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先輩にインタビュー①

私たち関西外国語大学女子駅伝部では、毎年、普段からお世話になっている全ての方々との関わりを見つめ直す機会を設け、さまざまな取り組みを行っています。
今年は、女子駅伝部の卒業生の先輩方にインタビューをし、記事にまとめる活動を行ってきました。全部で10名の先輩方に2人1組でインタビューをさせていただきました。
第1回目は、一期生キャプテンの床呂沙紀さんです!

キャプテンとしての決意
高校3年生で進路に悩んでいる際に、都大路を一度も走ることができなかった悔しさから高校の顧問に相談をしました。その時に新設される関西外大女子駅伝部を勧められ、オープンキャンパスで関西外大を見て、直感で「ここだ!」と思い進学を決めました。一期生だったため、一回生の時からキャプテンを任されました。キャプテンをするのは初めてのことで、自分で務まるのか、とも思いましたが、山本先生にも推薦され、「やるしかない!」と思ったそうです。2年目に熱い後輩たちが入ってきて全国への切符を掴み取りました。創部2年目で全国へ行けたのは、練習を引っ張ってくれた陸上競技部男子部員の協力もあったからだとおっしゃっていました。

マラソン挑戦
関西外大のユニホームを着て走る最後のレースを大阪国際マラソンに決め、その練習の一環として、11月から12月にかけて、富士山女子駅伝までに市民マラソンを3本走るという計画を山本先生と立てました。トラックレースは富士山の選考でもありますが、床呂さんだけは10月のレースが最後でした。「マラソンを走ることで駅伝に迷惑はかけたくなくて、何が何でもベストだけは出したい!」と思い、初マラソン以降(大阪国際女子マラソン2時間37分08秒)トラックレースでスピードが戻らない中、苦しみながらも16分13秒41の自己新を出せた時はとてもホッとしたそうです。マラソン3本は未知の世界でしたが、3本とも目標タイムより5分ほど早くゴールし、楽しく走れました。体力的には限界がきていて、あの時3本も走れたのは奇跡だなと今では思うそうです。
ラストランの大阪国際女子マラソンは、2年連続ネクストヒロイン選手として出場しました。前半からお腹に差し込みがあり、42km持つかわからない状態だったそうです。なんとか39kmまできた時に両親と先生がいて、自己ベストが出るか出ないかの瀬戸際でした。その時に、山本先生から「沙紀―!このままだと自己ベストでないよ――!」と叫ばれ、なんとか40秒ほど自己ベストを更新できたそうです。
「あの先生の一言がなかったら、ベストは出なかった。」また、「先生に出会っていなかったらマラソンもしていないかもしれないし、ここまで私の能力を伸ばしていただいたことに感謝しています。」とおっしゃっていました。

京セラ会長の稲森さんの本を外大図書館でも読み、会社員としても感銘を受けました。山本先生にもマラソンで行くなら京セラを、と勧められました。実業団の道に進んでからは、故障や新型コロナウイルス感染症による活動制限などもありましたが、東京オリンピック日本代表の選考レースとなったさいたま国際マラソンでは、海外選手とも競い合い、2時間32分11秒の自己ベストで6位となりました。また、チームで初めての海外選手であるケニア人の選手に対して、先陣を切ってコミュニケーションをとることができ、外大で学んだことを活かせたと実感しました。
選手を引退してからは、それまで社員の方から受けていたサポートを自分がする側に回り、自分で足りないものや身に付けたいことを計画し行動し続けていきました。資格取得やITスキルを磨くことができ、社員のチャレンジを応援してくれる素敵な会社に就職できたことは本当にありがたかったです。一方で、自分がいかに世間知らずかということも感じた期間でもあったそうです。

ワーキングホリデー🇦🇺
学生時代は留学に行くことができず、また、ワーキングホリデーに行けるのは30歳までで、さらに陸上以外の強みが欲しいと様々な要因が重なり、ワーキングホリデーに行くことを決心しました。
現在オーストラリアにおられる床呂さんは、「今は言葉の壁にぶつかっています。OZ (オーストラリアという単語の発音から派生したもの)ネイティブは早くて言葉のアクセントも少し違ったり、語学学校ではブラジルやスペイン、チリなど、オーストラリア以外の人とも話すことが多く、ノンネイティブの英語のリスニングが理解できなくてカルチャーショックを受けています。今まで陸上競技だけの世界で生きてきたので、毎日が新鮮ですし、どんなことがあっても楽しんで、自分らしく明るく1日1日過ごしていきたいと思います。」とおっしゃっていました。

床呂さんから私たちへのメッセージ
「大学4年間は思っていたよりも一瞬です。それは陸上と勉強の充実があったからだと思っています。人生の青春であり、やる気次第でどこまでも行けます。社会人になる一歩手前、どれだけ充実させられるかでその先が決まります。今もつながりがあり、家族以上に共に過ごした人たちとぶつかることもありましたが、離れてみて大切さに気づきました。4年間を大切に過ごしてほしいです。」

取材後記(文責:3年 松井あれさ・2年 矢吹美宙)
今回は、一期生である床呂沙紀さんにインタビューをさせていただきました。まだ駅伝部がなかった関西外大に進学し、キャプテンとしてゼロから関西外大女子駅伝部を創り上げてくださったことで、現在私たちがこうして活動できているのだと実感しました。学生時代に約2ヶ月でマラソンを3本走ったり、陸上以外の強みを求めてワーホリに行ったりと、新しいことに自ら進んで挑戦しておられる姿に刺激をもらいました。私たちも、床呂さんのように自分がやりたいことにチャレンジし、現状に満足することなく常に高みを目指していこうと思いました。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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