2023・12・23 第79号 人と違うと言う事
今年もあと1週間ちょっと。
月日が移る速さもですが、いつも感心するのは、子ども達の成長のスピード❗️
少し前まで、完成するのに時間いっぱいで作っていたお子さんも、今では余裕もできて、他のお子さん達と改造を競いあったり、さらにこだわりを持って製作したりと…できなかったことができるようになり、更に工夫までするように、成長される姿にすごいなぁ! 素晴らしいな!と今年も感じる事ができた一年となりました。
とは言え…学校教育のように全員が全員、横一直線に並んで成長する必要はないと私は考えています。
早い子もいれば、マイペースの子も、じっくり思案しながら制作する子もいれば、テキストの画像を見た目だけで作ってしまう子もいます。
10人いれば10人とも違って当たり前。まさに「十人十色」とはよく言ったものですね。
こんな素敵な言葉があるのに、なぜ日本人は他人と違う事を恐れたり、悩んだりするのでしょう。
最近では多様性、ダイバーシティ等が叫ばれてはいますが、日本はここでも世界から遅れているようです。
多様性を「多(他)容性」(造語)とし、まずは他人を容認する事でそれぞれが生きやすくなり、本来の多様性が広がる事になるのではと考えます。
また容認される側の中には、「他と違うという事」で自分に非があると考えてしまう人もいます。
例えば何らかの障害がある人にその傾向が多いようにも思います。
まずは障害は「持つ」、ではなく「ある」ですね。「持つ」とすると、その人自身が障害を抱えてる事になりますが、「ある」とするとその人の周りに障害となるモノがある事になります。つまり障害は、その人自身にあるのではなく、その人の周りにあるという事をまず理解して欲しいです。
この世の中は、マジョリティ(多数)によって作られている以上、どうしてもマイノリティ(少数)にとっては、様々な障害が発生してしまいます。だからこそ、自分に非があるなどと考える必要は全く無いと思います。逆にもっとマジョリティに対して「困っている事」をアピールすべきで、マジョリティはそれを受けるべきです。それこそが「多様性」ではないかと考えます。
また「他と違う人」は、もっと自信を持って良いと思います。過去より何か偉業を成した人達は全て「他と違った」という共通点があるように思います。「他と違った」からこそ、スポーツにしろ、発明発見にしろ、事業で成功する事等ができたのではないかと考えます。
「他と違う」という事は、決して他よりも劣る事では無く、それだけで既に優位という事になるのかもしれません。
マジョリティにはない、オリジナルな考え方や行動ができる事が、「他と違う」って事なんだと考えます。
ただ…周りに障害となるモノ(物理的な物だけでなく、人の考え方や制度等)が立ち塞がることで、「あぁ〜自分はダメな人間なんだ。」とまで考えてしまうのかもしれません。
そうなると、これからの世の中を生きて行く上で、マジョリティにしろマイノリティにしろ、大事なのはやはり「自己肯定感」になってくるのではと考えます。
それはマジョリティにおいては他を容認できる余裕となり、マイノリティについては、言うまでもなく「自分を認める事」になるのではないでしょうか。
今年も、ご理解ご協力頂き、誠にありがとうございました。
来年もまた、よろしくお願い致します。