母から鍵を盗め

大学生になって以来、両親と離れて暮らしている。
別にさみしいとは思わない。
が、何かいいことを思いついたときや、自分の考えが正しいと思うとき、いつも母に聴いてもらうことを無意識に空想してしまう。

母には何でも話せる気がする。

母は男性の性的欲望に対して肯定的な考えを持っている。
母には好きなアダルトビデオの話さえ、うっかりしてしまいそうだ。

母に話せない悩みもある。
いや、母に話せない悩みがあるのではなく、母に話せないこと自体が悩みの核心なのかもしれない。

ロバート・ブライ『アイアン・ジョンの魂(こころ)』は、童話「鉄のハンス」を、男性性を肯定する物語として読み解く本だ。

この本の存在を知ったキッカケは、田中俊之『男性学の新展開』だった。
この本には男性学の変遷を扱っている章があり、そのなかで紹介されている。

内容は、ちょっとスピリチュアルである。
フェミニズムを内面化した現代の男性たちは、優しいが、男性性が傷ついている……それを回復しなければならない。
うろ覚えだけど、そういう感じの本だったと記憶している。
男性性をスピリチュアルに捉えている。
男性性を、傷ついたり、回復したりする心の一部分として捉えているのだ。

この本では「鉄のハンス」のストーリーを辿りながら、男性性の肯定を説いていくわけだが、そのなかで自分が特に印象に残っているのは、物語前半の、母から鍵を盗む場面だ。

主人公は毛むくじゃらの巨人と仲良くなる。
(この毛むくじゃらの巨人は、男性性の象徴である)
毛むくじゃらの巨人は檻に閉じ込められている。
檻の鍵は母が寝床に隠している。
それを母が寝ている隙に盗むのだ。

ここでブライは次のように説く。
母と話し合って、鍵を渡してもらえばいいと考える優しい男性がいるかもしれない。
しかし、それではダメなのだ。
内緒で盗むことに意義があるのだ、と。

母からの自立とは、母に対し秘密を抱くことなのだ。

このエピソードおよびブライの解釈を読んだとき、母に対し秘密を持てずにいた僕は、ずばり急所を突かれたような思いがした。

とりあえず自分の胸に刺さったということだけ、今日は記しておく。

男性性を(スピリチュアルな)心の本質として捉えることにはメリット/デメリットがあると思う。
またの機会に考察したい。

今日はここまで。

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