「行持」を学ぶ(5)

【仏の道:遠望・近見】 (164) 

「行持」を学ぶ(5)


   第十祖 波栗湿縛尊者は、一生脇不至席なり。
   これ八旬老年の辨道なりといへども、
   当時すみやかに大法を単伝す。


 第十祖 波栗湿縛尊者は、生涯 身体を横たえて休むことがなかった。この方は、八十歳の老年になってから修行を始められたが、その当時、短期間の中に大法を受け継いた。

   これ光陰をいたづらにもらさざるによりて、
   わづかに三箇年の功夫なりといへども
   三菩提の正眼を単伝す。
   尊者の在胎六十年なり。出胎白髪なり。


 尊者は、月日を無駄に過ごさなかったことにより、僅か三ヶ年の精進であったが、仏の正法を受け継ぐことが出来た。この尊者は、母の胎内に在ること六十年といわれ、生まれた時には白髪であった。

   「誓って屍臥せず、脇尊者と名づく。
   乃至暗中に手より光明を放って、以て経法を取る。」
   これ生得の奇相なり。


 「死人のように横臥しないと誓ったために、脇尊者と呼ばれた。又 暗闇の中では、手から光明を放って経典を取り上げたといわれる。」
このように生まれながら不思議な相を得ていた。


   脇尊者、生年八十にして捨家染衣せんと垂。
   城中の少年、便ち之を誚(セ)めて曰く、

 脇尊者は、八十歳になって出家しようとした。すると市中の若者が、これを責めて言った。

   「愚夫朽老なり、一(ヒトエ)に何ぞ浅智なる。
   夫れ出家は、二業有り。
   一には則習定、二には乃ち誦経なり。
   而今衰耄せり、進取する所無けん。
   濫りに清流に迹し、徒に飽食することを知らんのみ。」


 「愚かな年寄だ、なんて浅はかなんだろう。そもそも出家には二つの務めがある。一つは坐禅であり、二つには経文を唱えることである。そんな老いぼれた身では、何一つ出来ないであろう。むやみに清浄な出家の仲間に入っても、無駄に徒食することになるだけだ。」と。

   時に脇尊者、諸々の譏議を聞いて、
   因みに時の人に謝して、而も自ら誓って曰く、


 その時に脇尊者は、多くの非難の言葉を聞いて、その人達に感謝して、自ら誓って言った。

   「我 若し、三蔵の理を通ぜず、三界の欲を断ぜず、
   六神通を得ず、八解脱具せずば、終に脇を以て席に至けじ。」


 「もし私が、一切経の教理に通ぜず、現世の欲を断たず、聖者の神通力を得ず、解脱の法を得ることが出来なければ、決して横になって休みません。」と。

   爾より後、唯日も足らず、経行宴坐し、住立思惟す。
   昼は則理教を研習し、夜は乃ち静慮凝神す。


 それから後、尊者はひたすら日を惜しみ、静かに歩いては坐り、立ち止まっては仏道を思惟した。昼は経典を研究して学び、夜は静かに坐禅をしたのである。

   三歳を綿歴するに、
   学は三蔵を通じ、三界の欲を断じ、三明の智を得る。
   時の人 敬仰して、因みに脇尊者と号す。


 そのようにして三年を経て、学は一切経に通じ、現世の欲を断ち、聖者の智慧を得た。そこで当時の人々は、尊者を讃え敬って脇尊者(横臥しない聖者)と名づけた。


   しかあれば、脇尊者、処胎六十年、はじめて出胎せり。
   胎内の功夫なからんや。


 このように、脇尊者は、母の胎内に留まること六十年にして、初めて生まれたと言われる。それ故に胎内で精進工夫があったのではなかろうか。

   出胎よりのち、八十にならんとするに、はじめて出家学道をもとむ。
   託胎よりのち、一百四十年なり。


 尊者は、生まれてから八十歳になろうとする時に、初めて仏道に志して出家を求めた。それは胎内に宿ってから百四十年後のことであった。

   まことに不群なりといへども、朽老は阿誰よりも朽老ならん。
   処胎にて老年なり、出胎にても老年なり。


 まことに群を抜く優れた人であったが、誰よりも老いていたことであろう。胎内で老年であり、生まれてからも老年であったのである。

   しかあれども、時人の譏嫌をかへりみず、
   誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、
   辨道現成するなり。


 しかし、当時の人々の謗りを顧みず、誓願の志を貫いたので、わずか三年の間に仏道修行を成就したのである。

   たれか見賢思斉をゆるくせん、
   年老耄及をうらむることなかれ。


 誰が、この先賢を見倣いたいと思わないものであろうか。自分が老年で耄碌していることを恨んではならぬ。

   この生しりがたし。生か、生にあらざるか。
   老か、老にあらざるか。四見すでにおなじからず、
   諸類の見おなじからず。


 この生は知り難いものである。生であるか生でないか、老であるか老でないかは、見る者によって見方が異なり、人さまざま。考えは同じではない。

   ただ志気を専修にして、辨道功夫すべきなり。
   辨道に生死をみるに相似せりと参学すべし、
   生死に辨道するにはあらず。

 だから、ただ志を専らにして仏道に精進するべきである。仏道修行の中に生死を見る、そのように学ぶべし。生死の中で修行するのではない。

   いまの人、あるいは五旬六旬におよび、
   七旬八旬におよぶに、辨道をさしおかんとするは至愚なり。


 今の人々で、五十歳六十歳になり、または七十歳八十歳になって、修行を止めようとするのは、大変愚かなことである。

   生来たとひいくばくの年月と覚知すとも、
   これはしばらく人間の精魂の活計なり。
   学道の消息にあらず。


 生まれてから、たとえ どれほど多くの年月を経たといっても、これはただ、人間の日常の営みの年月であり、仏道を学ぶ様子ではない。

   壮齢耄及をかへりみることなかれ、
   学道究辨を一志すべし。
   脇尊者に斉肩なるべきなり。


 自分が若いか年寄りかを顧みてはならぬ。ただ仏道を学び、究めることを志せよ。脇尊者と肩を並べて修行することを願うべきである。

   塚間の一堆の塵土、
   あながちにかへりみることなかれ。
   一志に度取せずば、たれかたれをあはれまん。

 終には墓場の土となるこの身を、強いて惜しんではならぬ。強いて顧みてはいけない。自らを志を立てて済度しなければ、誰があなたを哀れむというのか。

   無主の形骸、いたづらに徧野せんとき、
   眼睛をつくるがごとく正観すべし。


 主のいない亡骸が、空しく山野に散らばる時のことを、眼を付けるようにして正しく観察すべし。

             【語義と解釈】

 続く第十祖、波栗湿縛(ホリシバ)尊者は、脇(キョウ)尊者とも呼ばれ、発心して以来、一生横になって寝ることをせず、ひたすら修行にはげんだ不思議なお方である。このような頭陀行は、80歳の老年になってからのものであるが、やがて悟りを体得し、大法をうけつぐ第十代の祖師となられたと言う。

 道元禅師は、これすべて光陰(時間)を無駄にしなかったからである、と説かれる。しかも八十歳の晩年に僅か3年間の修行で、最高の悟りの正法眼蔵を受継いだ。尊者は生れるまで、母の胎内に60年もいたと言われている。そこで生れ出た時から白髪であった。誓って屍臥(シガ=死者のように横になって眠る)せず、脇尊者と呼ばれ、暗の中でも手から光明を放って経典を読まれた。実に生れつきの不思議な相の方の話である。

道元禅師は、脇尊者の行持を「一生脇不至席」の行と評して深い感慨を込めて、特に懇切丁寧に解説されている。

◯ 三菩提:梵語 sambodhi の音写。漢語で「正覚」と訳す。

◯  脇尊者:『西域記』巻1による。

◯ 濫りに清流に迹し:清流は仏法の清き流れ。
      身の振り方を仏法に託する意味。

◯ 三蔵:経・律・論の仏教基本3文献の集録のこと。
      仏教の教え全てを包括する。

◯  三界:人の住む三つの世界:つまり人間欲望の欲界、次に物質存在・
      現象界、
     そして無色(抽象・叡智)の世界のこと。

◯  六神通:天眼通・天耳通、地心通など六つの智慧の妙用をいう。

◯ 八解脱:貧など心を離れて自由な境地に至る八種の定力のこと。

◯  経行宴坐: 心静かに坐禅すること。
       坐に疲れて時に歩行する場合には、「経行」と称する。  
 
◯  三明の智:六種の通力のうち宿明通(前世を知る)天眼通(未来世を知
      る) 漏尽通(現世を知って煩悩なきこと)             
    三種の通力を言う・羅漢にはこの三明が備わっている。

◯ 見賢思斉:賢者を見ればああなりたいと思う。『論語』の借用。

◯  四見:一つの対象を見る時、見方によって見解が分かれる意味。

◯  辨道に生死をみる云々:弁道があって初めて生死が分かる。
     生死が分かって弁道するものではない。だから「もう年だか
     ら・・」と言うような言い訳は理由にならない。せめて生命のあ
     るうちに”開眼”すべし、と言っている。

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