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手放すな、欲望は君の命だ~自問自答ファッション教室に参加した話

というわけで自問自答ファッション教室行ってきました~~~
結論から言うと「めっちゃ楽しかったし自己肯定感爆上がりするし何かが開眼するから、気になってる人はとりあえず抽選の荒波に負けずに申し込んでそして行って」です。あきやさんすげ~~~~~~!!教祖の才能がある!!!

自問自答ファッション教室については、この記事を読んでくださってる方は大体知ってるのでは?という気がするので割愛。
なにそれ?という方はまずあきやあさみさんのnoteと著書をどうぞ。ファッションに迷うすべての人の味方です。

今回は「参加した私が何に気づいて何を感じたのか」という話。


自分の重視している欲求が見えた

私がファッションに迷っている話は過去のノートでもしているので、詳しくはそちらを見ていただければという感じなのだが、私があのめちゃくちゃ濃密な時間で得たのは「あーこのまま進んでいいんだな」という確信だった。
過去の記事についてはこちら↓

見えていたけど、見えないふりをしていたものに「大丈夫なんでもうそのまま行っちゃってください!」というお墨付きをもらえたというか。
もともと、私は癖の強い、人によっては『悪趣味』ととらえられてもおかしくないようなアイテムが好きだ。ぎょっとするような柄やモチーフに心がときめいてしまう。ただ私の中に小指の爪の先ほど残った社会的欲求(浮きたくない・社会的に認められたい・イタイ女だと思われたくない・若作りと思われたくない)に怖気好き、そのまま進むことを日和らせたので、迷子になったのだ。
でも私は「今5段階欲求の何を重視していますか」という問いに迷わず「承認欲求か自己実現欲求」と答えた。ほら~~~~もうそれが答えなのだ。対して大事でも何でもない社会的欲求を最上位に据えたらそりゃ迷うわ。
ゴスやロリィタ、パンクなんかのいわゆる「厨二病ファッション」を愛好している人間は多かれ少なかれ、こういう葛藤をするタイミングがあると思う。特に、年齢を重ねてくると迷う。ファッションが嫌いになったわけではない。「社会的欲求」とのすり合わせが起こるのだ。
もちろんそこで「もう私の表現したいスタイルではないな」となったのなら、違うジャンルの服を着ればいい。問題は「社会的欲求」だけを理由にスタイルを変えることだ。私みたいに。
多分、5段階欲求がある程度の割合入っていて、その中でも自己実現欲求が一番満たされているのがベストな状態な気がする。どんなに美しくても、毎日15cmのピンヒールを履いて電車通勤は私にはできない。「おしゃれは我慢」にも私の脚の耐久度にも限度がある。
ただ、すべての欲求を100%満たすことはできないとして、自己実現欲求を最大限取った上で、あとの欲求を満たすことに割合を振ればいい。肝心なのは一番上に据えるものを間違えないことだ。

自問自答自分会議は定期開催すべし

あきやさんはめちゃくちゃ丁寧に「見えてたけど見えてなかったもの」にピントを合わせて「見える」ようにしてくれる。それは、当たり前すぎてあることすら忘れてしまっていたことだとか、どこかでわかっていたけれど見ないようにしていたことだとか、そういうものだ。自分でちゃんとピントを合わせられればいいのだけど、これがどうして長年「見えていないことにも気づいていない」となかなか「見えない」のである。
今回私はたくさんの言葉と向き合った。普段はさっと流してしまう「自分はどう感じるか」をスプーンにひと匙すくった蜂蜜をじっくり味わうように、吟味して吟味して、ここ、という場所に収めた。
私がめっちゃおいしいと感じたひと匙を、ほかの人はおいしくない、苦い、好きじゃない、と感じることなんて当たり前なんだな~ということも身をもって知った。「人間て面白ーっ」である。
これは定期的にやったほうがいいし、多分時々で感じ方や判断も揺らぐと思う。ただ、私ってこういう人間なんだ、の輪郭をはっきりさせておくのは、すべてにおいて絶対に悪いことではない。自分と真剣に対話すれば「こいつは私の話をよく聞いてくれる、私のことをよくわかってるやつだ」という信頼感を獲得することができる。それは何かを選択するときに「この選択を信じる」という力になるのではないだろうか。
自問自答ファッションとは「当たり前にあるものを、改めてじっくりと眺め、『なぜ』を突き詰め、その中にある自分の形を拾い上げるための会議」なのだなと改めて感じた。
今回はあきやさんが議長を代理でしてくださったけれど、今度は自分を議長にして定期開催します。自問自答自分会議。

「社会性を捨ててもいい人間もいる」という気づき

自問自答していて気づいたのだが(というか、知ってたけど再確認した気分だったのだが)私はどうにも人間に興味がないらしい。
というとなんだかちょっと違う……気がしていい言い回しをまだ模索しているのだけれど、とにかく「人に興味がない」そして興味がないことにどこか罪悪感を抱いていた。だってめちゃくちゃ嫌な奴じゃないか「人に興味ないです」って。
ただあきやさんに教室で「あっ、社会性を必要としないタイプのひとです!」って言われて「あっ、そっか~~~~~」となったのでいい加減認めようと思う。
人間が嫌いなわけではないのだ。というか人間は好きだ。人の築いてきた文化・芸術・思想・文学、それらすべては尊いもので、守られ受け継がれていくべきものだと心から思っているし、それを「受け継ごう」としてきた人の心が好きだ。残そうと思わなければ残らなかった、そういうものが残っていることに対して心からの感謝と感動を覚える。
人の感情、覚悟、信念、そういうものが引き起こす奇跡のようなできごとも讃えられてしかるべきだと思っているし、そういうものがあるから世界は美しいのだと思う。
でも同時に人間に興味がない。興味がなさ過ぎて人の顔を覚えるのがめちゃくちゃ苦手である。誰が何をしているかとか、誰それが好きで誰と結婚して、とかそういうことにはまったく興味の食指が動かない。円滑なコミュニケーションのために同僚のことをよく知りましょう!とか「しらんがな」となる。
この感覚をまだうまく表現できないのだけど、もしかしたら「物語を愛している」けれど「人間は愛していない」のかもしれない。「この人は物語だ」と思った人のことは好きになるし興味がわくが、そうでない場合は特に……といういやこれやっぱり言ってて思うけどすごく嫌な奴では?
ただ昔から「みんな仲良く」とか「友達をたくさん作りましょう」とか「足並みをそろえましょう」とか「恋をしたいなら出会いの多い場所に自分から出向きましょう」とか「相手に興味をもって話をしましょう」とか世間的に良いとされることにまったく心惹かれなかったな……とは……はい……思います……これが社会性のなさというなら社会性全然ないです……やはり私は社会的欲求を理由に服を選んではいけない人でした……今友達でいてくれている人皆本当にありがとう…………
社会性がないこと、ないのにあります、という顔をしていることにまだ若干の罪悪感(世間的には『良い』とされることなので)を抱いているけれど、もうこれ仕方ないな、という気がするので、そのつもりで開き直っていこうと思う。なくても死なないよ。今まで死ななかったし。

「結果」と「過程」問題

重視するのは結果ですか、過程ですか、と問いかけられた。
私は結果、と答えたのだけどこれは100%正確ではなかったなと今思っている。というか、「結果」と答えることに拗ねと諦めと投げやりさが入っている。「どうせ結果がすべてって皆言うんでしょ」という気持ち。顧みられなかった過去の私の怨嗟が入っている。
実際、結果は大事だと思う。結果を伴わない過程に対して「がんばったんだから偉いよ」と言われたいわけではない。ただ私はずっと誰かに、というか自分に「過程大事だよ。美しいよ」と言ってほしかったんだと思う。
ここで突然ですが刀剣乱舞の話をします。
私が刀剣乱舞を好きなのは「正しい歴史を守りなさい」という命題が掲げられているからだと思う。ここで言われる歴史を守る、というのは「結果だけつじつまが合えばいい」ということではない。
勝者・敗者、いいこと、わるいこと、それらすべての「過程」を含めて「歴史」でありそれを守れ、ということとされている。
時折、メディアミックス作品の中で「どうにもならない状況になってしまったので、せめてなんとか結果の辻褄だけ合わせなくてはならない」というストーリーがあるがあれも「どうにもならないから」の苦肉の策として描かれる。初手から負けてしまっているのでできるところまで挽回しよう、という状況だ。
極端な話、結果だけを見るなら「だれそれが勝った」「だれそれが死んだ」という事実だけがあればいい。しかし、それでは「守った」ことにならないのだ。つらいこと、苦しいこと、目をそむけたくなるようなことがあっても、そこで揺れ動いた心があり、手渡された思いがある。それらすべてをひっくるめて「歴史」と定義し「守れ」という。
ものすごく難易度の高いことを要求されているのだが私はこの考え方が好きだ。性に合っているので審神者業が続いている。
そもそも私は判官贔屓のきらいがある。敗者が好きだ。失われたものが好きだ。結果が大事という前提で語るなら「結果を残せなかった」ものが好きだ。
私は過程が大事なのだ。自分がやったことの結果が伴わなかったとして、別に誰かに認めてほしいわけではない、慰めてほしいわけではない。ただ私自身が「美しかったね」と言いたかったのだ。ひねくれた顔で「結局結果が大事だし」なんて言ってるよりよほどいい。大体結果を重要視するならとっくに同人誌なんて書くのをやめている。嘘をつきました。懺悔します。私は過程が大事です。過程が美しいことを重要視しています。
ああ、なんだ別に、私「何者か」になんてならなくてもいいんだな。だから。

「手放すな、欲望は君の命だ」

私の好きな言葉です。
我めちゃくちゃ強欲~~~~~~~~!ということも改めて自覚した。
私は牡牛座なのだが牡牛座は「所有の星座」とされている。「物が好き」「買い物が好き」「捨てるのが苦手」な人が多いらしい。まあその傾向はあるかなあという程度の自認はしていた。

これは年々当たっている部分が増えているような気がしている石井ゆかりさんの牡牛座についての本。他の星座の本も興味深いのでおすすめ。

私の場合は「気に入っているものを使い倒す」「気に入っているものが壊れてリカバリーができない場合は同じものを手に入れようとする」「気に入っているものを使わない・使えない状態でも手放せない」という傾向があり、もう着られないだろうな……とは思っている(嘘。機会があったらなんとかどうにかこうにかして着たい)Innocent Worldの金子國義コラボのワンピースがずっとクローゼットにいるし、高校時代に買った大好きなブーツやコートをいまだに使っている。物欲、というより、所有欲がめちゃ強い。
これが物以外にも発揮されている、ということをあきやさんやJJGの皆さんと話しているうちに気づいた。
「私に所属するもの・私が受け取ったものは私のもの」という意識がどうやらめちゃ強い。それが有形・無形にかかわらずだ。
「自分の文章とか絵とか自己表現したものが褒められたらうれしいですか」「はい」「本名出せますか」「はい」「顔出せますか」「はい」というやりとりをあきやさんとした。でもここで「はい」と答えたのは私だけだったのだ。なんと。皆そうだと思ってました。
私は「自分が生み出したもの=自分の所有物=これが私です」という明言をしたいのだと思う。自己顕示欲かと言われるとちょっと違う……やはりこれも所有欲がしっくりくる。私が生み出したものに対して返ってきたものがポジティブでもネガティブでもそれは「誰のものでもない私のもの」というか……なんというか……こう……伝われ……(ろくろのポーズ)
とりあえずめちゃくちゃ自我が強いことはわかった。わりかし打たれ弱いのにな……でも迷わず「はい」って言っちゃったもんな……こういう人間なので「何かを所有するときは死ぬほど気に入っているものを少量」かつ「This is me!!!を主張するスタイル」でないと破綻する。考えれば考えるほど「普通のお姉さんに擬態する」など不可能だった。おお、過去の私の愚かさよ……

私のコンセプト

内心の七転八倒を経て、たどりついたコンセプトが「上品でかっこよくて自分がある、文化を守り、誰もが幸せになる劇場の支配人」だ。てんこ盛り。全部盛り状態。どんどん変えていいです、と言われたので、今さらに整えるなら「上品でかっこよくて自分がある、物語を守る劇場支配人」のほうがしっくりくるかもしれない。
誰もが幸せになる劇場は非課税で毎月五億円もらえるのならめちゃくちゃ作りたい。駅チカで雨にぬれずに来れて、ホールが広くて物販も余裕でできて、マチソワ間に時間をつぶせる広いカフェが併設されてて、お手洗いの数がめちゃくちゃ多くて、音響が良くて、座席のキャパシティが十分にあって、二階席の後方でも見やすくて、どの席でも人の頭に邪魔されることもなくて、座面は腰とお尻に優しい。そんな訪れた人全員が幸せになる夢じゃん!!!という劇場の支配人になりたい。でも「誰かを幸せにしたいから」劇場をつくりたいのではなくて「私が幸せになりたいから」劇場をつくりたいのだ。ついでに誰かが幸せになってくれたらめっちゃうれしい。
文化は守りたい。でも文化というか、物語を守りたい。そして文化は同時に物語でもある。新旧問わない。人の心を、感情を、記憶を、奇跡を、覚悟を、願いを、祈りを尊いものだと讃えて守りたい。そういう強さが欲しい。
強い、という言葉を手に入れたいわけではないのだけど、どうしても「強い女」になっていく。私の中でかっこいい=強いではないのだが、かっこいい≒強いではあると思っている。上品な格好良さが欲しい。そして私はカオスであることと上品さは両立すると思っている。

これからやること

あらゆることが私には足りていない。情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ!そして何よりも──速さが足りない!!そんな感じである。
とにかくまずは知ること。そこから絞り込んでいく。

  • 断服式(9/1)

  • 30日チャレンジ(なににチャレンジするかを詰める)

  • 試着の旅(ハイブランドは怖くない。GUCCIやさしい)

  • おすすめしていただいたブランド総当たり戦

  • 妄想クローゼット作成

  • まずは靴

  • それから鞄

  • そのための貯蓄(演歌バックは皆血の涙を流しながら買っている)

非課税で毎月五億円ほしいです。
ないので仕方ないね。できることから始めよう。ぱんぱんのクローゼットをまずは身軽にする。全身鏡も買ったしね!

あきやさんBIG LOVE……

教室に参加している間、一度もあきやさんは私の在り方も、他のJJGの方の在り方も否定しなかった。すべてに対して「いいですね!」「オッケーです!」「素敵です!!」と褒めて褒めてほめちぎってくれた。自己肯定感は爆上がりである。あとめちゃくちゃ目を見て話してくれる。すみません恥ずかしくって目を見られなくてすみません。でもめっちゃうれしかったです、ありがとうございます。
自分がある、というのはこういうことなんだろうなと思った。自分があるから相手の目を臆さずに見て話せるのだ。こうなりたいな~~~~ととても思った。あと当たり前体操なのだが、お召しになってるお洋服も靴もアクセもめっちゃ可愛い。せ、説得力~~~~~!!!!説得力がすごい~~~~~~~!!!!私もこうなれますか!!??!!??
すごくお話しやすくて、今までこんなこと話したことないな、ってことをたくさん話した気がする。あきやさんすごい。またお会いしたい。その時にはもうちょっとかっこよくなった自分で会いたい。BIG LOVEです……

JJGもBIG LOVE……

今回ご一緒させていただいた方全員、タイプがまったく違っていて、生まれも育ちも環境も価値観もバラバラで、きっとこういうタイミングがなければお話しすることはあまりなかったんじゃないかな? と思うほどだったけど、一緒に真剣に自問自答した時間はめちゃくちゃ濃密で楽しかった。なんというか、戦友感がある。楽しかったです。本当にありがとうございました。日々ツイート(もうポストっていうの?)を見て刺激を受けている。皆違って皆かっこいいのだ。自問自答ガールズの皆さんともっといろいろ話したいなあと心から思った。走っていく方向は違うけど、全員いいゴールにたどり着けるといいよね! と思う。

まとめ

めっちゃ楽しかったし自己肯定感爆上がりするし何かが開眼するから、気になってる人はとりあえず抽選の荒波に負けずに申し込んでそして行って。
ファッションは一日にしてならずだなほんとに、という途方もなさを感じると同時に、わくわくしている自分もいる。
あきやさんは筏とオールの作り方を教えてくれて、大丈夫です! いけます!! と背中をばーんと叩いて送り出してくれるけど、この途方もない大海原を渡っていくのは誰でもない自分なのだ。投げ出さない限り、最後には「実現したい自分」にたどり着ける。ありたっけの夢と妄想と欲望をかき集めてまいりましょう。


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