春とおねえさんのどうでもいい話

おはようございます。
人生とは 想像できないことの連続でもある、ですねきっと
そんな風に思います。

入社式やら研修やらですか。春ですね。
新社会人のみなさま おめでとうございます。
本当におめでとう。まともに育ててくれた親に感謝
まともに育った自分に感謝しながら 新しいことだらけの道を
進んでいってほしいと思います。

社会人19年目のおねえさんより。(おばちゃんとは言わない)

私は今 若者ではなく企業のほうが岐路に立たされていると思う。
某アパレル会社が新卒初任給40万を約束すれば 固定残業80時間でたたかれる。
人材領域にも6年間いたのでわかるのですが
固定残業代は帳尻を合わせるためのものである場合もあります、
このアパレル会社はそうだと説明していましたね。
現場での仕事のため実際80時間残業することも不可能だと思います。

日本の給与を変えるにはどうすればいいのか それは大手が一番わかっているはずなのですが(トヨ〇とかね)
「水準」の担っているんですから 頼みますよ。
そこをすっとばして この給与にします、確かにそれは
全然違う畑のアパレル会社だったから言えたってのもあるんだろうけど。
とっても大切なことです。

海外のラーメンは3,000円
家賃は20万円

日本の給与では 到底生活できない
令和も6年になるのに 20年前となんにも変わっていないなんて。

話は戻りますが 私が社会人になった頃 まだファストファッションが
日本に上陸していなくて まだインポートブランドがぶいぶい言わせていて
「セレクトショップ」で働いているだけで キラキラした充実感を十分
味わえるそんな時代でした。
その頃のサンエー・〇ンターナショナルに入社をしたのですが
当時から 社会人とは などの教えがかなり丁寧にしっかりされてたなと感じます。ここで育ってよかったと、強く思っている。
今の40代の人にここで育ったというと「あ~…それはすごいね」って言われるものです。えっへん。

研修では 失神したり、ぶっ倒れる子とかいるほどきつくて
でも 楽しかった。わたしも泣きながら声出ししたものです。
みんな 強い志があった。時代かねーこれも。

入社したからには どこにいてもこの会社の顔なんだよということ。
教えもうけたけど 教えがなくても会社のことを外で口外したり
SNSにあげたりする今のアルバイトさんたちのような子はいませんでした。

大人になった嬉しさや責任感が芽生えていたんだと思います。
サービス業ということもあり どこでお客様に出会うか分からないし
どこにいても いつでも 見られている意識をもちなさいと。
常にお尻の穴に力をいれて歩けと言われたもんです。

お風呂ではずっと割り箸くわえてたっけ。
(顔の筋トレと笑顔の練習とくせづけ)

今ではメンターという言葉も普通に使われるようになったけど
当時からパーソナルなメンタリングをしてくれる人をつけてくれるなんて
なかなかいけてる会社だと今でも思う。
まあそのメンターと相性が最悪だったんだけど。

結果7年ほど経験したものの 副店長どまりで
別ブランドへの異動願いも退けられ 大手ってなかなか自分の思う通りに
いかないなぁなんて思いながらも働き続けてみるものの
結局は疲労困憊 その後適応障害になり退職した、という
なんの話。

今週は仕事はほとんどなくて(週末だけ働く)

桜と若い子たちを眺めながら そんなことを思い出す余裕があったので
書きました。

その瞬間は永遠だよって

おねえさんは思います。

 

まあ真面目に働いていたなぁ。懐かしい。
結局服もだいすきだけど 一番は売り上げの管理、予算組み立て
なによりも10人以上いた後輩たちのマネジメントが一番楽しかったし
満たされることが多かったな。

できる子はよりできる子に
できない子はできないなりに情熱的に仕事するようになって。

でも36歳になって こんなになるなんて いろいろ想像を超えてくるよ人生
それでも生きているぞ~わたし
すごい。えらい。そして親に感謝。

ああ乾燥機いってこよ

今月もよろしくおねがいします。
いつもありがとう。

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