合成がー1

観葉

――そうだな。消費税が20%を超えたあたりからだ、生野菜を口にしなくなったのは。

 買い替えるタイミングを失った古い冷凍庫に、週一で買い求める冷凍野菜と果物。草の匂いが嗅ぎたければ公園へ行き、果物は子どもの居る場所に佇み素早く想像力で増幅させる。尤も子どもの数はめっぽう減ったが。

 『ゆたかな暮らし』を求めて税はどんどんと値を釣り上げ、人の眼も吊り上がった後ぷつりと切れ、私の周りには年齢より年かさに見える人ばかりが働いている。
「これじゃあ暴動が起こるよ」
 そうまくしたてる者もいるが、そういう奴の口ばしに限って、切れて血が滲んだりなぞしていない。

 豊かさに与すると不幸になる。わかっていても、たまに緑の濃く鮮やかな匂いの食べ物にありつきたくて働く。分け与えられなくなった年金と引き替えだというように定年は大きく引き上げられた。ひと昔前に呼ばれていた年寄りも年寄りとは呼ばれない。永遠に続くかのような長い労働の日々。しかしこのわずかばかりの労働力では、きっと何もかも足りてないのだ。
「暴動よりクーデターだ」
 急に声をひそめた彼の、若い口元を憎らしく、申し訳なく見つめる。

 それでも少し前までは一般家庭でも庭で野菜をつくろうとしたのだ。庭の無いところではプランターや水栽培。私も、貴重になった紙パックにマンション前の痩せた土を入れ「生えますように」と長ネギをそっと挿したものだ。

 けれどすぐに様々な業界から圧力がかかった。『ゆたかな暮らし』の根底を揺るがしかねないとされた生きる知恵はプランターごと奪われ、サプリに代替された。企業が生きるために人から緑が奪われる。純度の高いサプリを賄うことは所得の少ない家には難しい。紛いものらしい、安い薬が流行る。原因不明の痙攣死が増えた。清浄な白い建物を背景画像に若い女優が「信頼できるサプリメントをお求めください」と唱える。街中の3Dメディアプレーヤーで。
 青い星、緑の地球――時代を越えて人々はこの星を色でなぞらえたが、人自身は時を追うごとに色を欠いてゆく。

 『ゆたかな暮らし』に子どもは必要じゃないのだろうか。

 手厚く保護されるようになった子育て支援も、急に不妊を訴える女性が増えてから無用の長物と化した。健康な子どもの数も減った。障害があれば出生前に治療できると称して進んだ出生前診断は、却ってまったき健やかな子を減らすことになった。

 なんとかワクチンを接種したせいだよ、と実しやかな噂が立った。有機化合物のせいだとも放射性物質のせいだとも。産めない状況に変わりないのだ。真実を知ることを恐れるように、噂以上の話題の取り上げられ方はされない。

 隣国では子どもの数が爆発的に増えたと聞く。産児制限をした政府が倒れ数年待たぬ間の出来事。しかし公的に発表された国民の数は穏やかな増加にしかならなかった。『ゆたかさ』のために隣国が選んだのは……いや、語るまい。

 この国では観葉植物を口にして死ぬ人が増えた。数年来、気候が激変した結果、農・畜産業は壊滅し自給率は恐ろしく落ちた。緑を愛でる豊かさがあった頃の名残として壊滅をのがれ、人の手に残ったのが観葉植物だ。改良がすすみ薬漬けにされた緑は恨みを晴らすように口にしたものを短時間で死に至らしめた。
 観葉。緑や花は鑑賞するもの。食べてはいけない。食品売り場の奥に24時間温度管理された葉ものは、豊かさの象徴と、ほんの少しの金持ちのため。
 食べられるところには、ない。
 飢えた体を満たすために。餓えた緑を足さんがために。食べられる緑を口にできる者との間のゆたかさの壁を怨んで、私も観葉植物を糧にする。

……そうそう、土壁を盗んで食う者も増えたそうだ。国宝だか重要文化財だか、昔の土壁にはミネラル以外にビタミンや葉酸が混じっているらしい、と。公園の腐葉土をごっそり持って帰る者もいたな。どこまで本当だかまやかしだか。懸命に土壁を掘り無心で口にする白髪頭を見るとそれも言えなくなる。
 スマートな国民と国外から評されるのはスマートなことなのだろう。横文字に変換された飢餓は緊迫感もなくむしろ国の体面を保っている。

「コクセイってなに?」
 選挙権が16歳まで引き下げられた年、街頭インタビュウであどけない声をあげた女は今、幾つになった。生きているだろうか、病んではいないか。思想教育に呑まれたあとまだ疑いの目は死んでいないか。

 やっと生まれた赤ん坊に、支援から遠く切り離された者たちが与えるのも土壁でできた土の粥。仏閣の前、老獪は死なず子は倒れていく。飢餓。

 コールタールのように憎しみや悲しみが糸を引き目の前に暗く輝く姿を、私も誰も顧みない。恐れているのか。何を。

 葉を食い散らす虫と人を避けるため、こまめに薬を降られ艶やかに磨かれた観葉の緑が、どれほど今たいせつなのだろう。

 私のわずかばかりの働きが国を支えるのならまだ働こう。対価で『ゆたかな暮らし』も甘受する。そして死んだなら墓はつくらず海に捨ててもらおう、こっそりと。もう緑あふれる世界はたくさんだ。祖先が海から来たように海に帰る。豊かさも幸福も無用になるのだ。
 国、か。いつのまに私もインプリントされ生きているのか。

 私は海に解け何色となるのだろう。生きているあいだ身を腐らせた豊かさは捨てられるだろうか。

 神無月、台風一過、緑色の鮮やかな発光ダイオードの前でボンヤリ蹲り、思う。

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