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⑤舞台との出会い

2007年〜2008年くらいの事。
ダンス以外もネタが無いと体力的にも時間が持たないですし。
何か増やさなければならない。最初はそんな動機でした。
いろいろなものを見に行き、学びに行きました。


パントマイム、舞踏、マジック、写真、美術作品、彫刻、建築、いろんなものが表現に通じました。
身体描写された絵、彫刻、造形物は本当に集中して見ていました。


手の形の多彩さに驚き、傾きや身体捻り方など、沢山真似をしました。
美術作品は動いてないのに人を惹きつける力があります。
それは作者のその物への向き合い方なんだと思います。
どうにかその力を分けて貰いたい、と思い、手当たり次第に何の下知識もないまま見まくってました。


知識がないと、初めて大道芸を見る観客の立場で見れます。初めての表現に生まれる感覚を得るのに、知識が邪魔になることもあります。

こちらがどのように感じるか、影響を受けるか、がとても重要で、本音を大事にしました。僕個人の考えですが、表現を伝えるのは、技では駄目なんです。自分の本音を手に入れないといけない。

観客への目先の良い効果(拍手や盛り上がり、人の集まりなど)を優先して、自分を偽ってしまうと、発展、成長がありません。
だって、自分の感覚から出た表現じゃ無いのですから。表現として反省しながら成長ができないのです。

我ながら、本当にめんどくさい性格で、効率よく物事の近道を通れません。多分、会社では相当使えない社員になると思います。。

下の写真の通り、僕がちょっと違う道に進んでしまっても平気なのは、昔からなんです。

写真の通り、みんなと離れて座っちゃうタイプです。生きづらいったらありゃしない(笑)

自分の感覚と出会う、、表現を使ってコミュニケーションを図る上で、一番土台となるところです。そこを間違えると、やればやるほど、どんどん辛くなって技術に逃げてしまう。僕が見たいパフォーマンスは、不器用でも本音のものが見たい。楽しんで貰うために演技が必要なら、深く理解した演技が見たい。

当時ワークショップ、レッスンを2、3通っていました。ちゃんと哲学が見えるレッスン、ワークショップは、その人の人生が詰まっている素晴らしいものでした。

動きの表現にイメージが伴い、自分の身体に問い掛けて、引き出していく作業。先生の動きはとりあえずの答えであって、自分の答えではない。自分の納得いく答えを手に入れる道に、ゴールは無く、辿り着きそうな"道"に乗ることが重要。みんな“道”を見つけられなくて悩んでる。もし行くべき“道”を見つけられたら、ゴールと言ってもいい。あとは悩まず進むだけだから。
と、当時の僕のノートには書いてあります。


ワークショップやクリニックにも通ってみると
、出演のお話もいただくようになります。

舞踏や、お芝居、といった舞台出演です。2007年から2009年のことです。

舞踏作品の稽古には大きく影響を受けました。いくつか出たんですが、記憶に残っているものを2つ。書きたいと思います。


1つ目が、舞台の上に、本当の癌末期、余命3ヶ月の方に出ていただき、僕が死神役をする、というもの。
これから亡くなられる方の最後の晴れ舞台の重要な役。。死というものの横に立つのは価値観を変えます。


名古屋のご自宅にも行かせていただき、これから死を迎える上で、何を思い、何を大事にすると良いか、、とか色々聞かせていただきました。
帰りにスピード違反で捕まったのですが、、、興奮していたのだと思います。。反省してます。


2つ目が、身障者の方達と出る暗黒舞踏でした。こちらは舞台稽古も刺激的でした。実際の2時間の舞台より、毎週毎週の稽古の経験が貴重なものでした。

身障者の方達にもいろんな性格の人がいる事も知り、舞台自体に本人は出たいが、家族が反対、逆に本人は出たくないが、家族が出て欲しいと思っている方も。やんちゃな方もいたなぁ。
稽古場の横に一軒家を借りて、何か体に異変があった際の緊急場所も確保していました。

会場は栃木県大谷資料館の巨大地下空間。
観客は鐘の音が鳴った場所に移動しながら観るんです。会場に滴る水滴にマイクを当てて、突然鳴る音を使ったりしていました。
不協和音を得るために、聾唖(ろうあ)の方に太鼓とバチを持って貰い、叩いて貰いました。

この作品は最終的に評価されてイタリアのトリエンナーレに招待されました。
監督は全て終わった後に自死されました
何度も一緒にお酒を飲んでいたんですが、ある時、舞踏は死して完結する、と言われていたのが印象的でした。
葬儀が終わった後に、誰かが、ちゃんと亡くなられたね、と言われていたのも、耳に残っています。

稽古場の横に一軒家を借りるのも、宇都宮駅から大谷資料館までのチャーターバスにしても、身障者の方のヘルパーさんの費用、移動費など監督の持ち出しだったんです。つまり、家に何も残ってなかったそうです。

死を舞台に持ってくる事に賛否両論あるのは分かってます。舞台が終わった後、癌末期の方、身障者を舞台に出させる事に、静かな避難の嵐でした。見世物にしてる!とか。。身障者の方とかだって舞台に出てみたい!って思いますよ。なぜダメなんだろう?

ちなみにそれを客寄せの広告にしてません。暗黒舞踏の土方巽さんや寺山修司さんの流れの舞台では、生き物の死というものが題材、要素で使われたりします。70年代から90年代の話です。監督はその流れの方だったんです。

人を笑顔にさせる、答えの出る分かりやすい舞台は沢山あります。そう言った意味では日本って凄いと思います。でも、人の心や脳に、鉛のようなドデカい岩をブツけられるような舞台って、中々無いんです。体験したことがないものへの拒否反応が半端ないですが、その先を考える舞台があってもいいじゃないですか。

なんて、色々出てきてしまいますので(汗)この先は、機会があった時に。


命って大事なのはわかっています。でもなんで大事なんだろう?って。

多分その答えがその人の人生の中で一番大事なもの、あるいは今は持って無い欲しいものなんだと思います。


舞台裏を経験できた、というのは財産でした。

背負うものをもつことで、表現者と言う自覚が芽生えました。これまで関わった方にも見られている気がするのです。


みんな本気で向き合っていたのを思い出します。
人間関係がどうとか、金銭面がどうとか、客入りがどうとか、内容がどうとか、だけでは無いんです。

そこには命を懸ける本気がありました。
死ほどの本気はなかなか出会えません。


その前では、全てが甘い、とずっと言われているようです。



この経験から、僕のストリートパフォーマンスは大きく変わります。



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