【予定】
ひんやりとした空気を吸い込みながら、大きな鉄格子の門をくぐると、ゆうに50年は生きているだろう欅の木が何本も静かに佇んでいる。
欅を縫うように敷かれた石畳の道には、色づき風に落とされた葉が好き好きに散らばっている。
使い古したスニーカーのゴム底の、貧弱な感触までが心を弾ませる。今日は何も予定がないのだ。
蔦に囲われた壁にはいくつもの小さなひび割れがあるが、ここへ来る人の中にそれを気にする人は一人もいないだろう。必要以上のものは、やはり必要ではないのだ。
入り口の受付の女性に軽く会釈をしてから廊下を少し進み、高い天井を見つついつものように少し背を伸ばして深呼吸をする。
大閲覧室に足を踏み入れると、背の高い窓から差す柔らかな光線が、微かに舞う埃を照らしている。
古びた木製の棚に敷き詰められた本達も、ゆっくりと呼吸をしているようだ。
階段を降り、登り、意識の赴くままに巡ると、いつの間にか一つの背表紙に手が伸びている。今日は日が暮れるまでこれを読むことにしよう。
たった一つだけの私の今日の予定。
広々としたスペースにて、黙々と自分の時間に浸る人々。学生の中にはたまにひそひそと話をする者もいるが、多くは静かに参考書に目を通したり、シャープペンシルでノートに書き込んだりしている。
いつものご老人はまたソファーで居眠りをしているが、今日は手に花を持っている。誰かに貰ったのだろうか。
今日はソファーではなく、窓に面した小さな机に向かうと、欅の枝が僅かに揺れているのが見える。厚さはそれほどでもないが、たくさんの人が読んできた事が分かる背表紙を、机に静かに置いてみる。
いつものように、顔を近づけて少し紙の匂いを確かめてから頁をめくると、自分の選択が間違っていなかったことを確信することができた。
今日はこの場所で日が暮れるまで、ただこの本を読む。それ以外には何も要らない。
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