「行持」を学ぶ(4)

【仏の道:遠望・近見】 (163) 

「行持」を学ぶ(4)


   第八祖 摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり。
   生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。


 第八祖 摩訶迦葉尊者(マカカショウソンジャ)は、釈尊の法を継がれた方である。生前には、専ら十二頭陀という欲を捨てた生活を行い、決して怠ることがなかった。

   十二頭陀といふは、
   一つには、人の請を受けず、日に乞食を行ず。
   亦比丘僧の一飯食分の銭財を受けず。


 十二頭陀とは、次のような生活法である。
 一つには、人から食事に招かれても それを受けず、日々人々に食を乞うて生活する。また僧の一食分の金銭も受け取らない。


   二つには、山上に止宿して
   人舎郡県聚落に宿せず。

 二つには、山の上に宿泊し、人家や土地の集落には宿泊しない。

   三つには、人に従って衣被を乞うことを得ず。
   人の与うる衣被も亦 受けず。
   但丘塚の間の死人の棄つる所の衣を取って、
   補治して之を衣る。


 三つには、人に衣服を乞い求めず、また人の与える衣服も受け取らない。ただ丘の墓場に捨ててある死人の衣服を取って、繕い直して着る。

   四つには、野田の中、樹下に止宿す。

 四つには、野の畑の中や樹の下に宿泊する。


   五つには、一日に一食す。
   一(アルイハ)は僧迦僧泥と名づく。


 五つには、一日に一回だけ食事をする。
 これを僧迦僧泥と呼ぶ。

   六つには、昼夜不臥なり、
   但坐睡経行す。一(アルイハ)は僧泥沙者傴と名づく。


 六つには、昼夜に亘って横臥せず、ただ坐して眠り、または静かに歩いて過ごす。これを僧泥沙者傴と呼ぶ。

   七つには、三領衣を有ちて余衣有ること無し。
   亦 被中に臥せず。


 七つには、三枚の衣(袈裟)だけを持って、他には衣を持たない。また布団の中には寝ない。

   八つには、塚間に在んで仏寺の中に在まず、
   亦 人間に在まず。目に死人の骸骨を視て、坐禅求道す。


 八つには、墓場の辺りに住んで、寺の中には住まず、また人の中に住まず。死人の骸骨を見て、坐禅して修行をする。

   九つには、但独処を欲いて人を見んと欲はず。
   亦 人と共に臥せんと欲はず。


 九つには、ただ独りでいることを願って、人に会おうと思わない。また、人と共に寝ようと願わない。

   十には、先に果蓏を食し、却りて飯を食す。
   食し已りて、復果蓏を食することを得ず。

 十には、まず木の実や草の実を食べ、その後でご飯を食べる。
食べ終わってから、また木の実や草の実を食べない。

   十一には、但露臥を欲って樹下屋宿に在まず。

 十一には、ただ野宿を願って、樹の下の小屋には住まない。


   十二には、肉を食せず、
   亦 醍醐を食せず。麻油を身に塗らず。

 十二には、肉を食べず、また乳製品を食べない。
 麻油を身体に塗らない。


   これを十二頭陀といふ。
   摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不転なり。
   如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし。


 これを十二頭陀と言う。摩訶迦葉尊者は、よく一生の間これを守り通した。釈尊の正法を受け継いだ後も、この頭陀を止めることはなかった。

   あるとき、仏言すらく、
   「なんぢすでに年老なり、僧食を食すべし。」

 ある時、釈尊は迦葉尊者に言いました。「あなたは、もう老年なのですから、修行僧の食事を食べなさい。」と。

   摩訶迦葉尊者いはく、
   「われもし如来の出世にあはずば、辟支仏となるべし。
   生前に山林に居すべし。
   さいはひに如来の出世にあふ、法のうるほひあり。
   しかりといふとも、つひに僧食を食すべからず。」
   如来 称讃しまします。

 迦葉尊者は答えた。
 「私が、もし如来に出会わなかったならば、独りで悟りを求める修行者になって、一生山林に住んでいたことでしょう。幸いにも如来に出会い、法の潤いを得ることが出来ました。しかし私は、最後まで僧の食事を食べることはありません。」と。釈尊は、迦葉尊者の志を褒めたたえた。

   あるいは迦葉、頭陀行持のゆゑに形体憔悴せり。
   衆みて軽忽するがごとし。


 又、迦葉尊者は、厳しい頭陀行のために、身体が痩せ衰えた。他の僧たちは、その姿を見て尊者を軽んじているようであった。

   ときに如来、ねんごろに迦葉をめして、
   半座をゆずりまします。
   迦葉尊者、如来の座に坐す。


 その時に釈尊は、懇ろに迦葉尊者を招いて、自分の座を半分譲られた。
迦葉尊者は、釈尊の座に坐られた。

   しるべし、摩訶迦葉は仏会の上座なり。
   生前の行持、ことごとくあぐべからず。


 知るべし、このように摩訶迦葉尊者は釈尊の僧団の長老なのである。
その生前の行跡は数えきれぬものがある。

              【語義と解釈】

 世尊に続いて第八祖・摩訶迦葉尊者の行持が紹介される。

 摩訶迦葉尊者は、釈尊十大弟子の一人で梵語で Mahākāśyapa(摩訶迦葉) 釈尊の死後、初めて行われた結集(経典の編纂事業)で座長を務めたことから「頭陀第一」と尊称されている。衣食住に囚われることなく清貧の修行を行ったことで知られる。バラモンの修行をしていたが、王舎城と那荼陀(ナーダダ)村の間にある一本のニグローダ樹下に坐していた釈迦と出会い仏弟子となった。摩訶迦葉、摩訶迦葉波、迦葉、迦葉波などと呼ばれることも多い。

◯ 頭陀:梵語 dhata の音写。衣食住に関わる貪欲や執着を振り払う行状
    いう言葉である。これに12頭陀があるとされる。
    仏教では比丘たちの厳しい戒律に取り入れられているものが多い。

◯ 聚楽:梵語 gama の音写、村のこと。

◯  僧迦僧泥:梵語 ekasanika の音写。「受一食法」と訳する。

◯ 僧泥沙者傴:梵語 naisadika の音写。「但坐不臥」と訳する。

◯  果蓏:木や草の実のことであるが、古くは、これを菓子とした。

◯ 醍醐:梵語 manda の音写。牛乳で製造された珍味。
     最上のものとされる。
◯  辟支仏: 梵語 pratyeka budda の音写。縁覚または独覚とも言う。
     自然に、しかも独自に証悟したことをいう。

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