「帰依三法」を学ぶ(10)

【仏の道:遠望・近見】 (155) 

「帰依三法」を学ぶ(10)

   この龍女、むかしは毗婆尸仏の法のなかに、
   比丘尼となれり。
   禁戒を破すといふとも、仏法の通塞を見聞すべし。

 この竜女は、昔、毘婆尸仏の教えによって出家し尼僧となった。出家の禁戒を破ったが、きっと仏法の消息を見聞したことであろう。

   いまはまのあたり釈迦牟尼仏にあひたてまつりて、
   三帰を乞受す。ほとけより三帰をうけたてまつる、
   厚殖善根といふべし。


 そして今 竜女は直接 釈迦牟尼仏にお会いすることが出来て、自ら三帰依(仏陀、仏法、僧団に帰依すること)を願って受けた。かように、仏から三帰依を受けることが出来たのは、多くの善根を植えていたおかげといえよう。

   見仏の功徳、かならず三帰によれり。われら盲龍にあらず、
   畜身にあらざれども、如来をみたてまつらず、
   ほとけにしたがひたてまつりて三帰をうけず、
   見仏はるかなり、はぢつべし。

 仏にお会い出来るという功徳は、必ず三帰依によって得られる。我々は盲目の竜でも畜生の身でもないのに、仏にお会いすることもなく、仏に従って三帰依を受けることもなく、仏にお会いする縁が遠い、これを恥なければならない。

   世尊みづから三帰をさづけまします。
   しるべし、三帰の功徳、それ甚深無量なりといふこと。
   天帝釈の野干を拝して三帰をうけし、
   みな三帰の功徳の甚深なるによりてなり。

 世尊(釈尊)は自ら竜女に三帰依を授けられた。三帰依の功徳は甚だ深く無量であることを知るべし。帝釈天が野狐を礼拝して三帰依を受けたのも、すべて三帰依の功徳が甚だ深い故である。

   「仏、迦毗羅衛尼拘陀林に在りし時、
   釈摩男、仏の所に来至して、是の如くの言を作して云く、
   「何をか名づけて優婆塞と為す也。」

 「仏(釈尊)がカビラエ国のニクダ林に居られた時に、釈迦族の摩訶男(マカナン)が仏の所にやって来て、次のように尋ねた。「どのような人を優婆塞(仏道に帰依し五戒を守る在家信者)と呼ぶのでしょうか。」

   仏 即ち為に説きたまふ、
   「若し善男子 善女人有って諸根完具し、三帰を受けん、
   是を即ち名づけて優婆塞と為す。」

 仏は摩訶男のために説かれた。
「善良な男女で諸根(感覚器官である眼 耳 鼻 舌 身 意の六根)を満足に具え、三帰依を受けた人を優婆塞と呼ぶ。」

   釈摩男 言はく、
   「世尊、云何が名づけて一分の優婆塞と為すや。」


 さらに摩訶男は尋ねた。
「世尊よ、それではどのような人を優婆塞の仲間と呼ぶのでしょうか。」

   仏 言はく、
   「摩男、若し三帰を受け、及び一戒を受けんには、
   是を一分の優婆塞と名づく。」

 仏は答えた。
「摩訶男よ、三帰依を受け、そして在家の五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)の中の一つを受けたならば、この人を優婆塞の仲間と呼ぶのである。」と。

   仏弟子となること、かならず三帰による。
   いづれの戒をうくるも、かならず三帰をうけて、
   そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、
   三帰によりて得戒あるなり。

 このように、仏弟子となる者は、必ず三帰依を受けるのである。どの戒を受けるにも、必ず三帰依を受けてから、その後に諸戒を受けるのである。それ故に、三帰依によって戒が得られるというのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?