小山田さんを"たたく"とは

小山田さんの親族や周辺の人にまで誹謗中傷している輩は論外として、自分が犯した性暴力や相手の尊厳を破壊するような行為を含んだいじめの過去を当人に謝罪もしないままヤンチャ自慢のように取材で物語って現在、その事が問題視されてバッシングを受けていますが(吐きそうなくらい他人に使うべきではないと思う嫌いな言葉ですが)自業自得以外に思い当たらないように思います。その上で、恐らく小山田さんの音楽に今まで親しんでいたらしき人が、

「もう今反省と謝罪のコメント出したしいいじゃないか」
「何十年も過去の過ちなんてほじくり返すな」
「100%善い人間なんていないのに偽善者ぶって外野がやいやい非難するな」

という具合に擁護していました。


 僕は偽善という言葉の中にも、『やるべき偽善とやってはいけない偽善』のグラデーションがあると思っていて、今回挙げた言葉の数々はやってはいけない薄っぺらい上に二次被害のある偽善を含んだ発言だと思います。

 それは端的に言って、被害者の方や周辺の側に全く寄り添ってないからです。まずこの小山田氏のいじめ(性暴力犯罪と暴力)を受けた方はご存命ならば今現在50代になる年齢まで何十年も謝罪されずにいました。

 加えて94年のロッキング・オン・ジャパンや95年のQuickJapanに自分のいじめた経験を語っています。先日の声明で「直接謝罪したい」と話している事から94年当時は当然、謝罪も和解もしていない状態で被害者の方の許可も取らずに雑誌に発言したということです。この記事を見た当時の同級生の何人かはきっと誰のイジメのことを言っているかは分かるんでしょう。

 そして今回のオリンピックの件でその記事の内容が取り沙汰される。分かりますか?まだ本人の中で区切りがついてない(かもしれない)壮絶な過虐の記憶がこの瞬間にも何度も甦っては心身を傷つけてる可能性があるんです。僕達は想像してはうなだれるしかありません。被害者の方が良き出会いや言葉に救われて、運良く傷を癒されてることを願うしか僕達にはできません。


 ただ、小山田さんをその他大勢の他人が人格を否定するぐらい過激に攻撃するのも大人のすることではないとも思います。その構造を批判するのは妥当だとも思いますが、(冷笑っぽくて嫌いですけど。それを言うなら僕も冷笑してますね)。普段はそういった政治やスキャンダルに反応しないミュージシャンの人が今回はこういった反応をしたところを見ると、小山田さん本人に対する同情の念以上に自分が影響を受けた文化を否定された気分になってるのでそれに対する防御反応を示しているというふうにみえます。僕にもその気持ちはよく分かります。

 しかし、Twitterのような少ない文字数で「何年前の話してんだよw」「小山田の事知らなかったくせに左翼が叩きたいだけ」的な軽率な擁護は彼が行ったまだ直接謝罪もしていない暴力行為の事実をふわふわさせるだけでなく、被害者を更に蔑ろにする行為だと僕は思います。ですので小山田さんの行った事を矮小化することで小山田さん叩き("たたく"という言葉の意味も結構雑で悪質)をかんたんに冷笑してつぶやくという事を僕はしません。手垢だらけの言葉ですが、いじめられた側はいじめられた事を簡単に忘れる事はありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?