拓けインターネットの大沃野

 新しいものに飛びつき、情報収集をし、判断評価を下すひとたちのことをイノベーター理論という消費者分析では「アーリー・アダプター」という。流行りものに敏感で、お気に入りを喋りたくてうずうずしてるひと、くらいなイメージだ。消費者の13.5%にはこの傾向があるらしい。

 PC98とMac、そしてそれらを売るパソコンショップが作り上げてきたパソコン市場は、Windows95とIntelのCPUを積んだパソコンとロードサイド型の大型家電量販店に席巻された。一家に一台パソコンがあり、インターネットはたちまち大衆化した。圧倒的多数の消費者の前に、インターネットの「常識」や「エチケット」を説こうとしたフロンティア的住民は無力で少数だった。かつて「初期インターネット住民は満蒙開拓団」と表現していたひとがいて、言い得て妙だと思った。満蒙開拓団は日本の敗戦と共に悲劇的結末を迎えたが、インターネット開拓団はインターネットの普及に伴い、様々なコミュニティを失っていった。一つの面白いサイトができてそこにオタクなりアーリーアダプターなりが集うと、そこがたちまち大衆化されて消費されてしまい、再び別のサイトへ追いやられていくというサイクルだった。ぁゃしぃわーるど、あめぞう、2ちゃんねるのような掲示板、プレステやサターンのゲーム攻略サイト、同人作家やゲームイラストレーターの個人サイト、いろいろなところでコミュニティは分化し、生成と消滅を繰り返した。かつてはmixiもその役割を果たしていたのだ。

 インターネットは3つのカテゴリで形成されている、というのが当時の認識だったようで、3つとはWeb、email、NewsGroupだった。このうち、時代遅れになったのがNewsGroupで、Web掲示板にその役目を取って代わられた。テキストしか表示できず、画像やプログラムはバイナリデータ化することでやりとりすることも出来たが、Webの操作の容易さや視覚的なわかりやすさに太刀打ち出来るものではなかったし、そもそもNewsGroupには技術的発展の要素はともかく、そんなことをしようとする情熱を持った人材がほとんどなかった。初心者に優しくというのは悪徳であり、自学自習して自ら身に付けろというスタイルの人間が多かった印象がある。結果的に、防大な初心者を取り込めず、インターネットの普及と共に廃れていくという奇妙な運命を辿ることになった。今ではほとんどのプロバイダサービスがNewsgroupのサービスを提供していない。

 当時のNewsGroupの投稿にはWebサイトなんて…という、愚痴とも怨嗟とも悲嘆ともつかぬ感情が滲んでくるメッセージのやり取り、最低限の良識と節度を持とうとしてるけど、それでも相手に苛立ちや蔑視の感情を隠せない殺伐とした、それでもNewsGroup以外の行き先が見つからない住民たちの置いてけぼり感漂うコミュニティと化していた。大学図書館の片隅にはインターネットコーナーがあり、10台設置されたパソコンは利用者が3人ほどで、毎日いるのは私だけだった。大学でコンピュータとインターネットの学生勉強会をやった時に、他の大学のコンピュータ環境を見学させてもらったりもしたのだけど、東京の大学ではインターネットコーナーに行列が出来ていたりとか大盛況だったのに、うちの学校では当初利用を目論んでいた理工学部やら経済学部やらが新設のキャンパスに移転してしまい、当時としてはコンピュータ利用に縁遠そうな文学部だの法学部だのが残留していたので、図書館の空席を探す司法試験等の受験勉強組からの目線が痛く感じた時もあった。

 NetscapeでWebをブラウジングし、攻略サイトやアンダーグラウンド情報サイトなどをひと通り読むと、次はチャットだ。Webチャットのシステムはまだこの頃開発されたばかりで、個人ホームページのサービスにはチャットシステムを搭載するところが多かった。それだけ見知らぬ誰かとのコミュニケーションを求める人も多かったのだろう。今なら出会い系になるのかもだけど、当時はこのシステムをマネタイズするためには、物理的にも人員的にも貧弱だった。多くの人を集めると、回線とサーバがつながりにくくなったからだ。

 何のチャットだったのかはわからない。私がよく喋っていたのは九州と東京の学生の3人で、ここに香港在住とボストン在住の学生という2人が加わって、日英中の言葉が混ざり合った会話をしていた。チャットはHelloと好で始まり、自分たちしか通用しない隠語や符丁が作られた。中国共産党を北京賊と称して、略して北賊。香港人が北賊是不好、という時はたいてい香港で共産党のエライさんがろくでもないことを喋った時で、そのうち全員、北賊是不好とつけてどうでもいいことを愚痴りだす習慣がついた。ボストン在住の学生がクルマを盗まれた時も、東京の学生が彼女に振られた時も、私の母校がアメフトで京大に負けた時も、全て​北賊是不好から始まった。

 この頃は六四天安門事件と香港返還の熱冷めやらぬ頃で、江沢民総書記はriver valley people、略してRVPとニックネームがつけられた。小平 talk RVP in 上海,と言えば、鄧小平が上海に江沢民呼びつけて説教かました、という意味だ。香港人はこれをRobot-VIPの略、つまり鄧小平に操作されてるVIPだとも言っていた。Iがないよ?というと、RVPにはIntelligence必要ないからIはいらない、と返してきた記憶がある。

 日本の学生は全員エロゲーオタクという、撤退も進撃もままならないラバウル守備隊みたいな連中だったので、当初飛び交うのはエロゲーの話題が多かった。DESIRE、EVE burst error、雫、同級生2、ドラゴンナイト4、この世の果てで恋を唄う少女YU-NO、鬼畜王ランスなどが流行りで、特にYU-NOと鬼畜王は眼の色変えて攻略していた。YU-NOのロジックパズルを一番早く解いて、解けずにゲームが進んでいなかった二人に正解を教えた覚えがある。YU-NOはDESIRE、EVEを手がけた剣乃ひろゆきが、当時エロゲー業界のトップ企業だったエルフに移籍して手がけたタイトルだったため、オタク的には夢のタッグで、セールスも内容評価もPC98のエロゲー史上最高と言われた。日本人だけならエロゲーだけの話題で終始していたが、外人がいる時は政治、漫画、アニメ、ゲーム、スポーツ、いろんな話題が飛び交った。

 そんな5人で楽しんでいた場所も、普及に伴い色々なひとが来始めた。

 学生だけじゃなく、社会人たちが来るようになり、彼/彼女たちはやはりチャットのイニシアティブを握った。私たちはオープンでは符丁を使わなくなり、エロゲーや政治の話題を自粛するようになった。これは、私たちが追い出されたとかそういうことを意味するわけではない。メッセンジャーやIRCのようなメッセージチャットが開発されたため、私たち5人はそこに潜ったのだ。オープンなチャットで、ついていきにくい/立場のわかれる話題をしては新参のひとたちはやりづらいだろう、じゃあ自分たちでもコミュニティを持とう、そう思っていた。

 しかし、ある日オープンチャットの掲示板を見て驚いた。

 私たち5人が隠れて新参の悪口を言っている、と書かれたのだ。管理人はそれに反論した。IRCでやり取りしているだけで、それは誤解だと。しかしそのユーザは頑なに、5人は悪口を言っている、表で言えないことをなぜ隠れて話すのか、というのを繰り返した。私も今のチャットはいろんなひとが来ているので、表に出しづらい趣味の話題をIRCでしてるだけだし、そういう話題に興味が有るのなら来てもらえばいいのだからとフォローした。しかし、聞き入れてもらえなかった。感情的なやり取りには付き合いたくなかった私はオープンには出なくなり、管理人もめんどくさくなったのか、HPの更新をしなくなっていった。私たちは疎遠になり、メールで近況などをやりとりしていたが、バイトや就職活動などの多忙でメールも来なくなった。卒業が決まり、規模が3倍以上になったにも関わらず順番待ちの列があったコンピュータルームに立ち寄った際にそのアドレスを打ち込んだら、404 not foundとなっていた。

 就職して、秋葉原でパーツを買い集めて初めてPCを自作した。エロゲーとネットがメインなのは変わらなかったが、肩書のついた名刺を持つ社会人という身分である以上、学生の時に持ち合わせていた迂闊さを制御し、感情を抑えて、思考のフィルタにかけてからテキストを投稿する癖がついた。ネットに沈む匿名の深海魚であっても、それは同じだった。

 私たちは心意気こそ開拓団員だったけど、洗練された都市住民ではない。同じ満州の開拓者でも、新京の真新しい住居から満鉄に勤務する都市生活者ではなく、満州と蒙古を区切る遙かなる大興安嶺、その麓に広がる大平原に住む、北賊ならぬ電網馬賊、それが私だった。

 Webの都市化が進み、いろんな住民たちがいろんなネット・ライフスタイルを送るようになる。電網馬賊の私もネットサービスやウェブメディアを始めては辞め、続けようとして挫折し、下手な鉄砲も、というわけで、いくつかのコミュニティでは生き残っている。このkiexというHNは何でつけたんだったか、それさえ覚えていない。リアルで会った時「なんて読むんですか?」と聞かれることにも慣れた。知識と論理に裏付けされた読みやすいテキストとセンスのあるWebデザイン溢れるインターネット社会は住みやすくなり、便利になった。もう私がインターネットでできることなんてないのかもしれない。老いた元開拓団員が昔はよかった夢があったと愚痴っているだけかもしれない。それでも私は、四四式騎銃の代わりにiPadとD600を持ち、背中のリュックにデジタルガジェットを詰め込んでインターネットを彷徨うことにする。だってしょうがないじゃん、電網馬賊だから。




 

 

 

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