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誕生日なので

9月19日、誕生日をいただきまして、30歳にならせていただきました。30代に突入ということで、ここは一つ自分の主観のみで、家族に感謝を伝えさせていただこうと思います。思いっきり、それ以外は考えずに、本気で家族に感謝してみるとどうなるのでしょうか。やってみたいと思います。

まずは両親でしょうか。僕をこの世界に産んでくれて、ありがとうございます。30年というまだまだ短い時間を生きていて、そんなに大した苦労をしているわけでもない人生の中で、それでも自分的にこんな辛い気持ちは耐えられない、と思うことが幾度かありました。しかしそれを思い返せば、その前には必ず幸せな出来事がありました。そしてまだもちろんこの先何が起こるかわかりません。一寸先は闇と言いますが、光の中にいるからこそ闇があり、その繰り返しの中を進んでいく体を僕に与えてくれた事はとても感謝です。
さらに具体的な事で言うと、何かをやれとか何かをやるなと言われた記憶がないなと思いました。唯一母親に言われたのは、高校に入ってすぐに「高校辞めて全国のお寺を回って日記を書きたい」と伝えた時に「頼むからせっかく入ったんやから高校だけは行って」と言われた事でしょうか。
その後も寺を回って日記を書く、お金はバイトで稼ぐ、と今思うと意味のわからないプランを提案し続けていたら「そんなんやったら高校入る前に言ってや。もうお金も払ってんのに」と言われ、たしかに、と思い高校に通いました。結果普通に通っていてよかったです。
その後も大学に行けばいい、やこういうことをすればいい、というような事は一切言われた記憶が無く、高校時代部活で入っていた野球部の監督から
「光世(僕の下の名前です)は4年間とかは絶対通えへんから、学校いくとしても2年制の専門学校とかの方がいいと思う」と言われ、映画の専門学校に入り、その学校も先生の予想を大きく上回る1年で退学するという選択をした時も、特に止められませんでした。
最近コンビ活動を休業する、と話したときは「そっか。まぁそやなあ、そうやねやったら、光世は就職とかは、絶対せんほうがいいと思うねん。うん。しんどいと思う」と言うふうな事を言われ、親では珍しい子供の就職を反対するスタンスをとっていたことには驚きました。
最近では弟が仕事を辞め、好きなお酒の勉強をしながら居酒屋で働く事になった時に悔しそうに「あの子新喜劇好きやから、新喜劇入ったら、って勧めてたんやけど、あかんわ。仕事するみたい」と残念そうに言っていて、仕事するみたい、って何。って思いました。タクシー仕事の夜勤終わりで、帰ってきてお酒を飲んでいた父が抜けた前歯を放置している口を開けて笑いながら「うちの子供はどっちも芸人や!」と言って笑っていました。前歯のないタクシー運転手不安やから前歯入れた方がいいと思ってます。それでも弟のやりたいことをやるのを応援しているようで、兄の僕としても楽しそうに働いていてよかったなと感じています。
この何もやれとかやるなとか言われなかったのは、自分の性格的にすごくよかったかなと思っています。責任を持たせないように育ててくれたのか、何かをやらなければいけない、というのがないから楽しく暮らせているのかなと感じました。

次はおばあちゃんでしょうか。僕には奈良のおばあちゃんと京都のおばあちゃんの2人がいて、京都のおばあちゃんは最近亡くなってしまいました。小さい頃は毎年正月や夏に家族で京都に行き、毎回優しくしてくれ、小学生の時に年始のエンタの神様で「いつもここから」さんの「悲しい時」のネタを見て爆笑し続け、息ができなくなって、それでも笑いが止まらず、最終的にそのせいで持病の喘息の発作が出てしまい、息ができなくなってもテレビから聞こえる「悲しいとき 悲しいとき」というフレーズの後の絶妙のあるあるがさらに僕を追い込み、息ができなくなり「いつもここから」さんのネタでまさしく笑い殺されそうになった時も、いちはやく救急病院を見つけてくれて、なんとか病院で吸入器をつけることができました。京都のおばあちゃんが作る「がめ煮」はとても美味しく、最後入院した時も「早く帰ってがめ煮を作ってあげたい」と言ってくれていました。
奈良のおばあちゃんはめちゃめちゃ元気で、今でも実家に帰れば会いに行きますし、電話もたまにします。俺は小さい頃よく奈良のおばあちゃんの家に預けられたりしていたので、親しみが深く、保育園に行きたがらない僕を無理に連れて行かず、おばあちゃんの家に連れて帰ってくれた事などとても嬉しかったです。
さらに京都のおばさん2人も、小さい頃から優しく、会うごとに本を買ってくれたり、京都のいろんな場所に連れて行ってくれたり、遊んでくれたりしてくれ、今もずっと気にかけてくれていてとても感謝しています。
奈良にいるおばとは小さい頃からよく会っており、今でも実家に帰れば会います。NHKに出るんや、NHK出たら認めたる。と冗談めかしてよく言っており、数年前にNHKのネタ特番に出させてもらった時、すごく褒めてくれたのは嬉しかったです。
僕たちがたまにテレビでネタをやるときはチェックしておばあちゃんに伝えてくれているのも感謝です。
小さい頃、ミッフィーの絵本を大量に読んでくれたという話も聞いており
「あんたが本好きなんは私の読み聞かせの賜物や」
と言っており、それも絶対要因の一つだろうなあと感じています。ありがとう。
そして僕が小学校に入る前に死んでしまったおじいちゃん。当時保育園に通っていた僕が突然強烈に(おばあちゃんの家に行きたい)と感じて、保育園からの帰りのバスの中でお母さんに「おばあちゃんの家行く!おばあちゃんの家行く!」と叫び出し、困った母が半分キレながら「じゃあもう今日はおばあちゃんの家泊まりや。絶対迎えに行かへんから」と言っておばあちゃんの家にいくと、ちょうどそのタイミングでおじいちゃんがお風呂場でお湯に浸かりながら突然亡くなってしまっていた、という虫の知らせエピソード、不思議な話する時によく話してます。物心つく前にそうなってしまったから、あまり会話をした記憶はないのですが、めちゃめちゃ可愛がってくれていたと聞いています。ありがとう。

そして弟でしょうか。弟と僕は8歳離れており、産まれた時から可愛さしかありません。長々と書くのは恥ずかしいので、弟を様々な呼び方で呼んでいた、全ての呼び方を書いておきます。ほっぺた、ほぺすけ、ほぺまる、ぷにまる、ぷにすけ、ぷにのすけ、ぷに太郎、がっつりもちひこ、もちひこ、もちのすけ、もちまる、もちまるぷにひこ、もちぷに、オニタカ、赤ちゃん侍、アカザム、アカザ、オニアカ、しっとりもちひこ、もちすけ、どんべえ、ミニひこ、ほっぺたどんべえ、がつまる、がつのすけ、がっつりがつひこ、様々な呼び方で呼んでも無視せず対応してくれる。大変なことも多い人生を、楽しく暮らしてほしいと思っています。僕もそうします。

これを呼んでくれたあなた。

私から ありがとう。

それでは また

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