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昭和下町DIARY(第20話):経済成長のかげで

第二十話  新しい生命

十月に新しい生命の誕生。
私が赤ちゃんを産めるなんて、もう夢のような喜びだった。

勤めの事など、これからどうしたものか、お義母さんに相談したところ
「清子さんの好きなようにしなさい」
と言われたが、いつも頭痛や胃痛に悩む病床のお義母さんに、赤ん坊の世話は絶対無理であろうし、だからといって私が子づれで勤める事も不可能だ。現在のように育児休暇も、保育施設もなかった。


結局、考えた末三月一杯で退職を決意。
私の八年五ヶ月の熱い充実した青春は終わった。

勤めて間もない年の暮れ、年末警戒真っ只中署員激励のための、所轄署巡回の田中栄一警視総監に、お茶を差し上げ夜に入っていたため、
「お食事を用意してございます」
とお勧めしたが、
「ありがとう」とおっしゃり、
隣の署が待っていますのでと早々引き揚げられたが、無知のためそんなまともな口を聞いたのは私一人、他の方は皆さんコチコチだった。

又ある年の七夕、僻地の駐在さんに七夕の竹を切って来て貰い、署内の人や受付を通る多くの署員に色紙に願い事や夢を書いてもらい、署の玄関をにぎやかに飾りつけた。
とかく当時の警察署は格式ばって暗かったように思う。交通関係も防犯関係も庶民のためにもっと明るい開けた署でありたいと、七夕にそんな子供じみた願いを託した事もあった。
ほんとに多くの人々の助けを頂いて、今日まで職責をはたせそして生きてこられた事の、感謝と惜別の思いで一杯だった。


実は青木のお義母さんも、私と同じような経験を持つと聞いている。
この青木に嫁に来てすぐ足立区北千住にある、たばこ専売公社に勤めまもなく出産。
でも勤めは続けられたという。
どうして勤められたのだろうか。
やはり家族の協力があっての事で、お姑さんが孫の一之を抱いて、乳を飲ませに小菅から一駅先の北千住まで、電車に乗って通ったとのこと。
母乳のないときは牛乳や重湯で補い、時には姑は出ない乳首を孫の口に含ませ、寝かせつけたりもしたのであろう。
と、当時を回想して一之の叔母が話す。

叔母は自分と十歳位しか離れていない、甥っ子の子守をいつもさせられ、時には身軽になって遊びたくなり、おぶい紐で小菅駅の傍の木に、幼い一之を縛りつけ、鬼ごっこなど遊びに
夢中になって、そのまま家に帰り
「一之はどうしたの」
と母親に言われ、初めて気づいて一之を迎えに行ったこともあったよと、叔母は笑う。

猿回しのように、木に縛り付けられた一之は、泣きもせずじっと宙を見続けていたのであろうか。
泣きわめけば近所の人や通行人が気づくであろうに、寂しさで凝り固まった心が、そしてあの空乳の人を親だと思う心が、成長時からそして今も尚根強く残り、実の母親を母親と思えず胸の奥に根付いているようだった。

それと同時に母親の方も、長男一之への情愛がうすい。乳を与えミルクを飲ませ、おむつを代える育児にこそ真の親子の情が芽生えるものではあるまいか。

これはあくまで後で知る母と子、きみと一之の感情の絆だが、子供を自分で育てられる幸せは、最高のものであろうと思う。


ひどいつわりと共に、やがて私は左足付け根に鈍重をおぼえるようになった。
お義母さんは、お産に関して近所の手前の見栄もあったのか、五反田の関東逓信病院に掛かるよう指示していたので、痛みで歩くのも辛いなか、二時間弱かかるその病院で、症状を話しても原因は判らず、産み月を待つしかなかった。

小島さんも私の出産の喜びの中にも、その苦痛を思い時々来てくださるのが嬉しかった。

お義母さんは、つわりなどは病気ではないのだから、まめに体を動かさないとダメよと、私に普段どおり家事をやらせ、縫い物もさせた。  
その縫い物とは、一本の丸帯から名古屋帯二本とって頂戴というものだった。梅田に住む姉にもらった物だと言う。
上品な菊の花をあしらった、涼しげな白地の絽の帯。
「一本は清子さんにあげる」
とは言うものの、私は帯など要らない。
「私は着物は縫うけど、帯は縫ったことがない」
とお義母さんは言うが、それは一寸考えられない。だって着物と帯は一対の物、まして昔の人は、縫い物ができると言う事が、嫁としての第一条件であったろうに。
その縫い物の中に帯が入っていないなんて考えられない。

そんな理屈より、私だって帯は新婚旅行の時締めた銀の帯一本しか縫っていない。
本など広げて散々考えた末、見えない部分に薄い白い布を張ろうと思い立ち、苦心の末ようやく二本の名古屋帯を完成させた。
勿論あのミシンを使っての作業だ。

お義母さんは良いとも悪いとも言わず、いつも身につけていたからきっと気に入ってくれているのだろう。 

それから、今度は娘洋子の中学生の頃のひだスカートで、洋服を作ってという。人様の洋服なんてとても縫えないと、辞退したものの半強制的だ。
私は嫁として試されていると感ぜずにはいられなかった。
でもこれも青木の家族になるための試練と考え、スカートのひだを、アイロンで丹念に伸ばし、自分で言うのも何だが、ベストとタイトスカートを洋子の体にぴったりと仕上げた。

その出来栄えに、自分で自分を密かに褒めてやった。

         


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