エロマンガ制作後記

去年エロマンガを完成させました。

大学生のときにちょっとだけマンガを描いていて、就職しても何かしらマンガが描けたらいいなと思っていたのですが、ずっと描けずにいました。それをようやく描くことができて、とても嬉しかったです。

もともとエロマンガを描こうなんて思っていませんでした。もっと詩的なものや、メッセージ性のあるものを描きたいと、漠然と思っていました。

なぜエロマンガを描こうと思ったのかというと、まずアイデアが浮かんだからです。2017年の正月休みに、公園で瞑想をしていました。そのとき性欲を克服してやろうと思って、割とまじめに瞑想していました。そうしたら、ある瞬間にエロティックな空想がブワッと湧いてきて、止まらなくなりました。これは何かしらの形にしたい。そう思ったことがキッカケでした。

形にするのは思ったより大変でした。四六時中エロティックな空想に囚われるようになりました。仏教に不浄観という瞑想法があります。身体が腐食し滅びていく様子を観察することで、性的な執着を断つというものです。ツイッターでよく瞑想関連のやりとりをしているフォロワーさんから、鳥葬の様子を撮影したYouTubeの動画を教えてもらい、それを眺めて、不浄観の真似事を試みたりしました。しかし効果はいまひとつでした。仕事中にもエロマンガのアイデアを考えてしまい、生活に支障が出るようになりました。これではマズいと思い、何度か描くのを中断しました。

ただしエロティックな空想は、常にブレずに思い浮かべることができたため、マンガを描く題材としては最適だと思いました。他にまじめなことを描こうとしても、途中で自信を失ってしまいますが、エロティックな空想に関しては、そういうブレが一切ありませんでした。

2018年にたまたま関西に行く機会があり、関西コミティアに行きました。コミティアには、マンガ家の先生が参加者のマンガを講評してくださるコミックワークショップというイベントがあります。ちょうど旅の日程を関西コミティアにぶつけることが可能だったため、その日に向けて何とかネームを描きあげ、参加しました。ワークショップでは技術的なアドバイスだけではなく、倫理的な面においても指摘を受けました。性的な表現物が、現実的な加害に転じてしまう可能性について、考えるキッカケになりました。

それから頂いたアドバイスをもとに描き直しつつ、また何度か作業を中断したり再開したりを繰り返しながら、だらだらと時間が過ぎました。

2019年に、エロマンガと平行して「ちんちん」の絵を描くようになりました。ツイッターには、忙しい生活を営みながらも、日々創作物をアップし続けている作家さんがたくさんいらっしゃいます。僕も忙しい生活のなかで、何かしら継続的に発表できるものが欲しい。そう思って「ちんちん」を描き始めたのです。

「ちんちん」そのものは、実は2015年くらいから描いていました。そのときはまだツイッターの表アカウントで発表することはせず、裏アカウントとpixivだけで発表していました。

なぜ「ちんちん」を描こうと思ったかというと、性別をはっきり表現できると思ったからです。たとえば作者不明の人間や動物のイラストがあるとすると、それは男性が描いたものかもしれないし、女性が描いたものかもしれません。それは事前情報なしに判断できないものです。「ちんちん」だって、もしかしたら女性が描いたものかもしれません。しかし「ちんちん」は、どんな性別の人が描いたかによって、その意味づけがはっきりと異なります。僕は自分の絵に対して「しょせん男性が描いたものだ」という印象を抱かれるのが、とても嫌でした。表面的にはあやふやなのに、無意識の嗅覚によって自分の本質を見抜かれるのが、とにかく嫌だったのです。だから、どんなに記号的であっても、はっきりと性別を表現できる「ちんちん」は、唯一描いていて安心できるモチーフでした。毎日継続的に描くには、ある程度シンプルで、苦労せずに描けるものでなければいけません。「ちんちん」しかないと思いました。

最初はアナログで描いていましたが、あるときからアイビスペイントというデジタルツールを使って描くようになりました。エロマンガも、当初はアナログでペン入れするつもりでしたが「ちんちん」を描いたことでデジタルツールに対する自信がつき、ペン入れから仕上げまで、デジタルで描くことにしました。

そして2020年末になんとかエロマンガを完成させ、pixivにアップすることができました。完成まで4年も掛かったのは、マンガを描くことやデジタル作画自体に慣れていなかったのもありますが、酒の飲み過ぎが一番の原因だと思います。とにかく毎日酒を飲んでいたので、ほぼ平日は作業ができなかったのです。

エロマンガも「ちんちん」と同様、性別、性的指向をはっきりと表すことができるものであるため、安心感があります。

先日、川上未映子による村上春樹へのインタビュー本『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読みました。春樹は、自分の描いているモチーフの意味や定義に、いちいち拘らないそうです。たとえば「イデア」という言葉を使うのに「イデア」という哲学用語の定義をいちいち調べたりしないのだそうです。これにはビックリしました。「イデア」という単語を、まったくトンチンカンな意味で小説に書いてしまえば、正確な意味を知っている読者から笑われるかもしれません。春樹は怖くないのでしょうか。僕なら怖いです。基本的に、作品をどう解釈するかは読者に委ねられています。作者は手を放すべきです。というより、手を放さざるをえません。しかし僕は、性に関することだけは手を放したくない。そう思ってエロマンガや「ちんちん」を描いていました。だから余計に春樹のスタンスにビックリしました。

また何かを描く機会があれば、描きながら、そうした不安について考えてみたいと思います。

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