見出し画像

#九 2000追っかけ夏の陣②/キタガワは燃えているか

丸亀駅から高知駅まで南風5号の6号車、2121が充てがわれた部分に乗車したのだが、あの体験は死ぬまで僕の語り草となるだろう。
2000系に対し、初めて文章化すべきでないような2/3の過激な感情や1/3の純情な感情を抱いたのである。
つまるところ、成文化した暁にはいわゆる「炎上案件」とやらにすらなりかねないような体験だったわけだが、恐らくくだらないコピー写真展覧会よりは需要があるだろう。その詳細は別の機会にお届けしようと思う。

高知駅に着いてから折り返すまでの約40分は有意義に過ごすべきである。駅前にはとさでんがいるし、売店では名物駅弁が売られている。
だがしかしさすがは大バカ軍団僕たち!ローソンに買い出しに来たものの、1人は機材の重さにしゃがみ込み、もう1人は酔い醒ましに散歩してみるもやっぱりしゃがみ込む!元名鉄のちょいレア?なのが横切ったがそんなモン撮ってられなかった。
そういえば、あの時の地元の高校生の目付きはマジに僕らを見下してた気がする。最後まで振り子エラー車で粘った結果がこれとは残酷なものだ。

全く意味の無い暇つぶしの後、南風16号に乗車し午後の撮影地へ。連れが「6号車でかぶりつきやろうぜ」と言い出したときにはコイツいっぺんそこのレールに括りつけてやろうか、と結構本気で思ったが4号車に乗車することで事なきを得た。

陰湿雲の蔓延る大杉駅に到着。ここから4kmばかり徒歩移動である。徒歩移動中にやってくる陰湿雲は撮り鉄の不安を煽る反面、直射日光を遮ってくれるのでありがたい。

が、予想の遥か斜め上、水平線の向こう側みたいな事態が発生してしまった。ゲリラ豪雨である。
TwitterやLINEを確認してみるとみなめいめいにゴリラゲイ雨だの下痢豪雨だのと面白がっているが、こちらはたまったもんじゃない。なんで撮影地まであと800mにまで迫っておきながらこんなところで足止めされにゃならんのか。LEDの看板が反復的に動くのを眺めながら、何となく「DQNの川流れ」を思い出していた。

いつかの豪雨を想起させるような降りっぷりだったが、ものの10分と待たずして止んだ。
そうしてちょっと幻想的な水蒸気の立ち上る北川カーブに到着。こういうのはむさ苦しい撮影地ではなく、もっとメルヘンな場所で発生すべきだ。
それはともかく、まだ他には誰もおらず、徒歩で一番乗りしたという達成感を味わえた。日頃の行いの結果と言えよう。

南風20号定通。ゲリラ豪雨の後の超快晴、くどいようだが北川一番乗り。これは気持ちがいい。

本番までの約2時間50分の時間の潰し方は考えものだ。何せ高知駅前みたいに散策は出来ないし、遊んでたら警笛待ったなしなのだ。
結局凡庸たる僕らに出来ることと言えば、通過した南風13号の写真を見て「陽炎激V❗️振り子エラー編成被ったけど妥協できるわ」などと冗談を言い合うくらいなもの。それでも、つまらない時間ではなかったことは断言する。近くに話す人がいるって素晴らしい。

やがて4時を過ぎると、次第にクルマ移動の人達が集まってきた。「やっぱり徒歩で来るとこじゃねえよなあ」と思いつつ、軽く挨拶を交わす。

最終的に15人弱の雛壇が形成され、僕らは前から4番目くらいに陣取った。
ついに2時間50分待ち続けたターゲットは位置情報では土佐北川駅を通過。静まれ、僕の心臓の"カウボーイ"ビル・ワット!!
間もなくトンネル内から走行音が反響するのが聞こえだし、自然、その手に力がこもる。
個人的に「トンネル内から走行音が聞こえてくること」は北川のもっと知られるべき魅力だと思っている。塩入カーブなんかで踏切がカンカン鳴ってるのとは緊張感のわけが違うのを、この時身をもって体感した。
そして_

しまんと6号+南風24号、1分遅れで通過。
てっきり南風24号の単独かと思ってたらなんとしまんと先頭ではないか。写真の確認中に気づいたのだが、あの時はマジで泣くんじゃないかと思った。一番欲しかったカットが、何を隠そう北川カーブのしまんとだったのである。
男が生涯で泣いていいのは3回だそうなので、涙腺をキツく締めてこらえた。ちなみに今年は既にクレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」を見た時に泣いてます、うん。

図らずも青6しまんとを憧れの撮影地で撮れた達成感ともう遠征は終わったんだという寂しさ、そしてもはや肩凝り製造機と化した2Lの飲み水(熱湯)を携えて帰路につく。
そんな折、僕らとは別の徒歩鉄の方と行動を共にする運びとなった。その方は土佐北川駅から歩いてきたらしく、ゲリラ豪雨など全く知らなかったとのこと。
つまり僕らを一時的に絶望のどん底に叩き落としたそれは、超局地的なものだったのだ。おかげで今回のゲリラ豪雨遭遇のネタ度はより高まったと言える。一周まわって誠意を見せた天気に金一封。

大杉駅でのしばしの談笑の後、アンパンマン列車に乗り込んだ。
帰路の途中のコンビニで買った弁当を食べながら「そういや今日初めて白メシ食ったなあ」と、日本の米文化のありがたみとおかずのシラスを噛み締めながら雑談に興じる。

そうして多度津に着くまでの70分はあっという間に過ぎていき、いよいよ別れの時となった。
「バイバイ」「また会おう!」といつかの再会を約束し、僕は対面のしおかぜ25号へと駆けた。家に帰ったら冷蔵庫に置き忘れたMAXコーヒーを飲みながら写真を眺められるのが楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?