のものの「アレンジ」だったら何とかならねぇか?という話で進められたらと思っています(無から有を創造するとか、0を1にする、というのは簡単なことではないので。とはいえ、アレンジによって生まれるものは、何か「新しい」かもしれません)。つまり、既存の体育の授業をどうアレンジできるんだろうか?ということです。
こういう営為を所長が「知のDIYだね」といったので、仮に「知のD.I.Y( Do It Yourself)」と呼ぶことにします(日曜大工、いいですよね、私そういう機械いじりとか工作も大好きです。「知」は何を英語に充てるのがいいのでしょうか)。さしずめ、当研究所は工房やラボということです。ということで、この手の話は今後「知のDIYシリーズ(仮)」と称して、他の所員からも執筆されていく事になる、かもしれません。
それではまた次回。それほど間隔を空けずに書けたらなぁと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?