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ジョブ型、メンバーシップ型論のミスリード

ジョブ型、メンバーシップ型


この二つは異なる概念が並んでいる。メンバーシップはその名の通り企業のメンバーになること。これは日本に特殊なものではない。

メンバーの形がそれぞれの国の特徴があるということ。

一方でジョブとは、仕事のことであり、日本にもあるもの。

ところが、現在の日本では、メンバーシップには職務無限定という働かせ方が、そして、ジョブには職務が固定された働き方への評価の仕方や労働条件というものが加わって議論されるようになっている。

つまり、本来の意味に含まれないものまで対象になっているのだ。

欧米と日本でジョブの形が違う


そのため、メンバーシップもジョブも、日本で勝手に違う概念とするガラパゴスなものとなっている。

ジョブについてもう少し考えよう。

日本でいうジョブには、①職務が限定された仕事、という意味と②役割が限定された仕事、という二つの意味で使われている。そしてこの二つはまったく別の文脈のなかにある。そのことは後でまた振りかえることにしよう。

問題は、①職務が限定された仕事、②役割が限定された仕事、というどちらの意味もジョブにはない、ということだ。

本当の意味はこうだ。

ジョブとは「単一の作業=タスク」の束を意味する。日本でジョブ型と呼んでいる欧米の仕事も、単一のタスクでできているわけではない。

つまり、タスクの内容によってジョブは変化するのである。

誤解の素はここにこそある。

なぜ、ジョブが日本で①職務が限定された仕事、としてとらえられてしまったのか。その理由は、1970年代までの欧米のジョブに組織力とか連携といったタスクが課せられていなかったことにある。それ以外にもあるが、それも後ろにまわそう。

連携のタスクが入った日本のジョブ


一方で日本のジョブには、多能工や潜在能力という言葉で組織間、組織内連携の「タスク」が入っていた。このタスクこそが職務を無限定にしている要因である。

そして、組織間、組織内連携の「タスク」が製造業の分野において、品質を高め、それによってコストを削減するという競争力を産み出したのだ。この競争力が1980年代に欧米市場を圧倒することになる。

しかしながら、1970年代までの欧米のジョブは、組織力とか連携といったタスクが課せられていなかった。それも一つの競争力だったのだが、その話は別の回としよう。

この連携という「タスク」のあるなしが1970年代までの、主としてブルーカラーのジョブの日本と欧米の違いである。

1980年代以降、日本企業との対抗から、欧米ブルーカラーのジョブにも連携という「タスク」が追加された。

1990年代に進んだ分離

その後、グローバル化の中でブルーカラーのジョブは著しく標準化された。日本も変わらない。

工場が派遣や請負だらけになったことがその証拠である。原因は、日本企業の現地生産の規模が急拡大したことである。連携の「タスク」を加えたジョブを担う労働者の数が足りなくなった。だから、連携の「タスク」をジョブからはずすことで、世界各国の労働者が対応できるようにしたのである。その結果、重要性を増したのは、日本国内の生産管理部門ということになったのである。

連携の「タスク」をジョブからはずしてしまえば、派遣や請負のように短期的に入れ替わる労働者も担うことが可能になる。これが日本の1990年代に起きたことだ。

一方でホワイトカラーでは、日米欧問わず、連携のタスクが最重要視されるようになった。

特にグローバル企業は2010年代からその動きが加速している。

ジョブに連携のタスクが課せられるようになればなるほど、日米欧問わず、企業はそのタスクを課す人材を囲い込むようになる。

いわばメンバーとして扱うようになる。

これは競争力から考えれば当然の結果である。

つまり、連携のタスクを課されたジョブに従事する労働者は、日本だけでなくメンバーシップに向かう。

ただし、その形は同じではない。

メンバーシップとジョブの本質


日本における議論は、ジョブがタスクの束でできており、そのタスクには範囲が定まらない「連携」がある、ということを見落としていることによって迷走しているのである。

この「連携」のタスクをタレントという。

ジョブが単一のタスクの束であり、一時期までの日欧米の違いは、連携「タスク」の有る無しだとした。

現在のホワイトカラーには違いがない。どちらも連携「タスク」が課せられている。そして、繰り返すが、ジョブは構成するタスクの内容によって変化するものである。不変ではない。

ガラパゴスな日本型ジョブ型

その上で日本型ジョブ型雇用とは何のことを言うのか?

なんのことはない。

賃金の支払い方の違いである。

日本型メンバーシップは年功的賃金体系のなかにある。一方で、日本型ジョブ型は単年度契約、年俸型のなかにある。より具体的にいえば、日本型ジョブ型は役割給とよく似ている。役割給は、プロジェクトの与えられた役割に応じて報酬が決定するものである。メンバーシップにあてはめて考えれば、課長や部長の役割があるプロジェクトで終了すればスタッフの報酬になるというものである。

ここでは、ジョブが職務限定で固定されたもの、とかジョブがタスクの束でできているというものとはまったく別個のものである。

次は年功賃金について考えよう。

年功賃金が日本だけという思い込みも間違いである。

欧米も多かれ少なかれ年功的である。年齢は結婚、育児、介護といったライフスタイルと、功は企業への貢献度を意味する。

その意味では昇進、昇格も年功賃金の一形態である。

一方で、欧米の、ジョブには連携というタスクが加わったものであり、職務記述書においても、「他部署との連絡調整」「そのほか与えられたこと(other duties as assigned)」というような職務無限定となるようなタスクが書き加えられているのである。

欧米で職務無限定となるタスクを与えられるのはホワイトカラーの上位層だという言説も日本では根強い。

しかしながら、上位層ではなく多くのホワイトカラー労働者や工場労働者にも連携の「タスク」が課せられている。下記に挙げたサンプルには高卒レベルを要件とした職務記述書に連携や職務無限定となりうるタスクが書き込まれているのである。

職務記述書のサンプル画像
Dutiesの10番目に「連携((communicating)」11番目に「そのほか与えられたこと (other duties as assigned)」というように無限定のタスクをみることができる。

 欧米企業は、日本とは違うがリテンション、つまり長期雇用を志向する傾向が高まっている。連携のタスクは短期間では育成できないからだ。日本ではそうした現実を知ってか知らずか無視している。職務記述書のサンプルはネット検索で簡単に見つかるし、「そのほか与えられたこと」とは何をするのか、という問いと回答もあちこちに見つけられる。

 しかも、職務記述書は採用の時しか使わない。もっぱら日常は目標管理制度のなかでジョブが評価されている。ここでのジョブは限定されたものでは当然ながらない。

 あらためて日本型ジョブ型雇用を振り返ろう。これは1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』挑戦すべき方向とその具体策」のなかで描かれる「高度専門能力活用型グループ」の焼き直しにすぎない。

 ここで重要なことは、よく近年いわれている「日本的経営は終わった」とか、「終身雇用は崩壊した」というようなものが、「本当ではない」ということだ。伝統的大企業では相変わらず、「長期蓄積能力活用型グループ」つまり、従来型正社員が重要視されている。それはほかでもない、連携の「タスク」が企業競争力にとって生命線だからだ。

 だが、中小企業、非正規、請負といった労働者は大企業の状況から切り離された。連携のタスクがないジョブか、連携のあるタスクのジョブであるにもかかわらず最低賃金とかわらない労働条件で働かせるブラック企業が蔓延した。このことをもって日本的経営が終わったというならそうかもしれない。しかし、大企業は違う。そして日本だけでなく、グローバル企業の雇用管理は日本の大企業とよく似てきたのだ。そこに職務限定のタスクはない。

ジョブは固定されてなどいない

あらためて言おう。「ジョブは固定されているもの」という概念がまず間違っている。

だが企業はその意味で使っていない。「高度専門能力活用型グループ」、つまりは、長期雇用正社員の周縁に置く労働者の仕事という意味で使っているのである。

したがって、現在の日本の議論は二重にずれているのである。

一つには、欧米のジョブが職務が限定されたものではなく、タスクの構成によって職務無限定になりえるのに、そのことを無視していること。

もう一つには、本来はジョブとは関係ない役割給の名称としてジョブ型雇用と呼んでいること。

この二つである。

ただし、企業はわかっていて、ずらしているのだろう。

そこがポイントである。

ジョブの固定化に必要な条件

ジョブを固定するためには特定の条件が必要になる。

それは、固定されたジョブを必要とする人事戦略がある場合。

そしてそれを良しとして賃金交渉に利用する労働組合が存在する場合。

この二つが存在する限りにおいてである。そんなものは日本にはないし、そうすると企業競争力を損ねるからこそ、日本企業がアメリカに行くと労組を作らせないのだ。

メディアはこれらのことをきちんと理解できるように報道してほしい。

多様性から収斂へ

日米欧において、ジョブがタスクの束であり、そこには連携という無限定性を含む。ホワイトカラーの上層から、下層、工場労働者に至るまで同じである。

ただし、そのグラデーションは異なる。上層ほど範囲が限定されないタスクが増えていく。このことを前述のようにタレントという。

この傾向はグローバル企業を中心に似たようなかたちへ収斂しつつある。

その収斂は、職務無限定のタスクが多いジョブを担う労働者の数を絞り込むという形で起きている。日本では大企業の正社員ということになる。

一方で、そこから切り離された労働者は、定型的なタスクが多いジョブを担うことになる。フリーランス、ギグワーカー、個人請負などである。日本では非正規とされている。

この傾向は日本だけでなく世界で拡大している。これが収斂とする部分である。

それ以外にも、日本の正社員神話がもたらす誤解もある。メディアでも学術でも、正社員というと全ての企業に当てはまると感じている。しかしながら、大企業と中小零細では全く異なる。中小零細では正社員といっても毎年の賃上げやボーナスがなく、解雇規制も効いていない。

新規学卒一括採用も同様で、銘柄大学とそれ以外では全く違う。銘柄大学に在学していなければインターンシップのエントリーシートの段階で落とされてしまう。つまり、日本の多くの就活生はもともと新規学卒一括採用の段階の中にいたのである。

それなのに正社員という括りで同じ日本的雇用慣行の中にあるように扱っている。つまり、欧米各国で職務無限定のタスクが多い中核的な役割を担う労働者の数が絞り込まれているように、日本でもいわゆる正社員はメジャーではないのでおる。

だからといって全てが同じわけでも当然にない。その話は回をあらためることにする。

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