「かわいい」が憑依する。

犬や猫、赤ちゃんなど、かわいいものを見たときに「かわいい~っ!」と言いたくなる。
女性のように、甲高い声で「かわいい~っ!」とはしゃぎたくなる。

声変わりしてからというもの、高い声が出なくなった。
喉仏のせいで、思うように「かわいい~っ!」と叫べない。
感情の表出に身体が対応していないように感じる。

それでも、かわいいものを目にしたとき、自分のうちに「かわいい気持ち」が芽生える。
対象の「かわいい」が自分に憑依するように感じる。

かわいい女性を前にした時も同じだ。
かわいい女性を前にすると、性的欲望を覚える。
同時に、自分のうちに「かわいい」が憑依する。
かわいい女性を前にすると、自分自身もまた女性のようになりたいと思ってしまう。
身体にしなを作りたくなったり、なるべく共感的な感情表現をできる自分でありたいと願ったりする。
それを実現できているかどうかは別にして、である。
それをストレートに表現したら、相手からキモチワルイと思われるのではないか……という意識が働いて、自分のふるまいを調整する。
しかし確実に、自分のなかにはそういう気持ちが起こる。

以前、田房永子さんの漫画に、痴漢やセクハラをする男性には、その人独自の「膜」があるという話があった。
「膜」なかに女性が入ると、相手が自分を誘ってきたように感じたり、自分に欲望されるためにセクシーな格好をしたりしているように錯覚してしまうというのである。

たぶん自分のうちに「かわいい」が憑依するように感じる現象も、田房さんの言う「膜」に近いものがあるのではないかと思う。

「かわいい」の憑依は、女性との関係においてプラスに作用するとは限らない。
自分のなかに溢れる「かわいい」を抑えず、相手に直接「かわいいね」と言ってしまえば、文脈によってはセクハラになり得る。
また相手が真剣に怒っているときに、相手を「かわいい」ものとして見る態度のまま接することは、相手に対して失礼である。

学校などで、元気な女子に話しかけられて「おぉ」とか「あぁ」とか、ぶっきらぼうな返事をする男子がいる。
彼らのうちにもきっと、女子の「かわいい」が憑依しているはずだ。
彼らは、自らのうちに湧いてくる「かわいい」を必死に圧し殺しているのだろう。
そのほうがモテると思って、カッコつけているのだ。

彼らのことを、どこか不誠実な男性たちだと思っていた。
感情の表出や、共感的なコミュニケーションといったタスクを、女性にアウトソーシングしているように見えるからだ。

しかし、である。
「かわいい」の憑依だってマイナスに働くことがある。
どちらが誠実でどちらが不誠実か、一概に言えないはずである。

僕はこれまで「かわいい」が憑依するように感じる感性を、自分自身の魅力のひとつだと信じて生きてきた。

しかしながらここ最近、自分の身にいろいろ大変なことが起こって、そういう感性をシャットアウトする必要を感じている。

これから僕も、もっとぶっきらぼうに生きていこう。
「おぉ」「あぁ」と相槌を打ちながら。

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