2017年映画TOP10

■2017年映画TOP10

■はじめに
2017年に鑑賞した映画の個人的なメモです。

2014年は35本を観賞。
2015年は41本を観賞。
2016年は62本を観賞。
2017年は82本を鑑賞。(週1.7本の計算)
※全て劇場で観た映画です。家で観た映画はカウントしてません。

2017年もストレスフル状態が続いたため、
ストレス発散のためにレイトショーで現実逃避することが多かった。
2015年の2倍を観ていたことになる。自分でもびっくり。

■2017年映画TOP10一覧

①ベイビー・ドライバー
②哭声/コクソン
③ゲットアウト
④皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
⑤アナベル 死霊人形の誕生
⑥バイバイマン
⑦ドリーム
⑧ジャッキー ファーストレディ 最後の使命
⑨アシュラ
⑩ウィッチ

■各映画感想
①ベイビー・ドライバー
冒頭の長回し。もうそれだけでこの映画への期待度が募る。
そのワクワク感は半端なかった。
幼いころの事故により常に耳鳴りに苦しめられる後遺症をおってしまった主人公・ベイビーは
ある事情から裏世界の逃し屋・ドライバーの仕事をしていた。
常に音楽をかけていなければならない生活を送っていた彼は
音楽とは離れられず、音楽を聞きながら運転することでものすごい反射神経と集中力を発揮する。
裏社会、ドライバー、音楽。
私の好きなクライム要素もありつつ軽快な音楽とともにカーチェイスが繰り広げられる。
監督はエドガー・ライト。
「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-」はマイ・フェイバリットな映画であり、
オタクらしさがおしゃれな方向にも大爆発した映画がベイビードライバーだった。
ちょっとした恋愛要素もあり、そのどの要素もとってもエンタメとして秀逸な出来であった。
私が思春期の頃にみていたら、間違いなくベイビーの真似をして年がら年中、
音楽を聴いていていたに違いない。
また、監督自身も幼い頃に耳鳴りに悩まされており、
その経験や様々な本を読んだ結果、この作品の基盤ができたとのこと。
そういうところもかなり人間の人生が詰まっていて良さみがある。

②哭声/コクソン
韓国のサスペンス・スリラー映画。
もといオカルトバトル映画。
警察、祈祷師、悪魔などの疑念、騙し、心理戦が奇妙に交錯し
最終的には誰がどのように騙し、騙され、殺されていくのかさえわからなくなるといったような映画である。
その奇妙さはまるで言葉にできる気がしない。
だが迫りくる事件や奇妙な死に対して緊迫感。
そして最終的には誰が騙しているのかを考えながら観ていると、自然に映画に没頭させられる。
視聴者はただただ騙されて殺されていく人間たちを固唾をのみながら見守ることしかできない。
村人が家族を惨殺する事件が立て続けて発生するという怪事件っぷりもよいし。
森に住まう”日本人”という異物もよい。
そこにキリスト教、祈祷師なども絡み合い、
そのオカルト的な剣呑さはこれまで観た映画ではトップレベル。
個人的には白石晃士監督「カルト」を彷彿とされるようなものがあった。

③ゲットアウト
黒人、白人のレイシズムを交えたホラー映画。
アメリカにおけるレイシズムの細かな秀逸な表現を背景にした白人至上主義的世界のホラー映画。
黒人の身体はまるで白人のためにある、といったようなオチが用意されており、
そのおぞましさは映画でしか体験したくはない
まー詳しい解説などはインターネットに接続して、色々検索してみれば、色々ヒットするだろう。

黒人男性と白人女性のカップルがその女性のご両親へ挨拶するところから物語が始まるのだが、
その実家で起こっていく住人たちの奇怪な行動、言動がすべてオチへの布石になる。
その手探りで何が起こっているかを想像することでどんどんその不穏さに引き込まれてゆく。
また、催眠術よる治療も脳をドライブ感を誘う仕上がりになっており、
なかなか珍しいタイプの恐怖感(催眠術、物理的な縛りの組み合わせ)で視聴者の心を縛っていく。
息苦しさは半端ない。
更にトランプ大統領が当選したことにより、レイシズムの風向きがさらに変わった。
そのためこの映画のラストは黒人主人公が救われるというハッピーエンドに改変したらしい。
(当初は黒人主人公のバッドエンドで構想されていた)
そういう時代背景もあり、私が普段触れられないような感性が大いに刺激された。
面白い映画かは兎も角として、私に新たな刺激を与えてくれたという観点で評価が高い。
また、映画を観終わった後にみた町山智浩氏の解説動画も合わせてみると、
更にこの映画の歴史と文脈がわかる。

※ネタバレ注意※『ゲット・アウト』町山智浩さん徹底解説 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8dQelWu_4U4

個人的にはそういう歴史と文脈があることがとても新鮮に感じたし、
そのような解説ありきで観ると更に映画が楽しめる。
そういうことを再認識させられた映画であったように思える。

④皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
イタリアのクライム/SF/アクション映画。
イタリアでも放送された永井豪原作のSFロボットアニメ「鋼鉄ジーグ」をモチーフにした映画。
イタリアでは鋼鉄ジーグが大人気であることなんて知らなかった。
が、それをモチーフにしたイタリア映画らしい貧困性、暴力性。それとマフィア。
犯罪映画の文脈も踏みつつ、
どうしても犯罪に手を染めてしまう男が「鋼鉄ジーグ」のアニメの世界に没頭している無垢な少女に出会う。
この主人公の男が目も当てられぬくらいのクズで。
ふとしたきっかけで手に入れた大金を何に使用するかというと、
普段食べているヨーグルトを冷蔵庫いっぱいに購入することとアダルトビデオを購入することに使用する。
こんな惨めな男、他の映画では類を見ない。
大金を手に入れたあとお金の使い方さえ知らない。
そんな夢も希望も未来もない男が力を手に入れ、マフィアとのいざこざに巻き込まれていく。
その中で少女の中にある「鋼鉄ジーグ」の正義の心が冴えない男の考え方を変革してゆく。
そいう低い世界から始まる開かれた世界に繋がっていくダイナミズムが非常に楽しい作品である。
「鋼鉄ジーグ」のことを全く知らなくても見れます。
アクション映画としての側面もあり、
偶然超人的な力を身に着けてしまった不幸な?(幸運な男?)のアクションシーンも中々と迫力と見どころがあった。

⑤アナベル 死霊人形の誕生
ホラー映画・死霊館シリーズ『アナベル 死霊館の人形』の前述譚。
死霊館 エンフィールド事件は私のマイ・フェイバリット映画となった。
今回のアナベル資料人形の誕生も負けず劣らずのホラー映画。
封印されていたアナベル人形が夜な夜な子供を誘い、動き出す。
その人形たちのターゲットとなるのが孤児院に引き取られた年端もいかない少女たち。
少女たちの小さな友情の芽生え(百合百合しさ)もありつつも、
基本的には恐怖に翻弄される少女たちのをハラハラしながら見守ることになる。
本作はアナベル人形はなぜ呪いの人形になってしまったか?の前述譚という立ち位置なのだが、
それはこの映画の物語で徐々に明かされていくスタイルとなっている。
なのでこの映画を見ることにより、物語が進められることにより、呪いの人形の発端が明らかになっていく。
その呪いに不幸にも巻き込まれていく少女たちはどのようにしてその人形の魔の手から逃げてゆくのか。
呪いの人形はどのように少女たちの恐怖を増幅させていくのか。
その部分が丁寧に描かれており、かつ、そこには人間のドラマが絡み合っている。
ただ怖いだけではなく、このヒューマンドラマ的な要素がしっかり盛り込まれてこその死霊館シリーズであり、
ジェームズ・ワンの手法が小気味よく反映されている。
個人的には階段を自動的にゆっくり移動する椅子のギミックが見どころの一つ。
また、ジェームズ・ワン制作による「ライト/オフ」で培われた光と闇の加減だけで
恐怖心を煽るような画角・演出も生きているのを感じた。
そういう文脈としても評価すると、
今後のジェームズ・ワンの死靈館シリーズへの期待を更に高めてくれる一作である。

⑥バイバイマン
ホラー映画。
「バイバイマンという名前を口にしてはならない」
「言うな、考えるな」
バイバイマンという言葉を言ったり、考えたりするとバイバイマンがきて殺される。
そういう都市伝説的なホラーに巻き込まれる大学生男二人の女一人。
しかもその三人は家賃などの都合から、都会から遠く離れた屋敷に共同で住むことになる。
そして主人公と女はカップル。
典型的なホラー要素の文脈を踏みつつ、そのバイバイマンという恐怖に立ち向かっていく。
かなり古典的なホラーではあるが、主人公の学生はかなり冷静でバイバイマンに対処しようとする。
図書館でバイバイマンについて調べたり、
バイバイマンという単語をいかに拡散させずに済むかの方法をあれこれ模索する。
バイバイマンというよくわからない呪い(恐怖)になんの能力もない普通の人間が立ち向かう。
あるのは勇気。そしてバイバイマンという逃れられない死の連鎖を拡散させないようとする意思。
その勇姿こそホラー映画の最大の楽しさであり、快楽となっている。
そういうことを改めて気づかせてくれたのがこのバイバイマンであった。
ジョジョで例えると、
なんのスタンド(能力)も持たない只の人間が呪い(スタンド使いのスタンド)に立ち向かっている。
そういうことを想像すると、なんて勇気のある行動なんだ!ということを思い知らされる。
まさにそういうことが映画内で行われているのがわかりやすいホラー映画であった。

⑦ドリーム
伝記映画。
ソ連の人工衛星打ち上げ成功を受けて、アメリカ国内では有人宇宙船計画へのプレッシャーが強まっていた。
それを背景に女性黒人が宇宙開発事業に組みしていき、
その中にある劣悪な労働環境に対しての情景を描いてゆく。
だいぶ史実とは異なる演出がされているらしいが、
それを踏まえたとしても当時の黒人女性への差別とそこを打開していく強い女性の姿はみていて楽しいものがある。
そういうエンタメ性に割り切った創作は大いにこの映画を見やすくしている。
宇宙開発事業という最先端な企業にも差別はある。
だがその能力高い黒人女性に対して”最大限に能力が発揮できる場所”をつくることをいとわない部長がいる。
自然とそういう流れが宇宙開発事業部内でできてゆき、
オールアメリカとして全員が一体となってロシアの宇宙進出に追随してゆく。
目的のために総力を結集する姿もかなり見どころとなっている。
今まさに世界で起きている差別や仕事のやりにくさ。
そこに対してのアンチテーゼ的な側面もあり、非常に共感と好感が持てる映画となっていた。

⑧ジャッキー ファーストレディ 最後の使命
ファーストレディを務めていた頃。
1963年のテキサス州ダラスで夫のジョン・F・ケネディが暗殺された以降のジャクリーン・ケネディが描かれる。
ジェームズ・エルロイのアンダーワールドUSAシリーズを読んでいた。
そのため、JFK暗殺にはそこそこの予備知識がある。
アンダーワールドUSAが裏のJFK暗殺であれば、
ジャッキーワーストレディの映画は表のJFK暗殺の物語。
私の目にはそのように映った。
華々しいホワイトハウスの生活から一転、大統領である夫が狙撃され、そこからの濃密な3日間を描く。
すぐさま次の大統領が選出されると同時にホワイトハウスを出ていかないといけないというシーン。
そういうレアケースな事情を描きつつ、
ファーストレディがファーストレディではなくなる瞬間を描いてゆく。
「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」の映画も観ているのだが、
多角的なJFK暗殺ものとしてまた一つ良い作品に出会えたように思える。
また、当時の映像を交えながら、
かつ、忠実に当時の情景、建物を再現しながらの演出も見事にはまっていた。

⑨アシュラ
韓国ノワール。
韓国ノワールは今まで見る機会がなかった。
が、本作は今後も継続的に韓国ノワール映画を観ていきたい欲にかられた一作になった。
支配者層の権力争い。
支配者にゴミのように使い捨てられるド底辺な生活者の苦悩。
最終的には血みどろな争い。
これらの犯罪性、暴力性を鮮やかに脚本に落とし込みクライマックスの血みどろに向かっていく。
その犯罪性、暴力性のダイナミズムは誰にも止められくことがなく、
視聴者はただただ、この映画の行く末を見守ることしかできない。
その徐々に導火線に火がついてゆくが如くの見事な展開に心踊らされた。
大悪党であり、悪の限りを尽くす市長。
この悪事を暴き、白日の元に晒したい検事集団。
そしてその2つの勢力の間で翻弄させられる視聴の義兄弟(弟分)であり、
悪徳警官(市長の証拠隠蔽や裏工作などの実働部隊)の刑事。
この三竦みが本当に面白い。
それぞれの視点、それぞれの思考、それぞれの思惑がわかりやすく提示されるが、
どんな展開になっていくかはまるで予想できない。
その中心にいる刑事は市長の弟分であり、病気療養中の妻が市長に実質人質に取られた状態にある。
妻の命を大悪党に握られながらも、検事たちからも捜査協力を強要される。
この間で揺れ動く刑事の心情や行動次第で次の展開が大きく動いていく。
その速度感も小気味よい。
また、韓国特有の兄弟感の絆も凄まじく魅せつけられた。
市長と刑事の兄弟関係、また主人公の刑事を慕う後輩刑事との兄弟の絆。
ココらへんはかなり韓国文化っぽさを感じることができ、
それがとても映画の本編にも効果的に発現していたように思える。
そして、最終的には誰かが死ななければなにも解決しないという血みどろエンドとなる。
そのドバドバと人が死んでゆくシーンも鮮烈で印象的だった。
まるで「アイアムアヒーロー」の映画で、
最後にゾンビをショットガンで何匹も撃ち抜いて血の海を作っていたシーンを彷彿とさせた。

そして個人的には”棒っきれ”という存在と表現にピカイチさを感じた。
”棒っきれ”は主人公の警官に使われる”使いっパシリ”のことを指す。
そこら辺に落ちている棒。投げても戻ってこない棒。
そんな”棒っきれ”として警官にこき使われる存在がこの世界にはいる。
支配者層からの勅命の最大の歪みを背負う存在はそこかしこにある”棒”と一緒。
なくなっても困らない。
でもそういう歪みというか余波に巻き込まれている層もしっかりと画面におさめているのがとても良かった。
船戸与一的なクライム要素を感じた。

⑩ウィッチ
魔女映画。
単なる魔女の映画ではなく、
歴史上にキリスト教から魔女として迫害される一家の話。
概要。
1630年、ニューイングランド。
敬虔なキリスト教徒のウィリアムとキャサリンの夫婦と5人の子供たちは
敬虔なキリスト教にのっとった生活を送るため、
村はずれにある森の近くの荒地に引っ越してきた。
しかしある日、5人の子供の1人赤ん坊のサムが何者かに連れ去られ、行方不明となってしまう。
家族が悲しみに沈む中、
ウィリアムは美しく成長した娘のトマシンが魔女ではないかとの疑いを抱く。
それをきっかけにやがて一家全員が疑心暗鬼になり、
次第に狂気の淵に沈んでいく。

魔女と呼ばれるモノが生まれて、
世間的に、そして一番身近な家族にまで魔女と疑われる。
そういう疑心暗鬼こそが魔女狩りを助長させた要因であるのだろう。
そういうことを細部の歴史として参照しつつ、
映像美とセンスのある画角で攻めてくる。
幻想的な映像美と魔女と疑われているウィリアムの美しさがとてもマッチしており、
美術面、役者面も非情に力のある映画だった。
オチに対して賛否両論ありそうだけれど、私は賛成。大賛成。
幻想的な映像と背景とキャスト。
そこに魔女の要素が加わったのだから、その映画も幻想的な世界につながってしまっていっても良い。
そういう説得力が画面からひしひしと伝わってきた。

■その他の映画について
個人的なメモとして、以下の映画がとても印象的だった。
・劇場版 はいからさんが通る 前編 紅緒、花の17歳
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