川上未映子と永井均の反出生トークイベントに行ってきた「反出生主義は可能か~シオラン、ベネター、善百合子」

 川上未映子『夏物語』の刊行記念イベントに行ってきた。『夏物語』が一部反出生主義を扱う内容なので、今回はそれを主題に据えた対談式のイベント。反出生主義というのは「1%でも苦しむ可能性があるなら、子を産むことは(苦しみを感じる可能性を含む存在を生むことは)道徳的におかしいのではないか」という観点から、子どもを産むことに反対する思想のこと。
※シオラン、べネターは反出生的立場を取っている実在の哲学者で、善百合子というのは『夏物語』の作中で反出生立場を表明している架空のキャラクター。
 
 反出生についての初学者向け講義(+議論)といった趣で、とても分かりやすかった。
 会の始まりが「川上さんが永井さんに質問をする」という始まり方をしたから、以降も川上さんが質問して、永井さんがそれを受けるという形でずっと進行していたように思う(川上さんが永井さんを「永井先生」と呼ぶ関係性も関わっているのかな)。

 まず最初に永井さんがベネター的反出生主義で使われているロジックを図にしてホワイトボードに書いた。

 幸福を感じる存在を生み出すのは当然良いことだから○(当然とはなんじゃいという話は取り敢えず置くとして)。不幸を感じる存在を生み出すのは良くないので×。幸福を感じる存在を生まないことは、良くはないけど決して悪くはないので△。不幸を感じる存在を生み出すのは良くないので×。
 こうして表にした時、「生む」という選択には×がついてくるのに対して、生まないには×がつかない。だから生まない方が良いはずだ。というのが反出生で用いられる基本的な論理だ。
 ここにはちょっとした落とし穴があって、決して「生まれる・生まれない」でなく、「生む・生まない」という選択肢でしかあり得ないということ。例えば芥川龍之介『河童』には生まれる前の河童が「生まれる・生まれない」を選ぶ場面があるのだけれど、そんなことはあり得ない。今後科学が発展して「実は受精卵には意識らしきものがあった!」ということになってもあり得ない。なぜなら「その価値判断を行うことが出来る意識が生まれる前」というのが常に想定し得るからだ。生まれる前の存在に向かって「生まれるか?生まれないか?」と問うことは出来ない。そもそも問う対象それ自体が無なのだから。もし生まれる前に予め解答を持つことが出来るならば、もはやそこには存在が(或いは価値判断基準を持つ意識が)あるということになる。だから存在が、一つの開闢が生じるということは、生まれる存在そのもの以外の意志でしかあり得ない。

 その後話は「道徳的価値基準」は僕達が共有しているゲーム盤を成立させる大前提だから最強だけれども、それはゲーム盤の外にいる「これから有になる可能性を含む無」には適用され得るのか、という反出生に対して比較的批判的な立場についての話に移っていく(トークイベントなので話はあっちに行ったりこっち行ったりで、他にも色々挟んでいるのだけれど)。
 そもそも価値基準というのは僕達が住んでいる世界、即ち開闢後の世界で初めて通用するルールであって、無には価値もへったくれも無いんじゃないのという話だ。だから、生まれるということそれ自体に、既に生まれた人間だけが使うルールによる価値基準は適用されないのではないか。価値基準は無が有になり、その唯一つの世界の中で初めて形作られるものであって、今この瞬間無であるものに対して別世界の僕達があれやこれやと価値判断を行うことは、問い自体の間が抜けているのではないか、という話。

 生まれる前から「生まれることは不幸になるリスクを含む」という価値基準が存在するのではなく、生まれて初めて、生まれる前から「生まれることは不幸になるリスクを含む」という価値基準が存在していたということに、今この瞬間なった。ということもあり得るだろうか。青い鳥が冒険を終えた後で「元々青かったということに今この瞬間なった」ように。

 録音出来なかったから、参照するもの無しで書いています。だからここに書いていることの一部は、2人が話していることを聞いて僕が勝手に考えたことです。特に青い鳥云々のくだりは実際の議論では全くしていなかったはず。

 川上さんの立ち振舞とか、雰囲気が小説から受ける印象そのままで「こんなにイメージ通りなことってあるんだ」とびっくりした。パタパタしてて、ハキハキしてて、かわいくて、かっこよかった。
 あと2人の間に設置してあるテーブルの長さが足りなくて、テーブルの上の飲み水が取りにくい状態だったのだけれど、途中から永井さんが飲みやすいように自分のコップをホワイトボードのペンとか置く場所に置いてて面白かった。置いてるってことは安定しているんだろうけれど、水の入ったコップを置くにはホワイトボードのアレはちょっと不安だと思う。本来水の入ったコップが絶対に置かれないであろうホワイトボードのアレに、水の入ったコップが鎮座しているという倒錯がめちゃくちゃ面白かった。そういうどうでもいいことが妙に気になって、面白がってしまう。

楽しかったなあ。


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