鉄鼠の檻ミュージカルを観劇しての感想をつらつらと

 拙僧が殺めたのだ
 象徴的なセリフから始まる本作品は京極夏彦氏の百鬼夜行シリーズ第4巻、鉄鼠の檻である。劇団イッツフォーリーズさんが魍魎の匣をミュージカル化したことは記憶に新しいと思っていたが、あれからもう3年も経過していることに驚きを禁じ得ない。
 魍魎の匣のミュージカル化の話を聞いたときも衝撃を受けたが、今回の鉄鼠の檻のミュージカル化はその何倍もの衝撃であった。魍魎の匣はメディアミックス作品としては舞台化、アニメ化、映画化と様々な形でこの世に存在しているが、鉄鼠の檻は漫画があるものの一切映像化されていない作品である。それもそのはず、原作は隕石と称されるほどの分厚く、内容は難解で尺に収まる気がしない作品No1といっても過言ではない。それでもなおミュージカル化に踏み切った人々への感謝と敬意を胸に、私は舞台へと向かった。
 言葉にすれば逃げてしまうというセリフを言い訳に永らく感想を寝かせておいたが、インターネット配信期限がもうすぐそばこまで迫っているため、かような乱文乱筆で観劇の感想を綴ろうと思う。所詮素人の感想なので解釈不一致はさることながら誤字脱字、曖昧模糊な文章があるのは平にご容赦願いたい。
 今回の檻ミュパンフレットに各シーンのナンバーリストがあったのでそれを元に章立てしていこうと思う。匣ミュの時もナンバーリストが掲載されていたのかしらと匣ミュパンフを探してみたが見つからない。おそらくはどこかの匣の中にしまわれてしまったのだろう。。。

<第一幕>
・鉄鼠の檻
 二胡の調べと共に物語の幕があがる。匣ミュの時もそうだったがオープニングの曲がいいと物語への没入感が段違いである。そして場面はもちろん按摩師尾島と死体の邂逅シーン、拙僧が殺めたのだというセリフも音楽に乗って響き渡る。尾島は盲人のため犯人と遭遇しても顔がわからないが、観客はわかってしまう。どのように演出するのか楽しみだったが、お坊さん総出で尾島を取り囲むのは鳥肌が立った。多分10人なので(仁秀、円覚丹、和田慈行、祐賢、常信、泰全、和田智稔、哲堂、英生、松宮あたりか。さすがに了稔和尚はいないと思うけどどうですかね。)冒頭の尾島と犯人の会話を出てきたお坊さん1人1人が割り振られて担当していたが、よく見てみると「拙僧が殺めたのだ」と「拙僧はついさっきこれなる錫杖を彼のものの頭に振り下ろした」のところは仁秀さんが歌っているのに気づいて追加で鳥肌しているところである。本作の時間設定は冬のため鮮やかな群青色の背景に雪が舞っているのも優美で一気に世界に引き込まれた。
 尾島と仁秀の邂逅が終わると京極堂と榎さん、関口の登場と背景に鉄鼠檻というタイトルが表示される。不肖筆者は榎木津礼次郎の熱帯魚を標榜しているので榎さんを常時見ているわけなのだが、まだ一言も話してないのにもうすでに榎木津な感じが出ているのがとても良い。おそらく階段の折り方、歩いているときの肩の怒らせ方がはまっているのだろう。あと、いつみても顔がいい。京極堂の仏頂面も、一人舞台に取り残された関口の少し不安そうな顔もとてもよい。
 
・仙石楼へ
 敦子と鳥口のナンバーはいつだって明るい気持ちになれる。これから連続殺人起きるとは思えない明るさ。匣ミュの時は笑顔でバラバラ殺人について歌っていて一周回って猟奇的な気もしたが、今回は純度100%の明るさで仙石楼に向かう。
 今川と久遠寺の出会いも今日が初対面なのにすぐに仲良くなっているのを見て人見知りの私としてはうらやましい限りである。そこに敦子と鳥口が合流して、飯窪さんも登場。これで仙石楼メンバーが出そろった形になる。それにしても飯窪さんあまりにも顔色悪いな。
 鳥口が庭の写真撮影しているのは現れた坊主が直前までいなかったことを示す証拠になるからクローズアップされるかと思ったけど特になくて残念。でもまあ鳥ちゃんの最大の出番はすぐ来るからね。脳科学で禅を解析するところの久遠寺先生、完全にただの好々爺になって突き飛ばされていて面白い。
 そして了稔の死体発見。立派な座相だよ。久遠寺翁一目で死体だと見抜くのはさすがに慧眼。産婦人科でも死体の判別は一瞬でできるものなのだろうか。

・不思議な蔵
 そして関口京極堂サイド。禅籍の弾幕が始まる。さすがに音だけだと全くわからんので背景に文章を表示してもらえるのはありがたい。いや、実際文字でみてもわからないことだらけだけど。この辺の文字表示は匣ミュの時からあったが、今回はより内容を理解するのに不可欠。

・百鬼夜行
 京極堂が帰ってこない間に鈴の話と尾島の話を仕入れて、京極堂に披露するのもえもい。ネズミの坊主なんていないだろってどや顔するのに、いるって一蹴されているところも愛らしいよ。関口君。鉄鼠のところの歌好き。
 京極堂の退場と入れ替わりに鳥口登場。仙石楼の事件で久遠寺翁が榎さんを呼んだのに対して、事情聴取される前に抜け出して関口を呼びに行く鳥口有能では?そして満を持して榎さん登場。今回の榎さんの衣装滅茶苦茶かっこいいのですが、外套をすぐに脱いでしまうのが残念。

・浮かぶ坊さん
 山下警部あまりにも高圧的じゃない??昭和時代のミステリーに出てくる刑事ってみんな高圧的だよな。こんな風に詰められたらあることないこと話しますわ。でも帽子が良い。和田慈行に詰め寄って「それが何か」的な対応されてたじろいでいるところも今後の展開で坊主に手を焼く気配を感じますね。

・榎木津の推理
 榎さん客席のほうから出てくる演出でテンション上がった。これで座席が近くだったらなあ。榎さんの曲は全部好き。榎さん話は全部聞いたとか言っていたけど、普段あんた全然話聞かないじゃないですか。というか誰から何聞いたら現場到着直後に推理できるんだよ。かっこよすぎじゃん。
 そして鳥口の最大の見せ場。浮かぶ坊さんの種あかし。どう考えても冬の雪の積もった屋根の上を伝っていくのは正気の沙汰じゃないよ。けがはないとはいえ木から落ちたし。
 山下警部も推理聞き入って、挙句の果てに「それで犯人は?」とか聞くし、あんた絶対探偵毛嫌いする人種の刑事じゃん。地味に榎さんと山下警部のやり取り好きなんですよ。シャーーーーチョウ

・寺の仕組み
 祐賢和尚出てきたときに叫びそうになったね。木場修じゃん!!!!って。今回木場の出番ない作品だったから出てくるとは思ってなかったんでうれしいですね。キャスト見ろという話かもしれないけど。 4人の知事のところで了稔和尚出てきたけど、人相悪くて好き。本作品では初手で了稔和尚死んでいでるから回想でしか出てこないのはちょいもったいない。いやほんとに人相が悪い。

・鈴の歌
 山中異界。関口君はすぐに精神が不安定になるけど、今回の作品ではストーリテラーとして安定していた気がする。今川が鈴のほうに行こうとしたときに抱き着いて止めるの、いつもだったらふらふらついていくのは関口君のほうだよねぇ。

・明慧寺と了稔
 またしても了稔和尚登場。死んでいる割に出てきてくれてうれしい限り。泰全老師の優しい表情と反対にチンピラみたいな表情が印象的ですね。悪いことしていそうな顔。
 そして泰全老師の美術品に対する見解を聞いて、蒔絵師の父に言われたことがリンクして悟り始めるのを見ていると、実はこの作品を通して今川だけが成長したのではと思うなど。
 というか了稔和尚の豁然大悟の話、泰全老師がかけらも本気にしてなくて普段の行いって大事だなと思いますね。でもこの作品の中では最速で悟っているから逆に優秀なのかもしれん。

・狗子仏性
 泰全老師、、、犬神家の一族になってんじゃん。。。スケキヨ。。。
いや、原作で逆さに突き刺さっていたって記述があるからそれ以外の表現はないけど、フラッシュバックしましたわ。
 公案の件をきっかけに泰全老師は大悟するわけだけど。今回の事件で悟っている坊主ってほとんど外界の人間との交流をきっかけに悟っているイメージがある。そうなると山にこもって座禅しているだけだと悟るのは難しいのかもしれないな。

・禅の流れ
 仏頂面の京極堂の安心感。この辺で禅の流れがわかる。なんなら日本に数多ある宗教全部これで解説してほしい。原作読んでも漢字羅列が無数に飛び交っているだけでなかなか理解が難しいですよね。原作未読で、この解説を聞いて仁秀さんが怪しいとにらんだ人がいたら切実に会ってみたい。京極堂が何かを企んでいるってタイミングの京極堂の企んでいますよ顔がいやらしい。
 ここのナンバー配信開始前に流れていたBGMだな。

・悟れない
 魔境の話。葉っぱが落ちるのを感じるってところに対して、それは錯覚ってバッサリ切る敦子が良い。曹洞宗は宗教だが、禅は宗教ではないっていうのがいまいちわかっていないんですが、悟りって何ですか。無宗教すぎてなかなかぴんと来ないのは私の知識不足が所以なので、勉強しないとな。

・憑物落とし
 憑き物は落ちても悟りまではいかないのか。この話だと悟ると殺されるからおちおち悟ることもできませんで。でもちっきり落として第一幕終わるのが構成としてきれい。

<第二幕>
・博行のこと
 榎さん登場。鈴を見て固まっているのは何を見たんだろうか。それに鈴も基本的には誰にも話しかけることをしなかったのに榎さんだけには何しに来たとかいうのは何か感じるものがあったのだろうか。
 英生くんがお茶を持ってきたと声かけたときに榎さんが「えっ!」って言っていたけど、最初に見たときちょうど画面が切り替わって今川が発言したのかと勘違いした。いやでも、今川もびっくりしているし混乱した。3回見てやっと理解したけど。
 英生くんをぶったのが祐賢和尚だって榎さんが見破ったときもそうだけど、けがの場所を聞かずに手を取った祐賢和尚がおかしいと感じていた今川は探偵の素質あると思う。今回の話で主役除けば一番推理している。これが古物商の利き目ってやつか。。。

・仁秀の話
 ここの仁秀さんと久遠寺のやりとり、仁秀さんが見事にミスリードしてくるのですよね。哲堂も鈴も拾い上げたって表現をしているから、両方とも赤ん坊の時に拾い上げたのだなと思うじゃないですか。でも鈴は普通に子供だったわけですよね。振袖の話も、拾い上げたときからと仁秀が言ったのに対して久遠寺がつつんでいたのかって表現をしたせいで観客みんな騙されましたよ。
 
・博行の告白
 この榎さんのシーンが私のお気に入りです。この話においては唯一久遠寺のことを正しく呼びかけるのも好きなのですが、そこではなく、「釈迦も弥勒も彼の下僕に過ぎない。彼とは誰か」に対して榎さんが「僕だ!」って答えて博行が大悟するのが一番盛り上がりますね。まちこに警察が来るぞって言うけど別に逃げろともなんとも言わないで、警察に連れていかれてから「だから早くしろって言ったのに」というところがコミュニケーション足りてないよね。そういうところも好き・
 博行が大悟したって話をしたときの仁秀さんの顔に狂気がにじみ出ているのが見えますか?このタイミングで榎さんと仁秀さんがすれ違っているから犯人として認識されているのかと思ったけど、たぶん舞台上が狭いから近く人いるように見えただけで実際は久遠寺だけしか仁秀さんと会話してないのか。そう考えると仁秀と榎さんがかかわっているタイミングがもしかしてない?

・明慧寺とは
 敦子と鳥口が明慧寺に向かう途中にすれ違った坊主が松宮だということがやっと判明。埋まった蔵も明慧寺のものだったことも判明したし、クライマックスに向かって進んでいる感じがする。
 
・戒律破り
 山下警部だいぶやつれてきたな。昭和の刑事って高圧的でガンガン容疑者に当たっていくけど、意味不明な事件に出会うと弱くなるよね。匣ミュの時の石井刑事しかり。
 それと祐賢和尚このくだりで頓悟したのか。。。自分のありのままを受け入れるのが禅なのか。旗竿倒しているシーン、よくみると哲堂が首傾げているわ。
 松宮も飯窪もみんなみんな隠し事しているな。

・朱雀を求め
 さてクライマックス。晴明桔梗の羽織を着ている京極堂かっこいい。一人で憑き物落としに向かう京極堂に関口も榎さんもついていくところに絆を感じる。ほかの作品を問い通しても今回関口くんのメンタル安定しているから安心できますわ。そして榎さんは待っていたんだ発言に対して「心遣いに涙が出るね。」って言ったときの京極堂の顔が別にありがたがってる感じもなく、ともすれば嫌味で言ってる風なのに感謝の気持ちが伝わってくるのでえもい。これを表現する語彙が私の中にないのがもどかしいが、言葉にすると逃げてしまうので(逃避)。

・傀儡で俗物
 和田慈行と京極堂が対峙するシーン。慈行の「なんと口が達者な本屋か」に一同共感の嵐。その次の円覚丹の宗派が真言宗ってことにみんなが驚いているけど、たぶんここで驚いている人はキチンと日本の宗教に知識がある人だけな気がする。いまいちわかってないと、真言宗と禅の違いが判らないからそんなに驚けないので知識教養は重要ですね。でも真言宗の所属で禅寺の貫主務めるの了稔のアシストがあったとは言え優秀なのでは?
 そして自分の修行ってどうしているのか。マントラ唱えていたら一発でばれるだろうし、今まで修行せず?そりゃ傀儡で俗物ですわ。

・本当の貫主
 「仁秀さん、あんた犯人か。」って問いに対して「はいはい。そうでございまする。」って返すの、普通の質問に回答するくらいの軽さで逆に不気味。警察が初手で犯人か聞いたらそうですって答えたよこれ。でも警察は犯人かどうかなんて聞かないよね。
 了稔殺害の回想。了稔和尚が一番いきいきしている。大悟したからか。今牛を得たところだもんな。「それで?」「殺めた」のテンポが良い。結局動機(とかいうと京極堂に怒られそうだが)は悟った人間がうらやましかったから+自身が悟ったらそこで死にたいからか。
 そして殺人を隠すつもりも全くない仁秀さんよ。了稔和尚の錫杖が庵にあるなら警察がまじめに凶器を探したら見つかったのでは?と思わんでもない。

・悲しい真実
 そして犯人が分かって一件落着と思いきや松宮と鈴の話が始まる。哲堂が公案のこと以外のことを話しているの初めて見た。英生に刺された哲堂に名前を呼んで駆け寄ろうとする仁秀を見るとちゃんと育ての親って感じがする。
 鈴が鈴子であるということがわかるシーン怖すぎる。松宮発狂するよ、そりゃ。錯乱した松宮たたいて正気に戻らせた後に「君も禅僧ならわきまえろ」っていうセリフ、あるものをあるがままに受け入れることが禅だからか。もしかしたらこの作品を通して筆者も悟ることができたかもしれない。
 慈行が松明もって襲い掛かるシーンでも仁秀が鈴子をかばっていて仁秀と鈴子と哲堂が家族の絆を感じる。仁秀の最期の「鈴、去ね」も顔が優しすぎる。あとを追って火の中に残った鈴を呼びかける哲堂の姿が印象的だった。

・明日へ
 今川も久遠寺も事件の関係者が全員明日に向かって生きていこうとしているのを見ると、姑獲鳥とか魍魎の匣よりかまだ救いがあるのかもしれない。

終わりに
このような素晴らしい作品を観劇できて本当に良かったです。演者の皆さん、スタッフの皆さん、そしてもちろん京極夏彦さん本当にありがとうございました。

最後に、ここまで読んでくださった方へ。久しぶりの感想文なのでえいやで書いた部分も多々ありますが、読んでくださいありがとうございました。今度何かの文章を書くときは最後まで文体を崩さずに書きたいものです。この文章で何かしら共感できる部分があれば幸いです。語りたい方いらっしゃいましたらコメントください。添削でも可。甘んじて受けます。

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