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第2話 賛美歌で朝食を

ミッション系女子大学学内寮の朝は賛美歌で始まる。
もう30年も昔の事なので、正確な時間は忘れてしまったが、朝食の時間は確か7時だった。1年生から4年生まで、全員が食堂に集まり、7時きっかりに寮母さんがベルをチーンと鳴らす。レストランの受付などに置いてある、店員さんを呼ぶあの卓上ベルだ。そのベルの音を合図に上級生が賛美歌のワンフレーズを歌い、その後に全員が続く。最後にアーメンと歌い終わると朝食が始まるのだ。
この賛美歌、毎朝同じものではない。食前の賛美歌は3種類あり、毎日どれが歌われるのか分からない。どの賛美歌にするのかは恐らく係の上級生が決めていたのだろうが、1年生の私には知る由もなかった。
どうやらミッション系の寮にとって、この朝の賛美歌は最重要任務の一つであるらしく、入寮して一番最初に教えこまれたのが賛美歌だった。因みに、昼と夜は歌わない。それぞれが自分の好きな時に食事をするからだ。
最初の晩、初めての夕食が終わるとすぐ新入生全員が集められる。そこには上級生が数名いて、新入生を複数のグループに分け、3つの賛美歌を叩き込んでいく。
明日の朝には歌ってもらわないといけないから、必ず今日中に覚えて下さい。
真剣な顔でそう告げる上級生を見て、キリスト教とは無縁だった私は居心地の悪い思いがした。

日ごとの糧
与えたもう
神のみ名を
あがめん
アーメン

30年たとうが40年たとうが忘れない、この詞。
神のみ名をあがめん
アーメン
クリスマスをプレゼントの日くらいにしか思っていない私が、そんな言葉を口に出していいのか。不敬ではないのか。
特にアーメンのハードルは高かった。恥ずかしさと申し訳なさが混ざって、アーメンと言おうとすると口がムズムズする。
仕方がないので、とりあえず最後まで歌って、最難関のアーメンだけはごにょごにょとごまかす事にした。

寮では1年から4年までが共同生活をしているが、割合としては1年生が圧倒的に多い。右も左も分からない土地にいきなり一人暮らしは心配だからだろう。本人も、そして何より親が。
因みに寮生には2種類いる。親の経済状況や様々な負担を鑑みて、自ら寮に入る事を決めた子。一人暮らしをさせるのは不安だ、或いは心配だと、親に放り込まれた子。私は後者だ。この不安だ、心配だ、には様々な理由がある。私の場合は、それまで全く家事をした事がないのに、一人暮らしをさせたら餓死するに違いないというのが一番の理由だったようだ。今思えば失礼な話だが、当時はごもっともと思っていた。
1年生は人数が多いため、1年生のみの専用寮に入る。部屋は2人か3人の相部屋で、3部屋をまとめて1つの班となっている。その班ごとに食堂のテーブルが決まっているのだが、私達の班は寮母さんと同じテーブルだった。
寮には住み込みの寮母さんが2人いた。長期の休暇以外はずっと学生と共に生活をしている。今になると大変な仕事だと頭が下がるが、寮母さんは寮生達に蛇蝎のごとく嫌われていた。寮母さんも、年中怒っていた。何十人もの女子大生を預かって、責任は重大である。厳しくせざるを得なかったのだろう。
初日の夕食で、寮母さんと同じテーブルと分かった時には特に何とも思わなかったが、アーメンをごにょごにょとごまかすには、少し気まずい気がした。
しばらくすると、寮母さんと同じテーブルの朝食にはデメリットしかない事が分かってきた。朝食は7時から。大学の授業は8時半から。そして寮から教室まで徒歩5分。若くて忙しい花の女子大生は、出来る限りギリギリまで寝ていたい。朝ごはんなんて抜いたって構わないのだ。
日が経つにつれ、他のテーブルの1年生達は1人、また1人と顔を現さなくなり、毎朝テーブルに着くメンバーは固定化されてきた。寮母さん達は空席を見て渋い顔をするものの、誰が来ていないのかを毎回チェックする程ではなかった。しかし同じテーブルとなると話は別だ。毎度名指しで怒られ、同じ部屋のメンバーに呼びに行かせたりする。私と同じ部屋の1人が何度か寝坊し、その度に私は彼女を呼びに行かされた。面倒臭くなった私は、布団に貼り付いている彼女を引きはがすようにして、朝食に引っ張っていく事にした。彼女は寝ぐせで爆発したドリフ頭のまま、寮母さんの目の前で白目を剥いている。寮母さんは思わず笑う時もあれば、厳しく叱責する時もあった。人が怒ったり怒られたりするのを目の前で見ているのは、割としんどい。白目の彼女をひやひやしながら見ていると、そちらに気を取られ、賛美歌の内容が全く入ってこない。そうして半分上の空で毎朝賛美歌を歌っているうち、いつの間にか私は何の躊躇いもなく神のみ名を崇め、平気な顔でアーメンを唱えるようになっていた。慣れとはつまり、内容を失う事なのだ。
因みに寝ぼけている彼女も賛美歌は完璧だった。白目を剥いてアーメンまで完璧に歌う。一言一句間違えない。
こうして1ヶ月もしないうちに、ベルがチーンと鳴ったら賛美歌が口をついて出る、敬虔なパブロフの犬が大量に出来上がるのである。

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