Twitterの形に握ったおにぎりだけ禁止しても意味がない
根っからのバズ思考だと思う。
春とヒコーキさんのラジオでも少しだけ触れてもらったが、どうやったらバズるかを考えるのが好きだ。ポストひとつ取っても、多くの人の目に引っかかるように語彙や情報量を推敲している時間が多々ある。
この時間は一体何なんだ?と「SNS断ち」を実践したこともあるが、1週間ぐらいで、SNS以外のインターネットを全然かなり見ていることに気付いてやめた。
インターネットというお米を毎日食べている俺にとって、Twitterの形に握ったおにぎりだけ禁止しても意味がなかった。ディスプレイの奴隷。フラッシュ倉庫で生まれ、ニュー速VIPで育った出自を恨むしかない。
バズ思考の話だが、その根底には「知らない人に見て欲しい」という意識が常にあると思う。一見さんのために入口の扉をずっと押さえている感じ。
そうして部屋に招いたお客さんに、個室でありのままの脳みそを見せ、好きになってもらうか悲鳴を上げて逃げられるか、の繰り返しだ。
ここらへんに関する「承認欲求」の話もしたいので、また別の記事で書きます。「承認欲求は性器ではない」みたいな話。最悪の授業予告ですね。
「知らない人に見て欲しい」は、もちろん大部分は自分のためだけども、別の小さな理由が一つだけある。
「アマチュア大喜利を見て欲しいから」だ。
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