パスタソースと一緒に麺を茹でるやつとは一緒のプールに入れない
すなわち我々の認識する宇宙、生命は継続的に創造され、進化し、霧消してそしてまた創造される『The Rise of the Goddess in the Hindu Tradition』Tracy Pintchman (1994)
ブラフマーをご存じだろうか?
ヒンドゥー教における創造神であり、最高神の一柱に数えられる。
日本においては梵天という名前で知られ、一度は読者諸兄も耳にしたことはあるだろう。
さて、今回なぜこのような話を持ち出したかというと、正直私にもよくわからないことなのである。唐突だが、私は現在、イタリアのメストレに滞在している。そして先程本場のアーリオオーリオを堪能した。
口に入れた刹那、私の脳裏には、何千何億もの老いも若きも、いわゆる「絶望のパスタ」なるものを、仕事に忙しい売春婦の母親が子供を思い、合間の時間を縫って作ったものを子が食傷気味に口に運んだのだろうか、あるいはサレルノ大学に通う貧乏学生が栄養や美食を放棄して、腹を満たすことばかりを考えて、自炊したのだろうか、それとも…
様々な人々のバックグラウンドが想像された。
そして、アーリオオーリオを食べた、その想像される人々の中には、その内私も含まれるのだろう。
思い起こされる私が食べたアーリオオーリオ。
最もそれを食した場所は上本町のサイゼリヤ。
私の記憶が確かならば、高校に入学して間もない頃、後にバンドを組むこととなる、松下、山本、私の3人で入店したように思う。
その当時は金もなく、加減など知らぬクソガキであったため、ミラノ風ドリアとペペロンチーノを注文(計600円)し、悪ふざけで前者には粉チーズを、後者にはオリーブオイルを大量に投入した。今考えると、お店には申し訳なく思うが、アレがなければ、生涯の親友はできず、私の人生史上最高の瞬間は変わってしまっていただろう。
ひいては、サイゼリヤもとい、アーリオオーリオペペロンチーノのおかげであると断言できる。
その後も高校生活中は何かと昼餐でお世話になったが、口に入れる頻度が増えたのは受験期間である。受験期間中、上本町の予備校に通っていた私は、21時まで自習をして、そこから22時に閉店するサイゼリヤへと足を運ぶ。お分かりだろうが、その当時は高校生なので、お金はない。でもなにか食べたい、そこで私は、メニューの中から最も安いパスタである、ペペロンチーノと最も安い緑色であるほうれん草のソテーを毎晩注文した。耳にAirPodsを、胃に計500円を入れながら、単語帳を開いた。好きな音楽と勉学しながら、食事が出来る、最も有意義で効率的な生活をつづけた。全従業員と顔見知りになった。遂に春には大学に合格した。赤本、単語帳、筆記用具、音楽、そしてアーリオオーリオ。間違いなくパスタの歴史を構成している俺は時代の編纂者だ。
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