施設介護のいじめ

男女差


男女で給料に差がある場合。
つねに、男女間で問題が発生する。

お金を、たくさん、もらっているんだから、そっちががんばってよ

という

問題である。


おもっているよりも、女性は、感情をベースにして動いているということを忘れてはならない。



職場に、男性職員がなんにんかいる場合、男性社会(粋で、べとべとしていない、サッパリとした、いい社会)を展開したほうがうまくいく。


きほんてきには、介護の業界は、女性がおおいというのも知っておく必要がある。

女性のしゃかい、は感情をベースに成り立っており。

また、しゃべる、ということによって、こころが癒される、それを唯一のエンターテインメントとしている側面があることもある。

喋れないは、息ができない、に相当していることもある。



男女では、明確に、ちがう ことをおぼえておこう。




 社員かアルバイトか

社員かアルバイトかを、認識させるような名札や印の違いやミーティングに参加するかしないかの違いや、差別はしないほうが良い。


施設介護のつきものと言えば、職員同士でのいじめ。

施設介護というのは、実は、


 ・脱着介助
 ・洗面介助
 ・整容介助
 ・掃除介助
 ・ゴミ回収介助
 ・移乗介助
 ・排泄介助
 ・移動介助
 ・食事介助
 ・認知症ケア = 世界観ケア
 ・入浴介助
 ・布団干し介助
 ・洗濯介助
 ・バイタル介助
 ・レクリエーション介助
 ・水分介助
 ・栄養介助
 ・おやつ介助
 ・散歩介助
 ・排便チェック介助
 ・排便コントロール
 ・昼夜逆転の解除
 ・愛情介助
 ・運動訓練介助
 ・見守り介助
 ・けが防止の発案
 ・環境の整備
 ・道具の補充
 ・配薬介助
 ・調理介助

 ・作業療法
 ・園芸療法
 ・音楽療法

 ・回想法
 ・自立支援
 ・自律支援
 ・残存機能の保持
 ・尊厳の保持
 ・最終目的地点の共有
 ・最終目的地点に向けた 必要 と 不必要のみぬき
 ・必要を残し 不必要を排除
 ・自己選択


などなど


ひじょうにやりがいのある、おもしろい、仕事である。
かんがえる喜び。
言い方は誤解を与えるかもしれないが、 おもしろいゲーム である。
謎解きゲーム。


○○が起きた理由は、××をしたから…とか。

今日、ごほんにんが不穏なのは、前日に○○をしたから…とか。

前夜、夜間多動が多かったのは、日中の愛情介助(ユマニチュード 伝わる愛情方法)をしなかったからとか。・・・。


○○が起きたのはなぜだろう。
そうか、○○をしたからかも、○○をしなかったからかも。
じゃあ、今度は○○のときに○○をやってみよう、○○のときに○○をやらないで様子を見てみようどうなるか

など。


なぞとき
ためし
よりよく
どうすれば
こうすれば
どうなるか

そういった、おもしろみのある世界なのである。


仕事自体は非常にやりがいがある。
しかし、施設介助につきまとうのは、職員同士の人間関係が、ぐっちゃぐちゃであること。

ごほんにんにとっていい介助をゆめみてがんばるひと
体力に限界があるから、さぼりながら、省略しながらがんばるひと

ひとにはそれぞれ、限界があり、それぞれのできる範囲でがんばっている。


そこに、プライド、余裕のなさ、思いつけない、ハイクオリティ障害、エネルギーの無駄遣い、決めつけ、…などなど

愚痴っぽい、自慢や、被害妄想的、などの要素を持っているといじめられやすいとか

自分の行動や言動のなかに、無意識の困った癖があるといじめられやすいとか

誤解のし合い ミスコミュニケーション


あの人は、いつもサボってばかり、とか
あの人は、○○だとか、


そういった不平不満。

自分はがんばっているけれども、あの人は…サボってばかりという怒り
それは、ハイクオリティ障害の状態に陥っていたり
他の人と歩が合っていなかったり
過剰にがんばりすぎていたり
じぶんがそこまでがんばることないのにがんばっていたり

適材適所が崩れていたり


そういう


要素が、絡み合ってくると

 いじめのある職場


と化してしまい、とってもむずかしい職場となってしまう。

そういったことにならないようにどうすればよいのか。

・換気をする
・掃除をする
・植物をおく
・花をおく
・適材適所をまもる
・他人が他人をいじめているさまに、首をつっこまない
・いじめられているひとは、自分に無意識の困った癖があるかないか意識してそれを変化させてみる
・他人は変えられないけれど、じぶんなら変えられる という論理は、途中から自己破綻に向かうことを知っておく
・カネカネとならない
   カネをもらっているんだから!!!!
・他人をやたらと責めない
・ハイクオリティをめざさない

  最低限度を護る介護をめざす
  余裕を生み出し
  ごほんにんにとって良い介護 をみいだしてゆく

・アルバイトパート、正社員関係なく

  介護
  事務
  看護
  ケアマネージャー
  台所
  掃除

 どの職員も、ミーティングに参加する。
 仲間外れをつくらない。

・経路はそれぞれで良いが、 ごほんにんにとってよい介護 という共通のゴールをみんなでそれぞれにめざす

・体力の限界はそれぞれちがうことを意識する

・自分だけ過剰にがんばる ことをしない 歩を合わせる チームで歩を合わせる
・自分だけ過剰に能力をつけまくって発揮しまくって、それをほかの人に求めたりしない


ごほんにんにとって良い介護
というのは

たとえば、四点柵や閉じ込めが、よいことなのかわるいことなのか、という課題にも言えること。

四点柵や閉じ込めは、一般にはわるいこととされている。


が、ご家族によっては「この柵は、うちの母を守ってくれているんです」と言う家族もいる。

そのごほんにんにとってはどうなのか。
そのごかぞくにとってはどうなのか。

それをかんがえなければならない。


○○はわるいこと ○○はよいこと とは、一概には言えない。

その状況、その場合、においてもっともよい策、もっとも継続可能な策、を選択してゆかなければならない。

たとえば、ベテランのおばちゃんが、上手にサボりながら、上手に四点柵やっちゃいながら、上手に拘束をやっちゃいながら…長く勤めゆくことができてごほんにんを最後まで見守ることが介護をすることができるのと
若きキラキラ介助者が、拘束はいけない!と拘束をせずに一回一回対応しながらヘロヘロになり、何年かで力尽きてその職場をやめてしまい、そのごほんにんを最後まで見守ることができずに終えることと

はたして、どちらのほうが   ごほんにんのため   になっているのかという。


おそらく前者のほうが、 ごほんのため になっている。


業務継続可能性のある介護 (サスティナブル・ヘルプ)とはこれのことである。

  男 女
10
20
30
40
50
60
70
80
90
100
110
120

この表のどこに自分が当てはまっているのかで、どのような問題をかかえることになるのかが、およそわかる。


10代20代は、より良い介護、法律をちゃんと守る介護 をゆめみており、体力もたくさんあり
その職場に2・3年勤めたあたりから

 過剰責任感と万能感

をいだくことになり

 ハイクオリティ障害を発症して

自分がいなければこの職場は成り立たないどうにかなってしまう
じぶんは ちゃんとした介護 (ハイクオリティな介護)をできていて、いっぱい働いていて
周りの職員
周りのおばちゃんたちは、ひまばかりしていて、喋ってばかりで、サボってばかりで、ずるしてばかりで

そういう思いをいだくようになる。


細かい より良い介護 をめざすことに神経質になり、100%介護をめざすようなかたちとなり。

こんな低レベルな人たちといっしょに仕事をできない と自分がその施設をやめる か
周りのひとたちがついてこれずにやめてゆく そのことにより人手不足に悩まされる ということになる。

こうでなければならない!

という思いのツヨイ場合は、年齢や性別に関係なくこの現象を引き起こす。


30 40 50 60 70代の、おばちゃん同士で、いざこざが起こることが多いらしい。
実際にそうだが、どうしてそうなるかはわたしは知らない。

介護をいままでやってきた60 70 80代のおばちゃんは、海千山千で、何をおさえればいいのかがわかっているし

継続可能な介護というのを理屈抜きで体感で正確に知っている。
すこしくらい、なにかをやぶっても、すこしぐらいずるしても、休んでばかりでも、長く介護をつづけてゆくことのできるやり方を知っている。


その変わり

 ・回想法
 ・自立支援
 ・自律支援
 ・残存機能の保持
 ・尊厳の保持
 ・最終目的地点の共有
 ・最終目的地点に向けた 必要 と 不必要のみぬき
 ・必要を残し 不必要を排除
 ・自己選択


などの理屈はぬきでやっていることが多く、理屈をベースにして動いている、男性陣とはいまいち話が噛み合いにくいということあり得る。

60 70 80 90代の
介護のベテランおばちゃん
おばちゃん

とにかく喋りたいという欲求を兼ねていることが多い。
喋るということをしていないと、死んでしまうということである。
息をするようにしゃべる。

これ!と言った趣味がないばあいは、喋ることだけが、エンターテインメントとなっているケースがおおい。


10 20 30 40 50代の男女には、ハイテクな世界を生きてきてさまざまな趣味を個人で持っていることも多い。
だから、職場でなんらかの趣味をエンターテインメントを求めなくてもいいケースが多い。

しかし、そうではない存在にとって、職場にいって誰かと仲間と喋ることだけが、楽しみ、社会との接点、エンターテインメントであるというケースもある。


だから、おしゃべりばかりしているおばちゃん、をそのままやさしく理解してあげなくてはならない。

だから、サボっているばかりズルしてばかりのおばちゃん、をそのまま賢いなぁと理解しなければならない(それは、体感で直感で経験でサスティナブル・ヘルプを実行しているのだから)


体力いっぱい、ゆめいっぱい、理屈いっぱいで、動く若者と

体力に限界があり、最低限をおさえてきていて、経験いっぱいで、理屈抜きで、動くベテラン介護おばちゃんと


そのあいだで、お互いに、フラストレーションがたまってゆく。
蓄積されてゆく。


年齢に関係なく、こうでなければならないこうでなければならない!と一般論や常識を持ち出してきて押し付ける人は、
 【その】本人にとってどうなのか
という視点がはずれてしまいやすく

パーソナルセンタードケア

から、ややはずれてしまっている
という現象になりやすい。

こうでなければならない、こうでなければならない、という強迫観念、固定観念で介護をすすめてゆくのではなくて


根拠に基づいて
その本人の必要に基づいて
専門知識に基づいて
その本人の最終目的に向かうことを意識して
その本人のセカイカンにもとづいて

かいごをすすめる必要がある。

こうでなければならない、こうでなければならない、という強迫観念、固定観念は、他人に押し付けてはならない。

また、
この人はいい介護者
この人はいい介護者でない
という評価を
介護職員が行ってはならない。


ご本人がおこなうものである。


また、いい介護者だろうが、わるい介護者だろうが、その場にいて、最低限必要なことをおこなっているだけで、十分に立派な介護者であり
場の役に立っている
ご本人のためになっている
という視点を忘れてはならない。


最低限を守っていく介護である。


職場が与える、ハイクオリティ というものを、ほんとうにほんとうに、その御本人が求めているのか必要としているのかと言うと、かならずしもそうではない。

過剰なハイクオリティを排除し
本人が欲しがっていないハイクオリティを排除し
本人が必要としていないハイクオリティを排除し
本人の最終目的地点にたどりつくために、ひつようのないハイクオリティを排除し

スマートに、サスティナブルにして、どんな介助者も歩を合わせて
毎日70%の介護をすすめてゆく
という介護めざすのがよいと、個人的には思っている。

職場の調和がうまくいっていない場合は、

・花を置く
・植物を置く
・換気をする
・整理整頓をする
・BGMをながす
・全員参加のミーティングを開く
  特定のひとはいつも出ないという状況をさける
・全員参加の食事会を開く

・社員かアルバイトやパートかを、差別するような扱いはしない


この8点をいじでもおさえることによって、オーラが調和してうまくいくとのこと。


※スピリチュアル プチ お祓いブック ¥952 著:江原啓之 の30ページを参照


介護は、スピリチュアルや占いと深いつながりのある職である。



社員かアルバイトか

社員かアルバイトかを、認識させるような名札や印の違いやミーティングに参加するかしないかの違いや、差別はしないほうが良い。

違いの見える化をふせぐ。

この場合は、社員かアルバイトやパートかは、見えない化が重要だ。


そこにへんに差をつけたり、意識させたりしてしまうと、オーラが調和しなくなるからだ。

また、おきゃくさん、ごほんにん、りようしゃさん、にとっては、そんなの関係ねえ からだ。


パートアルバイト・社員、関係なく、職種に関係なく、ミーティングをすすめる必要がある。

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