「法句経」を学ぶ(3)

       

       【仏の道:遠望・近見】 (99)
        「法句経」を学ぶ(3)



          第三 心の部 
  三三  心は輕躁動轉し護り難く御し難し、智者は之を正しくす、
    猶ほ弓匠の箭に 於けるが如し。


                第3章 心 
33  心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを
  直くする。弓師が矢の弦を直くするように。 
              

   三四  水の住處より取り出され、陸に投ぜられたる魚の如く、
    魔の支配を逃れん として我等の心は戰慄す。

34  水の中の住居から引き出されて陵の上になげすてられた魚のように、
  この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。

   三五  輕く止め難き、恣まゝなる心の調伏善い哉、
    調伏されたる心は樂を引く。

35  心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心を
  おさめることは善いことである。心をおさめたならば安楽をもたらす。

   三六  甚だ見難き、甚だ微細なる、
    恣まゝなる心を智者は護るべし、護られたる 心は樂を引く。
 

36  心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。
  英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。

  三七  遠く去り、獨り行き、身なき、密處に隱るゝ心を
    能く制御する人は魔の縛 を脱のがる。 

37  心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。
  この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。 

  三八  心安住せず、正法を知らず、信心浮動すれば智圓滿せず。
 
38  心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されない
  ならば、さとりの智慧は全からず。

   三九  心の貪著を離れ、思慮擾亂せず、
    已に罪福よしあし(の想)を離れ、
    覺悟せる人には怖畏あることなし。
 

39  心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪の
   はからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。

   四〇  此の身は瓶の如しと觀、此の心を城の如く安住せしめ、
    慧の武器を以て魔 と戰ひ、彼の捕虜を守り懈廢すること勿れ。
    瓶―身の危脆なるを譬へたるなり。


40  この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城廓のように
  (堅固に)安立して、知慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たもの
  を守れ。しかもそれに執著することなく。 

  四一  嗟、此の身久しからずして地上に横たはらん、
    神識逝けば棄てられ、猶ほ無用の材の如けん。

41  ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう、意識を失い、
  無用の木片のように、投げ棄てられて。

   四二  怨が怨に對して爲し、敵が敵に對して爲す處は如何なりとも、
    邪に向ふ心の造る害惡に若くものなし。

42  憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、
  どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心は
  それよりもひどいことをする。 

  四三  母、父、また其他の親戚の爲す所は如何なりとも、
    正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。

43  母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらにすぐれたことを、
  正しく向けられた心がしてくれる。

               【感想と考察】

 心はいかに移ろい易いものであることか。常に動き、落ち着くことがない。菩薩心に目覚めたものは、何よりもまず、この心を正しく制御すべきことを教示されている。

心は常に動揺し、守り難く、抑え難い。欲情のままに動くからである。心が落ち着かないと正しい法は理解できない。心を固め、智慧を武器として魔王の呪縛から脱した目覚めた智者は、心を正道に向け大きな善をなす。

釈尊は、一つ一つ、順を追って、その理を説かれる。この章の教えの大要は、こういうことであろうか。目覚めた智者は、父母・肉親が我が身に寄せてくださったものより遥かに優れた大きな善を為す、とは!

 ”正道”の誤ることのない絶対性を強調されたものであろう。それは、「心に煩悩なく、思慮に迷いなく、善悪を超越した目覚めた智者の境地」(39節)である 

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