「弁道話」を学ぶ(11)

[ 坐禅しなくとも悟れるではないか ]

といていはく、
「乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑを
ききて道をさとり、あるいははなのいろをみて
こころをあきらむるものあり。
いはんや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、
阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし。
のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、
一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。
かれらかならずしも、
かつて坐禅辨道せるもののみならんや。」

問うて言う、
「インドや中国に於ける古今の先人の足跡を聞くと、ある人は竹の声を聞いて道を悟り、又、ある人は花の色を見て心を明らかにしている。まして釈迦大師は、明星を見た時に道を悟り、阿難尊者は、説法の旗竿が倒れたところで法を明らかにした。そればかりか、六代大鑑禅師から後の五家の中でも、わずかな言葉の下に心を明らかにした者は多い。彼らは必ずしも、以前に坐禅修行した者ばかりではないだろう。」

しめしていはく、
「古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、
ともに辨道に擬議量なく、
直下に第二人なきことをしるべし。」

教えて言う、
「古今に、花の色を見て心を明らかにしたり、竹の声を聞いて道を悟ったその人は、共に仏道精進に於いて是非を推し量る心がなく、直下に余人のないことを知るべし。」

【 我が国人もなお証得し得るか 】

とうていはく、
「西天および神丹国は、人もとより質直なり。
中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、
いとはやく会入す。我朝は、
むかしより人に仁智すくなくして、
正種つもりがたし。
番夷のしからしむる、うらみざらんや。

問うて言う、
「インドと中国は、人間がもともと正直である。中華という文化の開けた大国なので、仏法を教化するにしても、すぐに会得する。しかし、我が国は、昔から人に情けや智慧が少なく、正法の種子の広がりにくい所である。遠地の未開人のためであり、残念なことであるまいか。

又このくにの出家人は、
大国の在家人にもおとれり。
挙世おろかにして、心量狭小なり。
ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。
かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、
たちまちに仏法を証得せんや。」

又、この国の出家人は、大国の在家人よりも劣っている。世の人は皆 愚かで心は狭小である。深く世間の功利に執して、うわべの善を好む。このような者たちが仮に坐禅したとしても、すぐに仏法を悟るものであろうか。」

しめしていはく、
「いふがごとし。わがくにの人、
いまだ仁智あまねからず、
人また迂曲なり。
たとひ正直の法をしめすとも、
甘露かへりて毒となるぬべし。
名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。

教えて言う、
「その通りだ。我が国の人は、まだ情けや智慧が行き渡らず、人の心はねじけている。たとえ正しい法を教えても、甘露はかえって毒となることであろう。名利には向かいやすく、迷執からは離れ難い。

しかはあれども、仏法に証入すること、
かならずしも人天の世智をもて
出世の舟航とするにはあらず。
仏在世にも、てまりによりて四果を証し、
袈裟をかけて大道をあきらめし、
ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。
ただし、正信のたすくるところ、
まどひをはなるるみちあり。

しかしながら仏法を悟ることは、必ずしも人の世間的智慧をもって解脱の舟とするわけではない。釈尊が世に在りし時にも、手まりで頭を打たれて四果の悟りを得た人や、戯れに袈裟を着けた縁で大道を明らかにした人がいたが、皆、暗愚な者、狂痴な者であった。しかしながら正しい信心に助けられて、迷いを離れる道を得たのである。

また、癡老の比丘黙坐せしをみて、
設斎の信女さとりをひらきし、
これ智によらず、文によらず、
ことばをまたず、かたりをまたず、
ただしこれ正信にたすけられたり。

又、説法を請われた愚かな老僧が黙って坐っているのを見て、供養を設けた女性が悟りを開いた。これは智慧によるものでも、経文によるものでも、言葉を聞いたからでも、話を聞いたからでもない。ただ正しい信心に助けられたのである。

また釈教の三千界にひろまること、
わづかに二千余年の前後なり。
刹土のしなじななる、
かならずしも仁智のくににあらず、
人またかならずしも利智聡明のみあらんや。

また釈尊の教えが全世界に広まったのは、わずかに二千余年前後のことである。その国土はさまざまで、必ずしも情けや智慧のある国ばかりではなく、人も又必ずしも理智聡明の者ばかりではない。

しかあれども、如来の正法、
もとより不思議の大功徳力をそなへて、
ときいたればその刹土にひろまる。
人まさに正信修行すれば、
利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。

しかしながら、如来の正法は、もともと不思議な大功徳力を備えていて、時至ればその国土に広まる。また人は、まさに正しい信心を起こして修行すれば、賢い人も愚かな人も区別なく、等しく悟りを得るのである。

わが朝は、仁智のくににあらず、
人に知解おろかなりとして、
仏法を会すべからずとおもふことなかれ。
いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。
ただ承当することまれに、
受用することいまだしきならし。

我が国は、情けや智慧のある国ではないが、人の理解力が劣っていて仏法を理解できないと思ってはならない。まして人は皆、悟りの智慧の種子を豊かに持っている。ただそれを会得することが稀なので、それを使用することがまだ出来ないだけなのである。

.【結語】

さきの問答往来し、
賓主相交することみだりがはし、
いくばくか、はななきそらには
なをなさしむる。
しかあれども、このくに、
坐禅辨道におきて、
いまだその宗旨つたはれず。
しらんとこころざさんもの、
かなしむべし。

これまでの問答は、自ら問うて又答えてと乱雑なものだ。どれほど花のない空に花を見させたことができたであろうか。しかしながらこの国は、坐禅修行に於いてまだその教えが伝わっていない。それを知ろうと志す者は悲しむべきではないか。

このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、
明師の真訣をしるしとどめて、
参学のねがはんにきこえんとす。
このほか、叢林の規範および寺院の格式、
いましめすにいとまあらず、又草々にすべからず。

 このために、少しばかり外国の見聞を集め、正法に明るい宗師の秘訣を記して、仏道を学びたい人に伝えているのである。この他の、禅道場の規範や寺院の規則については、今教える余裕はない。又それらは、簡略に済ませるべきものでもない。

おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、
雲煙はるかなれども、欽明用明の前後より、
秋方の仏法東漸する、
これすなはち人のさいはひなり。
しかあるを、名相事縁しげくみだれて、
修行のところにわづらふ。

およそ我が国は、大海の東方に位置していて、釈尊のおられたインドから遙か遠い国であるが、欽明、用明天皇の前後から、西方の仏法が伝来したことは、人々の幸せであった。だがその仏法の教えと実践は多様で入り乱れ、修行に悩んだ。

いまは破衣綴盂を生涯として、
青巌白石のほとりに茅をむすんで、
端坐修練するに、
仏向上の事たちまちにあらはれて、
一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。

今は、破れ衣と粗末な鉢を生涯の友として、苔むす岩や白石のほとりに草庵を結んで、坐禅修練すれば、仏にもとらわれない悟りがすぐに現れて、一生に学ぶべき仏道の悟りを速やかに究めることが出来るのである。

これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり。
その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ
撰集せし普勧坐禅儀に依行すべし。

これは龍牙居遁禅師の教えであり、鶏足山に入られた摩訶迦葉尊者が残された宗風なのである。その坐禅の作法は、以前 嘉禄の年に私が編集した普勧坐禅儀に従うべし。

それ仏法を国中に弘通すること、
王勅をまつべしといへども、
ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、
いま百万億刹に現出せる王公相将、
みなともにかたじけなく仏勅をうけて、
夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、
生来せるものなり。

そもそも仏法を国中に広めるには、まず天皇のお許しを待つべきであるが、釈尊が霊鷲山で後世に大法を託されたことを思い返せば、今日 無数の国々に現れ出た国王、宰相、将軍などは、皆ありがたいことに、釈尊のお言葉を受けて、前世に於いて仏法を護持すると願ったことを忘れずに、この世に生まれてきた人々である。

その化をしくさかひ、
いづれのところか仏国土にあらざらん。
このゆゑに、仏祖の道を流通せん、
かならずしもところをえらび、
縁をまつべきにあらず。
ただ、けふをはじめとおもはんや。

その人々が治める地域は、どこであろうとも仏の国である。このために、仏祖の道を広めることは、必ずしも場所を選び、縁を待つべきではない。ただ今日を始めの日と思うのである。

しかあればすなはち、
これをあつめて、仏法をねがはん哲匠、
あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん
参学の真流にのこす。

だから、これらのことを集めて、仏法を求める優れた人や、仏道を尋ねて雲や浮ぐさのように漂う真の修行者のために、これを書き残すのである。

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