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53歳になりました。喪失の日に考えたこと。


震災の日、複雑な誕生日



1971年1月17日生まれです。
本日をもって53歳になりました。

29年前、
阪神・淡路大震災の起きた日。
多くの命が喪われ、
多くの方々が大切な存在を失った日。

そしてそれから多くの方々が
喪失を抱えて生きてきた年月が
思い起こされる日。

毎年、朝のニュースを見て
思い出したと思しき
親兄弟や友人たちから
誕生祝いの連絡が入ります。

その度に、素直に喜べないような
何とも言えない複雑な思いを
抱いてきたのですが。


今日、久々にゆっくりテレビで
各地の映像を見ているうちに
考えたり実感したりしたことを
整理しておくために書いてみます。


最後まで残るもの





今年は年始早々に
能登半島地震や航空機事故があり、
普段の生活が続けられたり
生きているだけでも
どれだけ稀有なことか、
改めて思い知らされたと思います。

そんな中で今日、
自分が改めて感じたのは、
天災等ですべてを失ったとしても
生き残ることさえできれば
きっと描き続けることは残る、
ということでした。


見渡す限り焼け野原になったり
全部水で流されてしまったり
仕事もお金も家も何もかも、
大切な存在を失ったとしても、
それでも多分自分は
一生描きやめることはない。
その痛みを伝えるために
書き続け、届け続けると思う。
それだけは確かだから。


だから生きていける、
生きていこう、と思いました。


いや別に、希死念慮とか
あった訳ではないので
ご安心ください。

親友や祖母が不慮の死を遂げた
2月が近いこともあって、
毎年1・2月は自分の中で
人の生と死を考えるターンで。

その直前に仕事を失ったり
家を失うかも…という危機があったので、
ちょっと感傷的になっている
かもしれません。すみません。



それでも、大丈夫。
最後に残るものがあるから。
そう思えました。



アカウント名に込めて




ささやかな決意を忘れないために、
noteとXのアカウント名を
ちょこっとだけ変えました。



「深謝 Misha🍀50歳からのマンガ家挑戦Days」
   ↓↓

「深謝 Misha🍀50歳からのマンガ家挑戦/クワド介護でも諦めない!」



次にアカウント名を少しいじるのは
コミティア参加などになるのか…
いろいろ先行き不明ですが、
自分のたいまつの灯りは
自分から手放さないように、
それだけは頑張りたいと思います。




以上、
53歳・誕生日の表明でした。


ここまでお読みくださり、
有難うございました😊🍀


皆さまも今年、よいお誕生日を
迎えられますように!





後押しいただけたら、地の果てまで頑張れそうな気がします…!