「基本的には人は変らない。」←とある師範代の一言です

自分には社会に放り出されてからの15年で、10人近い喧嘩別れした人々がいる。

「オレ(あたし)は忙しいんだよ!逐一五月蠅いお前を助けるほど暇じゃねぇんだ!」

ほぼ全員、何かにつけ忙しい状態でいる事を好き好んでいて、何も出来ない(筈の)自分に何ができるんだと文句を吹っかけ、必ず迷惑面してくるというのが定石。不思議な事に何故か知らんが、「自分で自分を勝手に忙しくする(某親友の形容曰く)」事が素晴らしい事だと全員、勘違いしているんだよねぇ…で、「無能なお前に何ができるんだ?」と詰るのもまた、全員の定石で。

そして「可哀想なオレ(あたし)をどうか皆さん、暖かく接してクダシャイ!」と嘆願し、全く意味のない慰めコメントとやらを(「可哀想だね、受け入れてあげるよ」と建て前でも書いてゆく連中もイミフ)SNSで頂戴する、というまでのセオリー。もう、十数年も同じような現象を視てたら、出会う人には「あ、この人とは問題が起きるな」という直観がFIRST IMPRESSIONで働く。

トラブルになった人達は全員SNSにドップリだったし、全員が生の人間関係を嫌ってた。

そもそも、何故そんな人達と仲良くしようと想うのか?

それは全員が人気稼業の虚業に夢中になって、「芸能人になってお金持ちになりたい!」軽薄な願望に飲まれて起きた「薄皮一枚の人付き合い」に終始する。人間的に面白くない人とは付き合えないという、当然の道議だ。

人気稼業の寿命は3年。それでもアイドル稼業を続けたいのであれば、風俗やヤクザに近い事をやっていかなければならない。「否!ワイはゲイジツカになるんやでぇ!」然り。でも芸術家は死んで初めて芸術家になるのであって、その事が解らなかった人達と仲違いはいつも起きていた。

で、そんな喧嘩別れした人間達と、大病の克己がてら復縁するかと想ってるが、大きな病気にもなってないしケコーンシュサーン経てもいない人達は何も変わってないのであって。

「壁ぶつかって正気取り戻す人もいるが大抵、元の木阿弥」は正論であって。

というか大抵同じような衝突を他の人とも、しでかしてるのであって。

だから、復帰したもののこちらから話しかけるのを辞めてる人達でもあるのよね…。

「質問に答えろよ、何で俺を呼んだんだ」

「別に…ただ、遭えばなんとなくわかるかなって」


劇中、喧嘩別れした2人の登場人物の、印象的な対話。青春時代の絶縁の間柄でも、久しぶりに遭う事で復縁もあったのかもしれない、という演出は、解らなくもない…

そういうわけで、喧嘩別れWEB2.0、絶賛体験厨な読者には「タイムレスメロディ」をお勧めしまふ。


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