雨粒の音が窓を打ったら

2022年は、卒業論文の提出とともに幕を開けた。


専門はロシア文学だが、その中でも誰もやっていないような哲学者を扱った。

だが、題材はマイナーでも、扱ってる中心的内容は「どうすれば我々は生きることを選択しうるか」という、根本的な問題であった。

結論として、僕らは論理的には生きる意味には辿り着けず、「論理的飛躍」(宗教的には「神」)がなければ生きることを選択できない、と述べた。


大学時代、ずっと向き合ってきたこの問題が、ひとまずの着地点に辿り着いたと感じて、安堵しつつ卒業した。


5月、就職し、地元での研修を終えた僕は東京に出た。

何もかもが過剰で、どこに行っても人がいる。

周りにあるすべてが僕の欲望を駆り立て、大きな渦に飲み込まれるような感覚があったことを覚えている。

大学時代に過ごした京都とはまるで違う時間の流れ。

僕もいつかは品川駅の速すぎる人の流れに慣れる日が来るのだろうか…。


生きる意味を見つけるには「飛躍」がいる。「神」を見つける必要がある。

裏を返せば、それを見つけられなければ、生きる意味なんてなくなってしまう。


7月頃、僕は論理的に「飛躍」することができないまま、すべての意味を失った。

働く意味も、生活する意味も、生きる意味も。

まるで当然のことのように、僕は死ぬことを選ぼうとした。


周りの人の助けもあり、僕は死ぬことを免れたが、鬱の再発と診断され、しばらく休職することとなった。


しかし、休職が決まってから、何か吹っ切れてしまったかのように、放埒な生活を送ってしまっていた。

手元に金がなくなりかけても、誰かの善意を食い物にしては、自分の欲望のために使ってしまっていた。


意味がないのに生きている、その現状を受け止めきれないまま、無感情に、しかし動物的に日々を過ごした。


どんな音楽も、どんな絵画も、文章も、何も僕の胸の奥には入り込んでいかなかった。


心だけ、完全に殻にこもってしまっていた。

そうして、夏は過ぎようとしていた。


8月も終わろうというある日、僕はSpotifyである曲に出会った。


ヌュアンスの「雨粒」という曲だ。


最初、Aメロを聞いて、センチメンタルで好みだな、くらいの気持ちだった。

しかし、Aメロが終わればすぐに、ドラマチックなサビが始まる。

「愛が落ちそうだ」という歌詞が、どうしてか胸を貫いた。


完全に蓋をしていた僕の感情を、ぐちゃぐちゃに掻き回されるように感じた。


痛いし、辛いし、寂しい、と感じた。


でも、ぼくが完全に失っていた、感情の温度を少しだけ思い出してしまっていた。



次の日の夜、僕は浅草花劇場にいた。

「雨粒」を歌う、ヌュアンスというアイドルを見るために。


その時のことは以前書いたので割愛するが、それは、今まで持っていた「アイドル」に対する偏見を破るような、素敵な経験であった。


そして、僕の殻に、少しだけヒビが入った。


自己完結した論理体系に、歪みが生じた。



それから半月後、僕は復職した。


休んでいたぶん、他の同期と比べると遅れを取っていたが、それを取り戻すように頑張った。


もちろん何も分からないし、苦しいが、それでも辛くはなかった。


「推し」がいるからだ。


完全に空っぽになってしまった僕の世界は、「推し」という中心点を取り戻した。

「推し」のために毎日を乗り越えることができた。


それはもはや合理的なものではない。いわば、推しは、「論理的な飛躍」として、僕の前に現れたのだ。


論理的に考えれば何もかもに意味はないかもしれない。でも、推しがいるから頑張るし、生きている。

それを誰かに納得させるように説明することはできない。


10月には、ヌュアンスが川崎チッタでワンマンライブを行った。ここで、念願の「雨粒」を聞くことができた。


生バンドで、その場で生み出される音の渦は、あの日イヤホンで聞いたよりも、ずっとずっと素晴らしかった。


歌も、踊りも、大所帯のバンドの演奏も、すべてに圧倒され、気づけば僕は泣いていた。


僕の心を守っていた殻が、全て崩れ去ったのを感じた。


「雨粒」は、「あなた」に対する抑えられないほどの気持ちを歌っている。

自分が背負う愛の重さで押し潰されそうになりながら、「あなた」をひたすらに求める。

「あなた」との関係は明示されない。

ただ、不安と迸る想いだけが歌われている。


僕が失ってしまっていたものが、そこにあった。



時を同じくして、祖父が危ない、ということを聞いた。

母子家庭で育ったぶん、祖父母は僕にとって父親の代わりのような存在だった。

色々なところに連れて行ってもらったし、色々な話をしたし、たくさんのことを聞かせてくれた。

最近まで元気で、変わらず頑固だった祖父が、やせ細って、一言も話さなくなってしまった姿を見て、胸が締め付けられた。


祖父は、その次の月に亡くなった。


10月末までは持たない、と言われていなのにも関わらず、11月中旬まで生きた祖父の根性は、流石だった。

おかげで、遠方の家族や友人も、祖父に会うことができたから。


祖父との別れもただただ悲しかったが、何より辛いのは、祖父に別れを告げる祖母や母の姿だった。


身近で大切な人がいなくなってしまっても、当たり前のように明日は来てしまうし、でも当たり前だったその人だけがいない。


祖母や母が冷たい祖父に声をかけているのを見て、悲しくて泣いてしまった。


死は、時間の流れから、誰かを置き去りにすることだ。


際立つのは、止まってしまった時間ではなくて、これからも永遠に続く時間、知らぬ顔で来る明日だった。


それは、どうしようもなく悲しい。


終わることよりも、終わらないものがあることのほうが、もっと残酷にも思えた。


身近な人の死に対して、忘れないこと、それだけしかしてあげられないのがとてもつらかった。




紅葉の季節も終わり、本格的に冬が始まったころ、ヌュアンスの環珠理さんの脱退が発表された。

仕事の昼休憩でそれを見て、思わず固まってしまった。


僕を変えてくれたアイドルグループの一員が、抜けてしまう。

それは、思ったよりも衝撃的なことだった。


当たり前に続くかなと思ってしまうことほど、急に終わりを告げられて、呆然としてしまうものかもしれない。



そして12月20日。


僕が初めてヌュアンスに出会った浅草花劇場で、環珠理さんのラストライブが執り行われた。


僕を救ってくれた5人の歌声が重なることはもうないのかと思うと、明るい曲ですら胸が一杯になった。


でも、環珠理さんは悲しさを見せずに、アイドルをやりきっていた。


いつも通りに最高に楽しいライブをしていて、この5人を見られなくなることが信じられないような、「安心感」があった。


もちろん、それが一番寂しくて、辛かった。


当たり前にすぎると思っていた時間の流れの中から、唐突に何かがこぼれ落ちてしまう。


こぼれ落ちたものには見向きもせずに、無慈悲に明日が来る。


このライブが終わったあと、つまりヌュアンスが4人になってしまったあとも、当たり前のように明日が来て、当たり前のように仕事に行かなければならなかった。


悲しかった。


でも、僕らができることは、せめて僕の中でだけでも、時間からこぼれ落ちた誰かを掬って、胸に抱いていることだけかもしれない、と思った。


愛が落ちそうだ

繋がる言葉で

固く結んで

そばに置きたい

あなたの身体ごと


電話が繋がらなくても、

会いに行けなくても、

好きなグループからいなくなっても、

この世界からいなくなっても、

ずっと、あなたをそばに置きたい。


品川駅の人の流れみたいに、高速で過ぎる時間から零れるものを、せめて僕だけは抱きしめていたい。


生きる意味を失って、死のうとした僕は今、舞台や世界からいなくなってしまった誰かを、この世界に繋ぎ止めようと必死になっている。


意味なんてないはずのこの世界に、忘れたくないものを胸に抱いて、生きていこうとしている。


好きな人や物が消えてしまわないように、僕が生きている。


それはもう論理ではない。


でも僕は生きなければいけないな、と思っている。



雨粒の音が窓を打ち、僕は窓を開けた。


そのとき、閉じていた僕の部屋は世界と繋がった。


冷たい空気が、僕の独りよがりの論理を冷ましてくれた。


湿った風が、乾燥した僕の情緒を潤してくれた。



僕は、「雨粒」と出会い、「どうしてもあなたじゃなきゃだめ 初めてそう思えた人」と出会い、「別れ」と出会った。


それはすべて、頭で理解できるものなんかではない。


でも、もっと大事なことかもしれない、そう思った。



いつか、いちばん大切な存在との別れも来るだろう。

当たり前のように笑い合う日々が、突然ぷっつりと消えてしまうときが来るだろう。


その時が来ても、その人を鮮明に覚えていられるように、毎日を大切にしていたい。



そして、僕もいつか消えてしまう。

時間の流れからこぼれ落ちる僕を、誰かが掬ってくれるのだろうか?

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