「帰依三法」を学ぶ(8)

【仏の道:遠望・近見】 (153) 

「帰依三法」を学ぶ(8)


   「爾の時に、衆中に盲龍女有り。
   口中膖爛して、諸の雑蟲満てり。


 「その時に、人々の中に盲目の竜女がいて、口の中は腫れ爛れて多くの虫で満ち溢れていた。

   状屎尿の如く、乃至穢悪なること、
   猶婦人の根中の不浄の若し。
    臊臭看難し、種々に噬食せられて、膿血流出す。


 その有り様は屎尿のようであり、また醜悪なこと婦人の局所の中の不浄のようであった。その生臭さは人の目を背けさせるものであり、そこには様々な虫が食らいつき、膿や血が流れ出ていた。

   一切の身分に、常に蚊虻諸の悪しき毒蠅に唼食せらるる有りて、
   身体の臭処、見聞す可きこと難し。


 全身を常に蚊や虻や多くの悪しき毒蠅がすすっていて、身体の臭さは経験し難いものであった。

   爾の時に世尊、大悲心を以て、彼の龍婦の眼
   盲ひ困苦すること是の如くなるを見たまひて、問うて言はく、


 その時に世尊は、大慈大悲の心で、この竜女の眼が見えず困苦している姿をご覧になり、竜女に尋ねた。

   「妹 何の縁の故にか此の悪身を得たる。
   過去世に於て、曾て何の業をか為せし。」

 「妹よ、何が原因でこのような悪い身体になってしまったのか。一体過去の世で何をしてきたのか。」

   龍婦答へて言はく、
   「世尊、我今 此の身、衆苦逼迫して、暫時も停まること無し。
   設し復言はんと欲ふも、而も説くこと能はず。


 竜女は答えた。
「世尊よ、私の身体は今、多くの苦に迫られて一時も休まることがありません。ですから、話そうと思ってもよく話すことが出来ません。

   我 過去三十六億を念ふに、
   百千年に於て、悪龍の中に是の如くの苦を受け、
   乃至 日夜 刹那も停まざりき。


 私の過去三十六億年を思うと、百千年のあいだ悪竜の中に生まれて、このような苦を受け続け日夜瞬時も休むことがありませんでした。


   我 往昔九十一劫を為へば、
   毗婆尸仏の法の中に於て、比丘尼と作る。
   欲事を思念すること、酔人よりも過ぎたり。


 又、私の九十一劫の昔を思えば、毘婆尸仏の法の中で比丘尼(尼僧)となりました。しかし、いつも欲事(情欲)を思って、酒を好む酔人に過ぎるものがありました。

   復 出家すと雖も、如法なること能はず、
   伽藍の内に於て、牀褥を敷施して、
   数々非梵行の事を犯し、以て欲心を快くし、大楽受を生ず。
   或は他の物を貪求し、多く信施を受く。


 そして出家したけれども、出家の法を守ることが出来ず、僧院の中に敷物を敷いてしばしば非梵行(情交)を行い、欲心を満たして大いに楽しんでいました。また他人の物を貪り求めては、多くの信者の施物を受けていたのです。

   是の如くなるを以ての故に、
   九十一劫に於て、常に天人の身を受くることを得ず。
   恆に三悪道にして、諸の焼煮を受く。

 このような訳で、九十一劫の間、常に天上界や人間界に生まれることが出来ず、常に三悪道(地獄道 餓鬼道 畜生道)に生まれて、身を焼かれたり煮られたりという多くの苦を受けてきました。


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