見出し画像

外大駅伝部まるっと図鑑 8区

4年・細江美玖

「努力すれば伸びる競技。-私ならできる-」


陸上競技との出会い、短距離から長距離へ
 関西外国語大学女子駅伝部4回生、岐阜県出身の細江美玖さん。美玖さんは、6つ上のお兄さんの影響や1つ上の仲の良い先輩のお誘いを受け、小学5年生からクラブチームに入り陸上を始めました。小学生の頃は短距離をしていましたが、短い距離をあまり速く走れず自分には合っていないなと思ったそうです。「小学生の頃、皆でちょっと長い距離を走ってみようということがあった時に、皆がばてているのに私1人だけ元気に走っていて、長距離のほうが向いているのかな?と思いました。」と、美玖さんはその時に長距離に対して少し自信がつき、中学校では陸上部で長距離をやろうと決めました。そしてここから、美玖さんの長距離選手としての道がスタートしました。

画像1

悔しい経験を経て得たもの
 中学生になって陸上部に入り長距離を始めた美玖さん。その時に、今でも続く一番伸びたきっかけがありました。「中学1年生の時、私を含めて1年生が3人いました。部内でタイムトライアルをした時に3人中3番になり、私1人だけが試合に出ることができませんでした。それがすごく悔しくて午後や夕方に1人で走るようになりました。すると、中学2年生から記録が一気に伸びました。これが今でも努力することが続くきっかけです。」と、悔しい経験をし、誰よりも努力をした美玖さん。そして、その努力の結果が記録として現れ「努力すれば伸びるんだな、この競技は。」と思ったそうです。

新しい出会い、世界
 岐阜県立益田清風高校を卒業した後、親元を離れ関西外国語大学に進学しました。「大阪に行こうと決めたのは、山本先生とのご縁も含め、地元を離れて新しい友達との出会いや、新しい世界に行ってみたいと思ったからです。」大阪には一度も来たことがなく、高校の時に都大路出場の際に京都に行ったことしか関西に来たことがありませんでした。実際に大阪に来た時「最初はここで生活していけるのか正直不安でしたが、すごく便利でこんな便利な世界があったんだな。」と思ったそうです。そうして、期待感と不安を混じらせながら新しい場所で再スタートしました。

画像2

私ならできる。ラストイヤーへの想い
 美玖さんには今年に入って大事にしている言葉があります。「私ならできる。という言葉です。今年の3月頃、すごく調子が良かった時に捻挫をしてしまい、私ならまた戻せる。と自分自身に言い聞かせていました。」調子が良かった分、怪我をしてしまったときのショックは大きいですが、そこを割り切りすぐに前を向きポジティブに考えることができるのは立派なことだと思います。学生生活も残り半分を切りラストイヤーへの想いは、「もちろん駅伝を走りたいが、どんな結果であっても悔いが残らないようにしたい。」とのことでした。学生生活は有限なので、残りのラストイヤーは陸上競技も学生生活も目一杯楽しんで欲しいです!

(取材後書)(文責:1年・上本歩未)
 今回私は駅伝部のお姉さん的存在の美玖先輩にインタビューをしました!インタビューで普段しないような話をし、美玖先輩の新たな一面を知ることができ、良い機会になったと思います。また、中学・高校時代を振り返って懐かしむ姿も見られました!お話を聞く中で共感したこと、印象に残った言葉があります。まず、「努力すれば伸びる競技」についてとても共感できました。私自身も、陸上競技は努力する人ほど強くなると実感しているからです。そして、「私ならできる」という言葉が一番心に残っています。どんな困難があっても、気を落とさずに自分自身を鼓舞して努力することは誰にでもできることではないので、すごいことだと思います。私も、そんな美玖先輩を見習っていきたいです!

最後までご覧いただき有難うございました。
次は細江美玖さんに襷を繋ぎます!

画像3





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?