自分の持ち物でもっとモノ申していい

 オリンピックが開催されます。
 開催する側の言い分に納得した人はどれほどいるのでしょうか。主要なメディアが発表した世論調査などを見ると明らかに反対してる人は僕を含め大多数いますが、選手・関係者は日本に来たし、オリンピックに伴い大規模な交通規制がかかり、緊急事態宣言下に関わらずお偉い方々が40人ほどで大宴会を開きました。声をあげなければ過去に壮絶な障害者いじめを自慢げに語った人間がパラリンピックも含む大会の音楽提供をするところでした。

 コロナ禍で国民には我慢や負担を強いる一方、権力者達は自分達のやりたい事を力技で押し通す現状。そんな状況でも政治や社会問題に関心が持てない同世代の人々にも僕は怒りをも感じるようになりました。

 ある音楽関係の友人が「ミュージシャンは政治態度を表明するべきって風潮にイライラする。そういう意思を示せる人をすごいとは思うけどこっちに押し付けてこないでほしい。自分の音楽を純粋に楽しんではいけないのだろうか?」というような主旨のツイートをしました。僕はとても複雑な感情になりました。半分正しいし、もう半分は正しいかもしれないけれど幾分か幼稚な意見ではないかと思ったからです。

 自分の『音楽』というのは言ってしまえば自分の『やりたい事』として当てはめる事が出来ると思いますが、自分のやりたい事をやりたいという欲望は全く健全であり、日本の憲法で人権として保障されてるものです。同時に他者に言動を強制や抑圧をされないなど、言わば自分のやりたくない事をやりたくないと言える権利も保障されています。ですので基本的には彼の言い分はほぼほぼ正しい。

 しかし1つだけ。日本人の義務として遵守しなければならない事があります。それは憲法12条に記されている、

『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。』
※引用Wikipedia

という事です。つまり自分たち国民の尊厳や自由を守る憲法自体を僕たち自身で一生懸命(≒不断の努力)守る義務がある。そこが彼の言い分に賛同できない理由となります。

 「俺は日々の生活に必死なんだ!そんなの知ったことか」という応答があったとして、その意見は受け入れられる余地はあると思います。不断の努力の裁量は人それぞれだからです。オリンピック選手にも政治的態度を求めようとする人に対して同様に「アスリートは自分の競技に集中すればいい」という意見が出ました。求める側の態度もいかがなものかと思いましたが、やはり僕はアスリートを擁護する側にも納得いきません。

 なぜなら一連の発言を僕は表現者やアスリート、そして自分自身の責任を解除してる言動だと感じたからです。もっと言えばそれは『何も知らないお子様』として扱ってほしいという甘えに感じます。偉そうなこと言ってすみません。

 自分さえ気楽でノンストレスで過ごせたらそれで良い。自分は社会に文句言わないから俺の心を、アイデンティティを傷つけないでほしい。そんな考えの人達だらけだとあっという間に僕たちの自由は権力者に食べられてなくなってしまいますし、既にかなりの範囲を食い散らかされているんです。この国で生活してるだけで(税金はどんどん吸われてるし)僕達は自由に振る舞える権利を有してる。と同時にその自由を、加えてその前提としての平和を守るように想いを託されています。そういう憲法なんです。

 彼のライブを久しく観れてませんのでもしかしたらステージ上で思いの丈を語ってるかもしれませんし、他のフォローしてる方々もSNS以外で何か語っているかもしれない。ツイッターはたかがツイッターですから。どこでもいいからもっと気軽でユーモラスに、しかし真摯に自分達の今までの暮らしの反省やこれからの暮らしについて語りあう必要があるのではないかと思います。

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