障害児との生活でシリアスになりすぎないこと

日記を書く宣言をしたのに、昨日は夜、ぶんちゃんの寝かしつけのあと起きることができずさっそくスキップしてしまいました。
そんな日もあります。
毎日書くより長く続けたいです。

世界一可愛い重度知的自閉症児ぶんちゃんを産んで、いっしょに暮らすようになって12年ちょっとになりますが、日々、もっとも大切にしたいと思っているのは、『シリアスになりすぎない』ことです。

ぶんちゃんは12歳ですが、まだオムツをしています。
オムツめちゃくちゃ高い。新生児用とかに比べると、1枚あたりの単価たぶん1.5倍くらい。
とくに泌尿器科的な疾患があるわけでもないし、トイレで用を足す体験も無限にしているので、本人的に、ただトイレに行くのが面倒だから、オムツでしているんだと思います。
学校の先生、学童さんや放デイのスタッフさんの、ぶんちゃんの用を足させる人的コストも大きいでしょう。
本当に申し訳なく感じています。

が、どれだけ親(や先生、スタッフの方々)がトイトレを頑張っても、最終的にオムツで用を足すことを選択しているのはぶんちゃんです。
わたしがどれだけ申し訳なく、情けなく、恥ずかしく思ったとしても、思っただけではぶんちゃんからオムツを卒業させることはできないのです。

なので、ぶんちゃんがオムツの中でいくらしっこやうんこを漏らそうと、それが手や服に付着して被害が大きくなろうと、わたしはシリアスにはなりません。
多少はナーバスな気持ちになりますが、なるだけです。
ここまで書いて思い出しました。
わたしは中学生のころヤングケアラーでした。
だから家族のしもの世話にあまりシリアスにならないのかもしれません。
ひとはうんこを漏らすものです。
タイミングの問題なだけで、それもまた多様性です。

考えてみれば、そもそも重度知的自閉症児を育児しているという状況自体が、ともすればシリアスになりやすい状況かもしれません。
食事、着替え、入浴、排泄、入眠など、生活に関しては全介助。
意思の疎通はおぼろげだし、役所とのやりとりは多いし、毎日たくさんの人達に迷惑をかけながら、ありがとうございますとすみませんを繰り返して12年過ごしていますし、たぶんこれからもそうでしょう。

でも、どんなめんどくさいこと、嫌なこと、恥ずかしいこと、申し訳ないことがあっても、わたしはシリアスにはなりません。
それは、そんなぶんちゃんが、そんなぶんちゃんでも、そんなぶんちゃんだからこそ、可愛くて可愛くて仕方ないからです。
声も、泣き顔も、笑い顔も、あさはかなところも食べてる姿も、甘えてくるところも寝顔も、頑張ってトイレでうんこ出そうとしてるところも、すべて愛くるしい。
シリアスになんかなれません。
だって可愛いんだもん。

もちろん、ひとや他のご家庭にご迷惑がかかるような場合の時は、真摯に、シリアスに考えて、精一杯謝ったり、打開策を考えたりします。
でもぶんちゃんが重度知的自閉症児であること自体はシリアスな問題ではないのです。

オムツは取れるタイミングが来たら取れるだろうし、来なければ取れないってだけです。
言葉は少しずつ、ほんの少しずつ増えていって、なんとかたまーに会話が成立するくらいにはなってきました。
睡眠障害は、依存性のないお薬をかかりつけの先生と相談して処方してもらい、決まった時間から大幅にずれず入眠できるようにしています。

シリアスになろうとならなかろうと、ぶんちゃんは少しずつ成長しているし、しないところはしないのです。
だったらシリアスにならないほうがトクです。
わたしは毎日、今の環境・状況を受け入れながら、バカみたいにゲラゲラ笑いながら生きていたいので、シリアスに考えても意味がないことはシリアスに考えないのです。

ぶんちゃんは今日もとびきり可愛く、お風呂の前にうんこをどっさりしましたとさ(夫からの報告)。

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