ガクヅケ木田の「休業理由トークnote」

お疲れ様です。ガクヅケの木田です。自分たちのYOUTUBEチャンネル「ガクヅケのあつあつ初体験チャンネル」内の生配信ラジオでも発表させていただいた通り、僕が今年の8月2日から、おそらく来年の2~3月くらいまで休養を取らせていただく事になりました。

まず、休業を申し出た時に受け入れてくれた相方の船引さん、そしてマセキのマネージャーさん、スタッフさん、キャンセルしてしまったライブの主催者さん、楽しみにしていたライブに唐突に「ガクヅケ休みです」と発表されて微妙な感じにさせてしまったかもしれないお客様、いつも応援してくださってファンでいてくれている方々に向けて、申し訳ありません、という気持ちとありがとうございます、を伝えさせていただいた上で、なぜ自分が休養するのかという事を改めてここで話させていただきます。(コンビでの休養についてのトークは後日YOUTUBEチャンネルにアーカイブで上がります!僕から半年以上の活動停止を言い出された船引さんももちろんしんどくて、僕も個人的な理由でしんどくて、しんどい二人が喋ることで起こる必然の事態が起こってしまったりしているのですが、できたら全部見て(聴いて)ほしいです!)

ではまず感謝と謝罪を明らかにして、自分の話をしていきます。
僕が今回休養するのは「8年付き合っていた彼女と別れて、心のバランスが取れなくなってしまったから」です。彼女の名誉のために付け加えると、とても優しく、芯の強い、本当に素晴らしい人で、彼女がいなければおそらく9年間も芸人活動を続ける事はできませんでした。僕は船引さんに誘ってもらいガクヅケで初めて芸人活動を始めたのですが(もちろんここで誘ってもらった事にも感謝しています)、彼女と過ごしながら最初は予期しなかった芸人生活を送る事で「彼女との未来を作る」事が知らず知らずの間にどんどんと僕のモチベーションのになっていっていました。そしてまた、芸人活動を続けている内に、平場で笑ってもらえる楽しさや、良いネタを思いついた時の楽しさ、良いネタをやる時のわくわく感など芸人の職業の面白さにも気づきはじめ「お笑いを続ける事で彼女といつか未来を作れるようになればいいな」と感じるようになりました。そこから年数がたち、僕たちは別れる事になってしまいました。もちろん細かくは書きませんが、あらゆる現実的な要素がぶつかり、今の段階では別れる事は仕方ない、となってしまいました。

ここで、まずかなりの喪失感が襲ってきました。これはまあ、当然と言えば当然で、それだけ長く一緒にいた相手と、それも喧嘩別れではなく、どうしようもないような状態で別れる事になったら、それはそうだよな、しんどいよな、という認識でした。実際別れるという結論にいたって、彼女の家を出た時に、僕は両足に力が入らなくなってしまい、立つことができなくなってしまいました。とてもじゃないですが、現実を「移動」というレベルでも次の瞬間に繋げる気力が湧かない、ここにへたりこむことしかできない。といった感じでした。しばらくそこに放心状態で座っていたら、彼女が申し訳なさそうに家から顔を出して「そこではごめん、座ったらあかんて」というような事を言ってくれたおかげで、たしかに、こんな共用廊下にへたりこんでいては彼女に迷惑がかかるよな、と立ち上がり「絶対帰り道事故にあわんといてな。気をつけて帰ってな」という言葉をもらい、自転車をおしおし帰りました。

それがまあざっくり去年の12月で、そこから僕の新たな生活が始まりました。正直、この時期の自分の感情は覚えておらず、まだ渦中にいるため振り返るという事もできず、ただ漠然と覚えているのは「なんとか生活を続けないと」という気持ちでした。まだショックを受け止めきれずに、ぼおっと過ごしていました。ライブに出ると、自分はこんな状況でも面白い事をやれるのか、という謎の気持ちが働き、むしろ普段以上に前に出たりしていました。2022年12月25日のケープロさんのライブ「ナルゲキロックス年末大集合SP」というライブのオープニング企画で「即興で引かれたお題のモノマネのをして10回爆笑をとったらライブスタート」というものがありました。ここで僕は「年末ジャンボが当たった人」というお題で、すぐにリアルな演技で袖にはける、というのをして笑いをとり、次のお題の「親戚」にもすぐに「僕にいかせてください」と前に出て「あっちのほうやったらまだ車止めれるんちゃう」と言って笑いをとっていました。この一部始終はツイッターで検索したらケープロさんが動画をあげてくれているので是非見てください。そしてこの日、楽屋で船引さんに「年末年始申し訳ないんやけどライブを全部休ませてほしい」という旨の事を伝えました。船引さん的には、企画であれだけ楽しそうにしていたのに、僕が楽屋でいきなり暗く「ライブを休みたい」と言ってきた事実に戸惑っていたようでしたが、年末年始のライブをキャンセルすることをOKしてくれました。この段階で船引さんが「そんなにしんどいんやったら休業してもいいし」と言ってきてくれていたのですが、この時の僕は(今休んだら絶対に戻ってこれなくなりそう)という感覚があり「いや、休業は大丈夫です」と言ったのを覚えています。
この段階の僕は、年末年始を少しゆっくりと休んだら、気持ちの整理がある程度つくだろう、そしたらまた自分のペースで少しづつ続けていけばいい。と思っていました。今思うとここあたりから「ウケてもその瞬間が嬉しいが、充実感がない」という精神状態になっていた気がします。
彼女と過ごしていた時は、こういうライブでのお客さんの反応も、彼女との未来をつくるための一歩として心に充実感がありました。(例えばテレビに出た時など前に出る力が少しでもついたのかな、と思えたりなど)それがなくなった今、極端な話ですが、これだけ笑ってもらえて、じゃあその先に僕は何があるんだろうと暗く暗く落ち込んでしまう状態に陥ってしまいました。

年末年始を休ませてもらい、そこから活動を開始しました。その時期もあまり感情は覚えていないのですが、ただただ漠然と過ごしていた気がします。おそらくこの辺りから、だんだんとネタを考える事ができなくなってしまいました。ネタを考えるといっても、もともと僕は設定を出したり、こういうコント、みたいなのを投げるといった感じで、それが面白そうなら船引さんがネタに仕上げる、船引さんが思いついたらほぼ船引さんのみで作る、というがざっくりとした僕たちのネタ作りなんですが、この「コンビの未来のためにネタを考える」という事がまったく出来なくなってる、という事にだんだんと気づき始めていました。まあそれでも、まあ、今はそういうもんなんだろう、という風に考えていて、時間が経てばなんとかなるか、と思いながら続けていました。この辺りからちょくちょく体調不良と精神不調でライブを休ませてもらう事が多くなって来た気がします。僕は「体が弱っているんだな」と思い休ませてもらっていたのですが、おそらく精神が弱りすぎてそれが体に表現されている状態だったんだと思います。

そうして実際は騙し騙し、体感としては「休みながら自分のペースで」活動を続けていて、3月に単独がありました。この公演は昼夜とあり、夜公演のエンディングで僕が号泣してしまいました。理由としては僕の母が奈良から昼公演を見に来ており、終演後少し喋った時に「彼女、残念やったなあ」と言われ、彼女は僕の家族にあったりもしていたため、一瞬で色々な感情が襲ってきて母の前で泣いてしまった。というのを夜公演のエンディング中に思い出してしまい、そこで唐突に泣き出してしまったのです。船引さんも200人近く入ってくださったお客さん全員も、脈絡なく泣き出した僕に動揺している様子で、僕はああ、やばい感じになってる、と思い、そこから涙の理由を説明し「その気持ちを込めた物販を販売しているので、買ってください」と物販ボケに緊急着陸しました。あれは自分の事ながら回収していて偉かったと思います。

そして数日後、その様子を見ていたお客様からインスタにメッセージが届きました。内容としては「精神的な病気を見る仕事をしている友人と夜公演を見ていたのですが、あの様子の木田さんを見て「あれはアウト。はやめに診てもらったほうがいい」と言っていたので、大変差し出がましいですが医療機関を利用するのをお勧めします」というような内容でした。そのメッセージを見た時の最初の正直な感想は「大げさだな」と思いました。それに加えて、僕は芸人をしているし、あと個人的にはラップを作ったりするのも好き、それらをやる上でこの生きるあてのない、途方もない無力感や地獄のような希望の無さを自分で全部かみ砕いて咀嚼して、自分で解決するのが一番いい、この気持ちを全部感じつくした最後に心の安定が待っている、そこに病院や例えば薬などが入ってくるのは、自分の感情として純粋じゃない、と思っていました。しかしそこから僕はどんどんライブを休んだり、ネタも相変わらず考えられず、ネタ合わせも「今日外に出られない」という理由でキャンセルしたりしているうちに、船引さんからも「病院いってくれ」という
風に言われたりするようになりました。コンビ活動が通常通り回っていないので当たり前だと思います。

そうして僕は心のクリニックに行くことに決めました。先生に経緯を説明し、お薬をいただきました。最初は正直(薬かぁ)という微妙な気持ちだったのですが、飲んでみて驚く事が起こりました。

これまで書いてはいなかったのですが、彼女と別れてから僕は「めちゃめちゃひどい目にあって最終的に死んだり殺されたりする悪夢」と「彼女と別れる瞬間や、悲しい瞬間をエンドレスで見る悪夢」の最悪の悪夢2本立てを毎日見ていました。なので毎回疲れ果ててヘトヘトで起きるか、号泣して起きるかのどちらかが僕の目覚めだったのですが、その薬を飲んで寝た翌朝、初めて「めちゃめちゃひどい目にあって最終的に死んだり殺されたりする悪夢」だけしか見なくなったのです。最悪の二本立てが、一本立てになった瞬間でした。これには感動しました。この二本立て悪夢の何が辛かったかというと、普通にめちゃめちゃ嫌な夢を見た後に、現実で自分が抱えている悲しい問題が夢の中まではっきりと形をもって出てきている、というがとにかく辛かったんです。寝てる時くらい寝させてくれ、という状態になっていました。それが、薬を飲んだらなくなった。薬の効果はもちろん、もしかすると僕の思い込みの力や様々なタイミングが重なってそうなったのかは何とも言えませんが、少なくとも僕は薬を飲み、彼女の夢を見なくなった。これはとても大きな一歩でした。そこで初めて「足の骨とか折れて激痛で大変な事になってるのに、この痛さは俺が全部味わうんだ、とか言ってるのはおかしいよな。どうしようもないくらいしんどくなったら病院に行くべきだ」と少なくとも僕は思いました。

しかし当然ですが薬を飲んでも根本の問題が解決するわけではありません。クリニックの先生も仰っていたのですが「薬はあくまで心の不調で起こる二次被害をなるべく抑えるための杖のような存在ですね」という感じで、薬を飲みながら2~3か月が経ちました。その間も、最初よりは気持ちが落ち着きましたが、そのぶん自分が感じている絶望がよりクリアに見えてきました。それは「今まで自分がモチベーションにしていたものがなくなってしまい、これからの人生を頑張る理由を見つけられない」というものでした。
コンビ活動は未来そのものです。そんな状態で、未来につながるための「ネタ」や「コンビトーク」が僕はできなくなってしまいました。その場その場で喋ったり、リアクションしたり、というはそれほどストレスはなくスムーズにできるのですが、コンビ活動という事になると心にズシンと重くのしかかるものがありました。それはそんな状態で続けている罪悪感だったり、できないことをやろうとしているしんどさだったり、申し訳なさだったり、色々な理由でした。その辺りから僕は「コンビ活動休止」を考えるようになりました。

考えだしてから、実際に船引さんに伝えるまで、自分の中では熟考に熟考を重ねました。今この段階で活動を休止するということは、船引さんの収入もなくなるということです。テレビなどに出ていて知名度があれば、もしかしたら収入は、下がりはするでしょうが何とかなる部分もあるのかもしれない(知名度のある方たちの休業も僕には想像もできない大きさの大変さがあると思うのはもちろんの上です)ですが、今の僕たちの状況で片方が休むというのはそっくりそのままの本当の意味で活動を止めることと同じになります。
船引さんに僕は想像もできないストレスを与えるのは明らかです。
しかし、このまま続けていても良くなることはないだろう、というのが心と体が実感として僕に伝えてきています。どうしよう、どうしよう。とぐるぐると考えていました。その期間、梅雨という事もあり、ずっとジメジメした天気や雨が続いていました。そんな中、1日だけめちゃめちゃ晴れた日がありました。夏の訪れを予感させるような綺麗な晴れ方で、僕は外に出て久しぶりに開放感を感じました。空気も気持ちよく、太陽がさしてくる感覚も気持ちよく、気持ちも前向きになり、僕は近所の公園で深呼吸をして、そこで初めて心から(ああ~~~~!!休業したい!!)と思いました。
こんな最高の天気の下で、久しぶりに明るい気持ちの自分が出した結論が「休業したい」だったというのは、もう自分にとっての正解はそれ以外ない、という結論に至りました。

そこから船引さんに伝えて、今に至ります。
改めて最初に休業を伝えた時に、絶対にしんどいだろうに受け入れてくれた船引さんに感謝します。受け入れるしかなかったという部分もあると思いますが、絶対に自分のモチベーションを取り戻して戻りたいと思っています。
キングオブコントにも出場しないというのはそういった理由からです。また、11月に事前に受けていた演劇のピンでの出演があったり、ラップを作りたいなという気持ちがあったり、とにかく自分で自分の気持ちを作り直していく、新たにモチベーションになる何かを作り、それをコンビに持ち帰ってガクヅケとしての活動を強く進めるようにする、そのために長い休養をいただきながら、たまに個人で活動することもある、みたいな状態にしました。僕が何かを発信するのは、全てガクヅケとしてコンビの活動にかえっていきたい、という表現の現れだと思ってほしいです。

母親に電話で休業を報告した際に「そうかぁ。そやなぁ。まあでもゆっくり休んでな」という会話の後「でも、あのなあ就職とかはな・・せんほうがいい。光世はせえへんほうがいいと思うねん。うん。そう思うねん」と言われました。一般社会で苦労するなら、もう9年やった芸人の世界で苦労したほうがまだ性格的にいい、という僕を29年間見てくれている親の発言で、僕自身も今就職したいとは思えないので、まあそれはそうなのですが、親から就職NGを食らったのは少し面白い出来事だなと思いました!なぜこれを書いたのかというと、僕たちを応援してくださっている方が「木田さん辞めちゃうんじゃないか」と思っていたら、それは悲しい、僕は辞めないために休んでいるんだよ、という事を伝えたかったです!いったんのご報告はここまでにさせていただいて、また休業開始した際など随時更新していきます!!

今のところ最後に行った新ネタライブのアーカイブがこちらから購入できます!新ネタ4本に休業についてのトークもお客様の前で笑いながら話したりしているので、ご興味ある方はぜひ見てください!!

6/19(月) #あつやりライブ 2023年6月号 阿佐ヶ谷ロフトA
〈配信〉 通常1000円/応援1500円 ※同内容
7/3(月)21:59まで購入可 23:59まで視聴可

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