浮気について

 タイムラインに浮気された女が、男を寝取った恋敵に土下座させ頭から酒をかけている動画がちょくちょく流れてくる。けったいな、と思う。こんな人もいるんだなあ、と思う。その後で、世の中というものについて思い巡らすと、皆暇なのか知らないが、著名人から知り合いのそれに至るまで、姦通の話題で持ちきり。あまつさえ、飯の種にする人間がいるくらいである。政治家の能力評価に使われることもあるし、それは単なる個人的な心情以上の意味合いを持っているらしい。
 浮気。そんなに嫌なのだろうか。ステレオタイプに浮気を嫌がる根拠を考えると「おのれ以外の誰かと深い繋がりにあるのが許せない」というところだろうか。しかし、親兄弟友人関係に対する嫉妬の例がニュースになることはあまりない。これは一体どういうことだ。おのれ以外の誰かと深い繋がりにあるのが許せないならば、それら全員引っ張り出して酒ぶっかけたらええやないか。それは違うのだろうか。
 僕は他者への感情に対して意図的に離人しようとする傾向があるから、なんとか社会生活をやっていけているけれども、自分が好きな人間が自分に出来ない話をこの世界のどこかでしているという事実が、時々強い寂寥と共にやってくることがある。なぜ俺ではないのか。俺はお前の親友ではないのか。だがこの世界の誰もが、親友にさえ見せられない、というか、それぞれの他者に対してしか構造的に見せられない面というものを持っている。ある一人の人物におのれの全てを開示することなど不可能だ。例えば、僕とお互いに好きあっている誰かが、誰かにいじめられていて、その加害者に並々ならぬ怨念を抱えていたとする。僕はその怨念を手に入れることは出来ない。その怨念は、その加害者へ向けられたものであって、絶対僕のものになったりしない。
 或いは、僕が好きな誰かを独占するために、その人間と関わったもの全てを破壊し、滅したとしよう。もしその人間がかつて、海とか山とかに「綺麗だなあ」と思ったなら、それも破壊するとしよう。で、全く真っ白けになった世界で2人きりになってみても、かつて相手が好きだったもの、こと、その記憶は未だこの世界に存在している。そして自我とは記憶の連なりであるのだから、それを滅してしまっては最早僕の好きな相手ではなくなっているのだ。だから本質的におのれは他者を独占できない。不可能なのだ。
 こうして僕は僕なりに浮気・姦通ということについて考えてみて、世の中がこの理屈で浮気を嫌っているわけではないと気づく。「誰かを独占したい」というのは単なる建前であると気づく(本人の意図しないところあれ)。浮気を嫌う人間が先に僕が説明したような思弁と同じ経路を辿って浮気を嫌っているとはとても思えないではないか。トリフィドの日。君と僕だけがこの宇宙に取り残されたとしても、絶対に君は僕のものになったりしないという事実を切実に思って浮気を嫌っている人間など、いないのではないか。
 となると、一体あの人達は何を厭悪してああも情熱的に右往左往するのだろう。僕にはその情熱の正体が分からない。どうせ独占出来ないのならば、何人と浮気しようが同じであるし、友達付き合いと違いがあるとは思えないのだが。例えば、恋愛と結婚が結びついている故、恋敵が現れると遺産の相続とかその他金の問題、生活の問題で厄介事が生じるからであろうか。或いは、もっと生理的な部分、本能とか、肉体の要請によるものだろうか。或いは、もっともっと人間関係の根本的な部分、「相手が自分に興味を失っていることが恐ろしい」だろうか。
 浮気の社会的な意義について言えば、これは時間と共に意味を失うだろう。精子提供を受ければ女性一人で子どもが産める。男女の収入差も年々縮まっている。女性の社会的地位の向上と共に、結婚の意義は薄らいでいくし、それと同時に異性愛規範の解体も進むことだろう。恋愛と結婚が解体される。結婚が単なる生存同盟になる。そうなればいよいよ浮気は個人的な思想以上の意味合いを失う。
 科学のことはよくわからない。
「相手が自分に興味を失っている」はどうだろう。これは別に恋愛に限った話ではないだろう。ということは、やはり浮気とは相手のあまねく興味を独占したいという理屈であって、僕のように海も山も破壊するのだろうか。それは結構、我ながら破滅的で美しい考え方だと思う。海が好きな恋人のため嫉妬に狂った君が、爆撃機か何かで大量の酒瓶を海へ向かってばらまくのだ。そうして海はアルコールでいっぱいになった。沢山の魚が、甲殻類が、サンゴが、海藻が、あっぱらぱあになって踊った。「なんてことを」と君の恋人は怒るだろう。愉快に、病的に踊る海を見てがっくりすることだろう。これは全く愉快なことではないでしょうか。ああ、でも君は海が好きなあの人を好きになったのかい。それは、もったいないことをしたねえ。もはや、海はアルコールの鼻をツンと刺す匂いでいっぱいだ。もうあの潮風は帰ってこないんだ。海鳥も、いまや牧水さえ笑ってしまうくらい、ふらふらと飛んでいることだよ。

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