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世話になるのが下手な人

ひとの面倒を見るのが好きな人がいる。

モノをあげたり、助けてあげたり、話をきいてあげたりする。

でも、そういう人って、たいてい
 人の世話になるのは嫌がる
傾向がある。

自分が助けてあげてお礼を何か頂いたりしたら、さらに倍返し。
とにかく「借りを作る」のが嫌。
「世話したのは私の方」という時点で止めておきたいらしいんだ。

人が嫌がることはするな~っていうんだから、自分がされていやなこと~他人の世話になること~はしないはずなのにな。

自分が世話するのは「世話」で、自分が助けてもらうことは「他人に迷惑かけてること」って思ってるのかもしれない。

そういう人は、きっと「いい人」だ。
気持ちも優しい人だと思う。

でも、ちょっと「想像力」が足りない。

というか
「なんで自分はひとの世話焼きは好きで、世話されるのは嫌なのか」
そんな自分の観察が足りない。

本人は意識してないんだろうけど、世話をしてあげることで、ちょっと相手より優位に立ちたいという気持ちがあるんじゃないかな。
辛口な言葉で言うと「マウントをとる」というか。。。

他人の世話を焼いている自分こそが「私なの」と思ってるんだろうけど、他人の世話をしていなければ保てない自分がいる。
そこの自覚とバランスを欠いているから、いざ、自分が困ったときに、助けてもらうのが下手な人になってしまう。

相手が「世話されて喜ぶタイプ」だから世話焼いてるわけでもないから、そのへん、お世話された方にも、もやもやした気持ちが残る。劣位に立たされた感で、つきあわなくちゃならないから。

「おたがいさま」っていう言葉がある。

助けたり、助けられたり。
そのバランスがちょうどいいことが、人との距離感で大切だと思う。

亡くなった母も、そのタイプで、ひとにごちそうをふるまったり、何かと世話を焼きたがる人だった。でも、自身が病気がちで、父と離婚したり~と、自分に余裕がなかったから、おそらく思うようには世話焼きできなかった。
でも「人に迷惑はかけない」「子供の世話にはならない」って言い張っていて、実際は大いに助けてもらっていても、その事実を認めようとしなかったから、周りから見たら「感謝知らず」と思われてたんじゃないかなあ。
子供の私も、子供だから面倒見るのは当たり前と思ってたけど、ときどき
「かんべんしてよぉ~お母ちゃん;;」
という時があった。

そういえば、萩尾望都の漫画に「感謝知らずの男」というのがあったな。

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いいのかわるいのかわかんないけど、ここらへんのビミョーなことを気にかける人が増えてる気がする。
なんとなくもやもや感じていた違和感を、「世話になってるんだから」と飲み込んで我慢せず、表に出してよくなったのは、いい時代だと思う。

たびたび、田舎のおばちゃんの「無神経なお節介」に辟易してる私にとっては、適度な距離感の都会暮らし(町の暮らし)は心地よい。

日本は人口密度が高いんだから、コロナがなくっても、ソーシャルディスタンス必要だよなあ。

その上で「おたがいさま」精神で、ゆる~く支え合う社会が、きっと生きやすい社会なんだと思う。

また明日。

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