「行持」を学ぶ(3)

【仏の道:遠望・近見】 (162) 

「行持」を学ぶ(3)


   慈父大師釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して、
   三十歳の仏寿にいたりて、大地有情 同事成道の行持あり。
   八旬の仏寿にいたるまで、なほ山林に行持し、精藍に行持す。


 慈父であり大師である釈尊は、十九歳の時から深山で行持され、三十歳の時には、大地の生きとし生けるものと共に、仏道を成就する行持をされた。そして八十歳に至るまで、そのまま山林で行持され、精舎で行持された。

   王宮にかへらず、国利を領せず。
   布僧伽梨を衣持し、
   在世に一経するに互換せず、
   一盂在世に互換せず、一時一日も独処することなし。


 故郷の王宮に帰らず、王位を継いで国を治めることもなかった。釈尊は、ただ僧衣をまとって一生それを換えず、食事の鉢を一生取り換えず、修行僧と共にあって、一時一日たりとも一人で過ごされることはなかった。

   人天の閑供養を辞せず、外道の訕謗を忍辱す。
   おほよそ一化は行持なり。浄衣乞食の仏儀、
   しかしながら行持にあらずといふことなし。


 人々が利益のためにする供養を拒まず、外道の誹謗を忍ばれた。
およそ釈尊ご一代の教化は、行持の日々であった。
 清らかな袈裟を身に着けて、日々人々に食を乞う釈尊であったが、その行いはすべて行持でないものはなかった。

             【語義と解釈】

 先ず、世尊の行持から説き始める。ここで先ず、注意すべきは、釈迦牟尼の出家と成道については、十九歳出家、三十歳成道の別説も有力である。道元禅師は、三十歳成道をとっておられる。

 世尊の行持は「大地有情 同事成道」つまり成道のあかつきに至った時、ただ自らが新しくなるだけでなく、大地万物が全てその面目を一新するものであった。

 そして、その後は、決して王宮に戻らず、纏った僧衣、食事の鉢を一切、変えず、常に修行僧と共に浄衣乞食の仏儀を行ぜられた。そしてそれは八十歳の生涯を終えられるまで変わらず続いた行持であった。

「世尊の行持は”浄衣乞食の仏儀”」 仏道を歩む正道である。

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