「帰依三法」を学ぶ(12)

【仏の道:遠望・近見】 (157) 

「帰依三法」を学ぶ(12)


   未曾有経に云く、
   「仏 言はく、過去 無数劫の時を憶念するに、
   毗摩大国徙陀山の中に、一の野干あり。
   而も師子の為に逐はれて、食はれなんとす。


 未曾有経には次のように説かれている。
「仏(釈尊)は言われた、遥か遠い昔、毗摩大国の徙陀山の山中に一匹の狐がいた。ある日、その狐は獅子(ライオン)に追われて食われそうになった。

   奔走して井に堕ち、出づること得る能はず。
   三日を経るに開心して死を分へ、而も偈を説いて言はく、


 彼は逃げ回って井戸に落ち、出られなくなった。そうして三日がたち、彼は死を覚悟して次のような詩句を唱えた。

   「禍ひなる哉、今日 苦に逼られて、
   便ち当に命を丘井に没せんとす。
   一切万物 皆 無常なり、恨むらくは身を以て
   師子に飴らはさざりしことを。南無帰依十方仏、
   我が心 浄にして己れ無きことを表知したまへ。」

 「なんという災難であろうか。私は今日にも苦しんで、井戸の中で命を落とすことであろう。この世のすべてのものは皆無常である。今になって残念に思うことは、この身を飢えた獅子に施して食わせなかったことである。私は心からすべての仏たちに帰依いたします。どうか私の心に汚れなく私心のないことをお察しください。」と。

   時に天帝釈、仏の名を聞いて粛然として毛 豎ち、古仏を念ふ。
   自ら惟ふらく、
   「孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈没す。」と。


 その時に帝釈天は、仏の名を称える声を聞いて粛然として毛が立ち、いにしえの仏たちのことを思った。そして自らを省みて、「私は孤独で導いてくれる師も無く、様々な欲に引かれて自ら欲に溺れている。」と思った。

   即ち諸天八万衆と与に、飛下して井に詣り、問詰せんと欲ふ。
   乃ち野干の井底に在りて、
   両手もて土を攀づれども出づること得ざるを見る。


 そこで八万の様々な天神たちと共に、下界に飛び下りて井戸に行き、声の主に教えを問いただそうとした。すると狐が井戸の底にいて、両手で土を攀じ上ろうとしても出られない様を見た。

   天帝、復自ら思念して言はく、
   「聖人応に方術無からんと念ふべし。
   我今 野干の形を見ると雖も、斯れ必ず菩薩にして凡器に非ざらん。
   仁者向説するは凡言に非ず、
   願はくは諸天の為に法要を説きたまへ。」


 そこで帝釈天はまた次のように考えた。
「この聖人は、おそらく井戸を抜け出す方法は無いと観念しているのであろう。私は今、狐の姿を見ているが、これはきっと菩薩であり、凡庸な器量の持ち主ではない。」と。 そこで彼に呼び掛けた。「あなたの先ほどの言葉は凡人の言葉ではありません、どうか我等多くの天神のために仏法の要旨を説いてください。」と。

   時に野干、仰いで答へて曰く、
   「汝、天帝として教訓無し、法師は下に在りて自らは上に処る、
   都て敬を修せずして法要を問う。
   法水清浄にして能く人を済ふ、
   云何が自ら貢高なることを得んと欲ふや。」


 その時に狐は井戸の底から仰いで答えた。
「あなたは帝釈天でありながら教養が身についていません。何故なら法を説く師が下に居り、あなた自身は上にいて、師に対してまったく敬意なく法を尋ねているからです。仏法の甘露の水は清浄でよく人々を救うものです。あなたはどうして自ら尊大に構えたがるのですか。」と。

   天帝、是を聞いて大いに慚愧す。
   給侍の諸天 愕然として笑ふ、
   「天王 降趾すれども大いに利無し。」と。


 帝釈天は彼の言葉を聞いて深く自らを恥じた。それを聞いたお供の天神たちは驚いて笑って言った。「はるばる天界の王が天から降りてやって来たが、大して利益はなかった。」と。

   天帝、即時に諸天に告ぐ、
   「慎んで此れを以て驚怖を懐くこと勿れ、
   是我 頑蔽にして徳 称はず、必ず当に是に因って法要を聞くべし。」


 帝釈天は、そこで諸々の天神たちに告げた。
「天神たちよ、決してこのようなことで驚いてはいけない。これは私が愚かで徳が無いからである。必ず彼から法を聞かねばならない。」と。

   即ち為に天の宝衣を垂下して、野干を接取して上に出だす。
   諸天 為に甘露の食を設け、野干 食することを得て活望を生ず。


 そこで、狐のために宝玉をちりばめた天衣を下げ降ろし、狐を引き上げて井戸の上に出した。そして天神たちは狐のために御馳走を設け、狐は食べることによって元気を取り戻した。

   意はざりき、禍中に斯の福を致さんとは。
   心に踴躍を懐きて慶ぶこと無量なり。
   野干、天帝及び諸天の為に、広く法要を説く。


 狐は災難の中でこのような福が得られるとは思いもしなかったので、心は勇躍し喜びは無量であった。そこで狐は、帝釈天や多くの天神たちのために、様々に仏法を説いたのである。」と。

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