出来なくてもやる

9月9日に誕生日を迎え、またひとつ歳を重ねました。

9月9日は重陽の節句、菊の節句ともいい、健康や長寿を願う行事だそうです。

菊を浮かべたお酒を飲み宴を開いたり、菊の着綿(きせわた)といって、菊の香りを移した綿を頬や身体にのせ厄祓いをするそう。

お恥ずかしながら節句だとは知らずに、ただの誕生日として過ごしてきましたが、せっかくなので菊を設えた食事を用意して、詩でも詠んでみようかしらと意気込んでいました。

しかし食用菊ってなかなか手に入らないものですね。花屋にはないようだし、スーパーにも置いていないしで食用菊には有り付けませんでした。取り敢えず好物のお寿司を食べつつ詩だけでも考えることにしました。短歌・川柳・俳句どれが詠みやすいかなんて分からないので、後付けで良い。

以降、私は詩を詠む事にかなり骨を折りました。誕生日に菊を絡めて重陽感を出したく、ひたすら言葉を考え出し続ける。

菊×重陽はオリジナル性に欠けるし、誕生日×菊は脈絡がないし、欲を言えば「菊が手に入らず詩だけ詠んでいる今」を表現したい。
5と7に収まる言葉を出し出し、気付けば夜も深まる。今日やることに意味があるので、就寝時間にはなんとか仕上げようと血眼になって考えました。

そもそも詩って穏やかに詠むものだと思うし、季節を楽しむ余裕すらなく、私は誕生日に何をしているんだと阿呆らしくもなりました。

そんな具合で、夜が深まる中なんとかそれらしい一句が出来上がり、大満足の誕生日になりました。

幾つになっても学びと挑戦を忘れずに生きて行きたいものです。

“今日に 散らす菊なく 祝い膳
変わらず 愉快に 食して重陽〟

私は何を詠んだ?

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