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君が食べた約束 2

私と一緒だ、と言った津杜は小さく肩を竦めた。
「一緒って……何が?」
「朝霧くんと私」
僕と、津杜が?
馬鹿にされているんだろうか。

「あ、信じてないねー?」
「信じるも何も、どこが一緒なんだよ」
片やクラスの中心にいつもいるムードメーカー。
片や態度で人と深く関わることを拒絶している人間。
勇者とモブの村人くらいの差がある。
関わることがあったとしても、家のタンスを勇者があさりに来たときくらいだろう。

「近い匂いがするって言ったでしょ?」
津杜がおかしそうに笑う。
「信じてはもらえない、とは思ってるんだよ。自分がどういう人間だって周りに認識されてるのかくらいは理解してるつもりだから」
「……」

全然、意味が分からなかった。
周りにどういう人間だと思われているか理解している。
まるで悪いことでもしているような口ぶりだった。
間違ってもそんなことは無い。
そういった悪い話ばかりよく拾う僕の耳に津杜の話が入ってきたことはない。 
ほどよくさばけた性格で男女問わずにそれなりに信頼を置いている人が多いはずだ。

「それでは」
ぐるぐると言葉の意味を考えていると、津杜が姿勢を正した。
「感想を、頂いてもいいでしょうか?」
感想。
そうだ、その約束を果たす為に来たんだった。
津杜と交わした初めての約束。
リュックからノートを取り出し、津杜に返す。
感想を伝える際に、津杜からあらかじめ言われていたこと。

お世辞はいらない。
おかしい点があれば言って欲しい。

逆に前もって言われてしまうと少し困った。
つまり津杜は、面白かっただのすごいだのと言った簡単な感想を求めてはいないということだ。
読むだけなら二日と掛からずに読めてしまうような分量の小説で、感想を伝えるのが夏休みの折り返しまで延びてしまったのはそのせいだった。
成程、時間をくれとはこういうことだったのか、と何度も読み返しながら思った。

「よく、書けてると思う」
熱がこもったような眼差しに負けそうになりながら、どう切り出したものか少しだけ考えてそう言った。
「世界観もよく練られてると思う。ありそうでない、みたいな感じは僕は好きだし、出てくる登場人物もそれぞれ個性があって、その」

ひたり、と首筋が寒くなる。

「えっと、」
先を促すように津杜の目が揺れる。
「個性があって、良かった、んだけど」

言ってしまえ。
言ってしまえ。
頭の中で誰かが背中を押す。

「なんで」

言ってしまえ。

「なんで、主人公だけ、空っぽ、なんだろうって」
涼しいはずの館内でどっといやな汗が噴き出す。
ばくばくと破裂しそうな鼓動に体が揺れる。
僕は大きく息を吐いて俯いた。

話はお世辞抜きにしても面白いものだと思った。
日常にぴたりと寄り添う異世界。
そこに住んでいる主人公を中心とした登場人物。
主人公の周囲で起きる理不尽な出来事。
それぞれの過去、悩み、未来への希望。
そんな彼らの中で、主人公だけが虚ろだった。
ちゃんと主人公らしく時に苦悩し傷を負いながら活躍しているはずなのに、何故かそう思った。
心臓が落ち着いたころ、そろりと視線を上げて津杜の鼻から下までを視界に収める。

こんな感想でいいんだろうか。
いくらお世辞はいらないと言われていても面と向かって言うのはかなりハードルが高い。
感想はメールにしてって言えば良かった。

「朝霧くん、ありがとね」
言ってしまった後悔で頭が沸騰していると、津杜が頭を下げた。
後頭部で結わえられた団子が視界に入る。
「やー、そうかぁ。うんうん」
顔を上げながら何度か頷く。
その顔ははにかんでいた。
「朝霧くんに読んでもらって良かった。本当にありがとう」
「……別に、何したってわけじゃないよ」
むしろ礼を言われるようなことは何一つしていない。

「ううん。そんなことないよ。その言葉はね、私にとても必要なものだったんだ」
「必要なもの?」
どの言葉が?
「空っぽって言ったでしょ?それが聞きたかったんだ。ん?違うな。正確には聞きたくなかった、かな。それでもね主人公をどう思ったかを聞きたかったんだよ」
「……ごめん。ちょっと意味が分からないんで補足して欲しい」
普段なら意味が分からないなんて口には出さないのに、緊張からの開放感で自然と口から出してしまった。

「んーそうだねぇ」
気分を害した風もなく、津杜が顎に手を当てて考え始める。
「えっとね、あの話は私が考えたんだけど」
「そりゃあそうだろうね」
今更違うと言われたら、今日家に帰るだけの気力が僕には残っていないかもしれない。
「だからあの世界とあの人達は私の中に住んでるんだけど」
「まぁ、分かるよ」
「あの人達の中で一番私に近いのが、主人公だったんだよね」
これはちょっと分からなかった。
「どういうこと?」
「朝霧くんが主人公を空っぽに感じたって言ったでしょ?それは私が空っぽってことなんだよ」
ますますわけが分からない。
「津杜が空っぽって、どこが?」
「んー」
どうやら津杜は考えるときに唸る癖があるようだった。
「全部?」
「……全部?」
「私ね、癖っていうか今自分のいる場所でどうするべきなのか、みたいなものをすぐに考えちゃうのね。私はそれがすごく嫌なんだ」

別にそれは悪いことではないんじゃないだろうか。
だってそんなの誰かと関わって生きていく以上、誰しも少しは考えていることだ。
なにを感じ取ったのか、津杜はまた、んー、と考え出した。
「朝霧くん、今誰でもそうだろって思ってるでしょ」
「……まぁ」
心を見透かされたように気がして、腹にぐっと力がこもる。
「ちょっと違うんだな。ちょっとっていうか、だいぶ?うまく説明出来るか分からないんだけど、聞いてくれる?」
正直、ここまで聞いてやっぱりいいと言うほど僕の好奇心は腐っていなかった。

「気になるから教えてよ」
「うん。えっとね、私の場合どうすべきかっていうことの度が過ぎてるというか、最適解を見つけて動いてるだけっていう感じなんだよね。マルバツ問題みたいに」
言いながら机に指でマルとバツを書く。
「あのさ、アニメで、こういうときどんな顔をしたら良いか分からないのって台詞があるじゃない?」
「ああ、あるね」

有名なアニメなだけに、僕のクラスでも知っている人が多い。
その中でも指折りに入る名シーン。

「言葉にして人に話すと、中二病抜けてないだけの痛い奴、って感じするじゃない?私も自分でそう思うんだけど、よく分かるんだよ。すごく。だって私も分からないんだもん。模範解答がないと、分からない。こういうときはこう反応したらマル、こういう反応はバツ、みたいな。そのマルだけを選んで生きてるの。今まで生きてきて見つけた模範解答をカンニングし続けてる感じ」
「つまり」
つまり、あの教室での振る舞いも、豊かな表情もどこかで見てきたものだということなのだろうか。

「誰かのものを盗んで使ってるってこと。全部。……全部」
とてもそんな風には見えなかった。
誰かの真似をしているというような不自然さは感じたことがない。
誰もそんなことを津杜に感じている人はいないんじゃないだろうか。
「だから空っぽ」
「なんとなく、分かった」
それでも全部を理解するには少し無理があった。
今にも頭から湯気が出そうだ。

率直な感想は痛い奴、というよりヤバい奴。
そう思うのに、何故か津杜の話を笑い飛ばすことが出来なかった。
津杜がずっとマルを描いていた机から顔を上げて僕を見る。
「だからいつも朝霧くんが教室でやってることはバッテンなんだよ」
「え?」
「私の模範解答からしたら、だけどね」
ふふ、と笑う津杜はやっぱり寂しげだった。
「でも本当は羨ましいんだ。教室なんて空間にいて自分のやりたいことやりたくないことをはっきり意思表示出来るの、いいなぁって。だから一回意地悪しちゃった。ごめんね」
意地悪と言われてふと思い浮かんだのが、鉄壁の防御を崩しに来たときだった。
すぐに思いついたのは津杜が僕に謝ったのがその時だけだったから。

「私も本当はそうしたいんだ。そうしたい。イヤホンしてずっと好きな音楽聴いて、授業だって起きてるのか寝てるのか分からない程度に聞いて、厭きたら外見て今日も天気良いなぁとか思ったり、して。でもね私がそれを許せないの」
「……それは、どうして?」
「バッテンだから」
はっきりと言い切った。
誇張でも何でも無く当然のように。
「こうしたいって私と、こうするべきって私がぶつかると負けちゃうんだよね、私」

「じゃあ、今はこうしたいっていう津杜ってこと?」
「……」
津杜が驚いたように目を丸くした。
学校で何度か見たその表情も、どこか違っていた。
「うん。そうだね」
「そっか」
「へへ、読んでもらったのが朝霧くんで本当に、良かったなぁ」
「大袈裟だな」
急に照れくさくなって頭をバリバリと掻く。
「他の、友達とかには見せたの?あの話」
「ううん」
見せてないよ、と津杜が首を振る。
「見せれば良いのに。面白い話だと思うけど」

誰にも見せてないというのは少し意外だった。
たまに自作の漫画がクラス内で回覧されてくることがあるくらいだ、頼めば喜んで読んでくれそうなものだけど。

「見せられない、んだよね」
津杜が困ったように笑う。
「すごく説明が難しいんだけど、それは、バッテンなんだよね。だからちょっと反抗っていうか……うん、バッテンだって分かってるから、反抗して授業中に続き書いたりしちゃってたんだけど」
反抗。
それは自分に対して、ということなんだろうか。
「だから、朝霧くんに読んでってお願いしに行ったときすごい頑張ったんだよー」
「そ、うなの?」
「もうバッテンの嵐」

津杜が顔をしかめて片眉を跳ね上げる。
「一人の時は黙ってやらせてやってんだからそれ以上望むんじゃねぇ。いい加減わきまえろ」
「え?」
「って感じ?でも読んでもらっちゃったから私の勝ちだなー」
顔の力を抜いて笑う津杜に、小さく息をつく。
「えっと……今のは?」
「ん?マルの私」
マルの私。
こうするべき、の津杜。
「なんか、随分高圧的なんだね」
やりたいことを、誰に迷惑をかけるわけでもなくただやりたいだけなのに。

「と、いうか自分で話しておいてなんだけど、朝霧くん、私の話信じてくれるの?」
「え、嘘なの?」
「ううん。本当、だけど……。だってこんな話、信じられないでしょ?」
「まぁ、正直ヤバいなって思ったし頭パンクしそう」
「だよね」
「でもそんな嘘をつく人が作る話じゃなかった気がしたから」
「……そう、かな」
「なんとなくね」
津杜がへへへ、と笑ってノートの表紙を撫でる。

「朝霧くんは優しいね」
「……それはどうかと思うけど」
「あー、私が褒めてるんだけどなー」
私、のところを強調して津杜が笑う。
やりたいことの方の、私。
「じゃあありがたく受け取るよ」
「レアだよー」
ひらひらと手を振る津杜に、ふと疑問が浮かんだ。
「津杜は小説家になりたいんだ?」

ちゃんと物語として成り立ってるものを見せられれば、当然そういう目標があるんだと思った。
でも、津杜の反応は想像と違った。
「……んー」
困ったように笑って机に視線を落とす。
「そうなったら、いいなって思っては、いるよ」
今まで聞いたことがないほど弱々しい声だった。
なんとなく居心地が悪くなって、もぞりと体を動かす。

ああ、だから僕は駄目だというんだ。
調子に乗って突っ込んだことを聞いてしまった。
踏み込んではいけないところまで踏み込んでしまった。

「……ごめん」
「謝る必要ないよ。だいじょぶダイジョブ」
両手を振る津杜は、大丈夫と繰り返した。
「私、お話書くの好きなんだ。話を考えてるとすごくわくわくする。どんな生活してるんだろう?どんなことがあったんだろう?何を考えているんだろう?って」
それは僕にもすごく分かった。
「だからね、多分やり続けるとは、思う。私、自分の作るお話好きだから」
「そうなんだ」
「うん。私が私でいられる場所だからね」

自分が自分でいられる場所。
そんなものを持っている人は少ないように思えた。
そもそも僕もそんなことを考えて生活なんかしてない。
なるようになれと流れに身を任せているだけだ。
それも津杜からしたら。
津杜の模範解答からしたら、バッテンなんだろうか。

「あ、そうだ」
思い出したように津杜が、ずい、と体を机に乗り上げる。
自然と背中を反らせて、体を離す。
「今日変な話ばっかり聞かせちゃって、ごめんね」
「いや、別に……」
「変な話ついでに、今日聞いた私の話は学校では内緒にしてもらえると助かるなー、なんて思っちゃったり?」
手を合わせて、この通り、と頭を下げる。

今さっき聞いた話や声は、実はドッキリだったんじゃないかと思えるほど、戯けたような素振りにあっけにとられる。
いつもの津杜だ、となんとなく思った。
「言いふらすような話でもないし、言わないよ」
隠すようなことでもないと思うけど、とは言わなかった。

「ほんと?約束だよ」
「分かったよ」
「ありがと」
指切りもしない、二回目の約束。
津杜が作った世界の寂しさの正体を、垣間見たような気がした。

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