そうだ、絵本作家になろう①何をして生きるのか
2015年3月。
私はもうすぐ生後3ヶ月になろうかという赤子と一緒に
6畳の部屋に敷かれた布団の上でゴロゴロしていました。
その時ふと、「絵本てどうやったら出版できるのかなぁ〜?」と思い、スマホを手に取り「絵本 出版」というワードで検索したのを覚えています。
その頃、55㎡、2DKの賃貸住宅に住んでいて、
一部屋を夫が仕事部屋に使っていました。
私は産休を取っており、子育てってどんなものかという興味もあり、
最低でも産後6ヶ月は育児に専念しようと思っていました。
夫からは常々「俺も好きなことしてるから、つぐみも好きなことやったらいいんじゃない? 絵とか」と言われていたのですが、
「は? 絵なんて描く気ありませんけど???www」と、反発していました。「稼がないと生きていけないのに、なぜ稼げない絵をやらないといけないのか?」という信念を持っていたからなのですが。
私は18歳で上京し、2年の浪人生活の後に美術大学へ進学しました。
美大へ進学したのだから、美術の道に進みたいと思っていたのには間違いないのですが、いわゆる「画家」にはなれなかった。いや、なろうという気持ちになれなかったというのが正しいです。
なぜなら、まずなり方がわからないし、なったところで生活していけるほどのお金が稼げるのかわからないし、私が所属していたクラスの先生は画家ではなかった。笑 (←現代美術系の彫刻家でした)
現代美術をやるといっても、画家よりさらに難しそう。ますますなり方がわからない。先生たちを見ていても、「自分の作品を作りながら大学の教授でもやって生活費を稼ぐ」という方法しか見えませんでした。
さらに、私は在学中アルバイトをしなければ生活できなかったので、かなりの時間をそこに費やしてしまい、自分の表現を見つけるというところまで制作に没頭できませんでした。
アルバイトはファミレスのウエイトレス、お弁当屋さんなど。今思えばもっと時短で稼げる仕事があったのではと思うのだけれども、その頃の私は学校や住んでいるアパートの近くで働くことしか考えていなかったので、給料が低い職場で長時間労働していました。
給料が低いといっても時給900円くらいだったかな。お弁当屋さんでバイトしていたときは早朝だともう少し高くなるので、シフトに入っていました。
さらには、奨学金を借りていたので、卒業後はそれを返還していかねばなりませんでした。だから、例えばアルバイトで生活費を稼ぎながら絵を描き、奨学金の返済をして行くというのはもう辛い状況しか想像できなかったので、却下。私が在学中の2001年〜2006年(大学には5年通いました。その話はまた別の機会に……)頃は、まだまだITバブルの景気の良さが感じられる時代で、私自身もインターネットの世界にハマり、大学5年目の冬に短期でアルバイトに入ったIT企業にそのまま4月から新卒扱いで入社させてもらいました。仕事内容としては主に上司のアシスタントをしていましたが、私が美術大学出身だったこともあり、上司の計らいでWEBデザインもやらせてもらえました。お弁当屋さんに比べると、椅子に座って仕事できるし、目まぐるしく変わってゆくWEBの世界は面白いし、勉強しながらお給料をもらえるなんて、本当に夢みたいでした(笑)
しかし、その上司にも言われてました。
「はたやまさん(私の旧姓)は、アーティストになるんでしょ?」
その時の私は「は? アーティストなんて、なる気ありませんけど???www」と、反発していました。
アーティストやら画家やらにはなるつもりはなかったけれども、WEBサービスを作るのはやってみたかったので、新卒で入った会社を2年で退職し、コンテンツプロバイダに転職。占いサイトを企画製作する仕事に就きました。
まぁ、長くなりそうなので、その辺の話は追い追いして行くとして。
どうやって絵本作家にたどり着くのか? 次回に続きます。
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