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差別とプライド

私がツイッターをいつも通りぼけぇーっと見ていた時にある動画が流れてきました。差別に関する動画です。

その動画に出てくる女性の意見は「ブルーノマースは黒人ではなく、黒人の音楽をやるのは文化の盗用だ。」と主張するものでした。それに関して黒人の間でも様々な議論になっているそうです。

これに関連しているかはわかりませんが、差別について言いたいことがいくつかあったことを思い出したので、書き留めて置こうと思います。

 まずはこの動画についてです。私はこの女性の意見に対して気持ちはわかりますが、賛成できません。彼女の考えの裏には今まで歴史的に白人によって有色人種の様々なものが奪われてきたことや、彼女も実際に差別を経験したのかもしれませんが、だからと言って黒人の歌を歌うなというのはナンセンスです。日本にも黒人の演歌歌手はいますし、受け入れられています。

プライドが問題を深めてしまっている
この女性の真意はこの女性にしかわかりませんが、私は差別をされたことによって差別を受けた側にはある特別なプライドが生まれ、それが逆に問題の溝を深くしてしまっているのではないかと思っています。それぞれ自分の国の文化に誇りはあると思いますが、それが差別によってより強くなり、自分たちの文化を他の国の人が使用すると、取られたかのように感じるようになるのです。

「差別と騒ぎ立てるから差別になる」
少し前に白人モデルが芸者風の着物をきたことで批判を受けましたが、日本人の私はその写真を見て特に嫌な思いはしませんでした。日本の文化が世界に広まることを考えるとむしろ好感さえ持てました。しかし、日本人でもない外野が差別だと騒ぎ立て問題を大きくするのです。

「あんたらが騒ぐから問題になるんやろが、」と言ってやりたいです。(個人の意見です)

しかし、人種は明らかに違うわけですから区別はしざるをえません。人の価値観はそれぞれ違うため、境界線が難しいんですよね。書いている途中、子供の頃学校でよく言われていた「見極めよう、いじりといじめの境界線」をふと思い出しました。

 ここ最近多様性が流行っています。日本の宗教観はまさにそのもので、結婚式は教会で行い、葬式は坊さんを呼び、クリスマスやハロウィンを祝い、年明けには神様にお願いする。そうです。人種なんて関係ない。みんな違ってみんないいんです。



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