私が私を自覚してから,これまでの話

「私」を自覚したとき

私は、いわゆる「いい子」であったんだと思う。
母は、幼いころ、私の聞き分けがあまりに良すぎるために、
心配になって保健センターに何度も「聞き分けが良すぎる」と相談したらしいそんなこともあって、小さいころに褒めてもらった思い出は、「いい子だね」「お利口さんだね」のパターンしか記憶にない。

そんな怒られることを知らない私が歌を意識して歌い始めたのは、小学校1年生の時の音楽の授業がきっかけだった。
合唱を歌っていた時、先生がとても上手、まるで小学校4年生が歌ってるみたいにかっこいいね!!とほめてくれたときだ。

私はあの日の「かっこいい」と言われたあの日から歌がやめられなくなった。

「私」を否定されたとき


合唱クラブへ通い、重唱コンクール、市民ミュージカル・・・。
いつしか歌でお金を稼ぎたくなった。
だが、歌以外の日々は充実しているとは言えなかった。
近所の友達から、ある日突然仲間外れにされた。
クラス替えから、友達と馴染めなくなった。周囲からの毎日の冷たい目。
友達から言われた言葉は「点数稼ぎ女」
私は好奇心旺盛で、勉強も嫌いではなかったから授業もなにからなにまでメモを取っていた.テストは満点が当たり前,おまけに前述したとおり,周囲からは鉄板の「いい子」ちゃんだったわけだから,周囲には点数稼ぎにしか見えなかったのだろう.

最初は母に相談していたが,私は「ある日」を境に相談することをやめた.

「歌を仕事にしたい,アニメの歌を歌いたい」と口にしてからだ.

それまで機嫌のよかった母は10歳の私を泣き叫んで私を叱ったのを,今でも忘れられない.

「いつからそんなふざけた事を言い出すようになったの,しかも,アニメなんて気持ち悪い」

1週間以上,母に話しかけてもそっけない態度をとられ,当時相談していた友達の事もなかったことにされた.

「私は皆が望む人にならなければ,相談事も口にしてはいけないんだ」

同時に小学生までの人生で,マンガだけは自分のお金でも買ってはいけなかったことに気が付かされた.

「私」を堪えきれなくなったとき

私は中学生になって,県内でもそこそこの順位をとるほど勉強に没頭していた.学校から部活,家に帰ってから塾に3時間,また自宅に帰って2時まで勉強が日課だった.

そんな中に転校してきた少女がいた.

彼女は学年5位内をキープする秀才だったが,同時に将来の夢は「声優」と断言している少女だった.

それまでせっせと「いい子」になるべく昼夜努力していた私の概念は色々とぶっ壊された.勉強ができる「いい子」なのに,いい子じゃない夢を語ってもいいものなのか!?しかも中学生だぞ!?

歌をやりたい気持ちは止められることができなくなっていた.


「私」が「桜花」になった時

とはいえ,両親に堂々と歌をやると言うなど不可能.どうしたものか.悩んでいた時,アニメが好きな人同士で話していたのは当時全盛期だったボカロをカバーする素人の歌手「歌い手」の話

(私はアニメなど好きではない風を装っていたので,盗み聴きである)

マイクとPCがあれば,誰だって歌手になれる最高のツール.

私は夜早く寝る両親をかいくぐり,英会話用のヘッドマイク(○研ゼミ付録)を使って見よう見まねで動画を作った.

HNは,特攻機の桜花から,猪突猛進で始めたことと絡ませてたような・・・・どちらかというと桜が好きだからそれに関連させたような,特に深い意味のないHNだった.

でも,これをきっかけに私はネット世界で友達を作った.

中学でこそガリ勉はやめられなかったが,高校へ進学すると,今は亡きこえだけを投稿するサイトを中心に,歌を投稿しまくり,ネットで友達を増やした.

歌もデイリーランキングに入ったりと上々だった.

でも,桜花としての日々は3年そこらで終わっている.


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?