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JAWS FESTA 2023 KYUSHU 振り返り(第一話) - 京成線本線での憂鬱 -

プロローグ:憂鬱な京成本線と楽しみな福岡

明日はずっと楽しみにしていたビッグイベント
JAWS FESTA 2023 KYUSHU
これから福岡で待ち受けているであろう未知の体験に胸を弾ませている。

しかし、とある理由から気持ちが重い。
成田空港までの1時間半がいつもより長く感じる。
この1年何度も利用したことがあるこの路線。
時間を潰すために持ってきた本は片手にあるものの内容は入ってこず、上の空で車窓の景色を見ている。

僕は京成本線が嫌いだ。

そんな期待と不安の入り混じる僕など意に介さず、京成本線は成田空港との距離を縮め、時計の針は決戦に向けて着実に進む。

JAWS FESTA 2023 KYUSHU の運営とオープニングセッション

JAWS FESTA 2023 KYUSHUはAWSのユーザーグループであるJAWS-UG(AWS Users Group – Japan)の運営メンバーを主体に東京以外の地方都市で開催されるイベントです。コロナ禍に入り、数年間開催ができていない中、2023年、満を辞して開催されることになりました。

僕は今回のJAWS FESTAの実行委員長である阿部くん(あべたく)に誘われ、このイベントの運営に関わらせてもうらうことになりました。日本全国で開催されるJAWS-UGのオフラインイベントでよく登壇/ライトニングトーク(LT)を頻繁にさせてもらっており、「オフラインイベントでJAWS FESTA 2023 KYUSHUの宣伝をする」という役割で今回運営に誘われました。ただ、誘われた直後あたりから僕が地方イベントの参加を控えるようになったため、最終的にはJAWS-UG 福岡の運営をされている木村さんと一緒にオープニングセッションの企画/運営を担当することになりました。

木村さんと相談した結果、オープニングセッションのテーマは「地方コミュニティの存在意義とは?」となりました。あべたくと木村さんと一番最初にテーマ方針を簡単に議論させてもらった際「地方でコミュニティイベントを開催すること」に対する2人の強い思いを感じた記憶が残っています。僕自身、地方のJAWS-UGを回る中で、コロナ後のコミュニティイベントにおけるオンラインとオフライン開催の違いについて、上手く言語化できておらず、それをセッションを通して言語化できればという思いがあり、最終的に今回のテーマに収束させていきました。
ここら辺のテーマ決めに関してはあべたく、木村さんのお二人もブログで振り返っているので、別視点として見てもらえればと思います。

あべたく振り返り

木村さん振り返り

テーマが決まった後はパネリストとモデレーターの勤めていただける方を考えました。モデレーターは今回のテーマを理解していて、色々と思いのある木村さんに務めていただくことに。パネリストにはJAWS-UG東北の運営であり、JAWS-UG全国代表やJAWS DAYS 2017の実行委員長を務められた立花 拓也さん、JAZUG(Japan Azure User Group)の福岡支部やFukuoka.NETの運営をされている松村 優大さん、Jagu'e'r(Japan Google Cloud User Group for Enterprise)の九州分科会を運営されている家壽田 雅史さんにお願いしました。

さあ、テーマと登壇者が決まりました。
残りは顔合わせをして細かいところを詰め、当日を迎えるだけ。
舞台は整い、勝利直前間近です。

黒子から演者へ

イベントの数日前、運営のSlackチャンネルで木村さんから連絡がありました。

体調を崩し、当日参加できない可能性もある。と…

混乱しました。
この連絡を受けた時、僕は仕事で構成図を描いているところでした。
AWSサービスのアイコンとアイコンを結ぶ直線は歪み出し、構成図は迷路に見えてきました。しかし、いつ誰が体調を崩してもおかしくないこのご時世、どうしようもありません。起こってしまったことは仕方ない。どうにかする方法を考え始めました。
ただ、頭が働かない…突然のイレギュラーで軽いパニック状態になっていたのだと思います。思考は同じようなことを行ったり来たり、運営のSlackで今後どうするかを議論するために文章を書こうとはするものの、テキストを書いては消してを繰り返す…

Slackに投稿する文章を書き始めておよそ10分。
運営Slackの通知音が聞こえました。あべたくからです。
運営ではSlackのフリープランを使っていたため、履歴が残っていないので正確ではないかもしれませんが、「モデレータを清家さん(様々なコミュニティで運営をされており、JAWS FESTAの運営の中で全体を見てくれていた)か、セッション担当の僕のどちらかがやるのはどうだろうか。」といった内容でした。そして、あべたくの意見を踏まえて、清家さんが意見を出してくれました。この2人のSlackの投稿を見て、

「自分一人で結論を出さなくてもいい」

そう思い、安心したのか、頭が仕事を始めました。
そして、話し合った結果、セッション担当であり木村さんと一緒にテーマを考えた僕がモデレーターを務めることとなりました。

モデレーターが決まりました。めでたしめでたし。
と言いたいところですが、別の問題が浮上しました。

「ワシ、モデレーターなんかしたことないねん…」

はい。これが冒頭、京成本線の中で鬱々としていた原因です。
10人、20人規模のイベントならまだしも、4年ぶりの開催で400人近くが申し込みをしているイベントでのモデレーター。元々、今回のイベントでは登壇/LTをする予定もないので、当日は事前の会場確認/準備とセッション中のタイムキーパーを務めるだけだと思って油断していたところでの大役。それも、モデレーターなんかやったことないので、過去なんとなくで見ていたパネルディスカッションの記憶を思い起こしたり、Google先生に教えてもらわないといけません。

「こんなことなら、自分がその舞台に立つつもりで今までパネルディスカッションを見ておけば良かった…」

これを何度思ったことか。

成田空港到着

そんなこんなで、胃がギュルギュルという音を立ててもおかしくないくらい不安に駆られた僕を乗せた京成本線は成田空港に着きました。
今回福岡までは格安航空のPeachで行くことにしていたのですが、駅についてから搭乗口までが遠い…そして搭乗口から飛行機へはバス移動…
普段の僕だったら、1ミリどころか1ミクロも気にしないのですが心に大きな爆弾を抱えていた僕には搭乗口までの移動も永遠に感じられるほどでした。

「次に成田からPeach乗る時は元気な時にしよう」

そう決意した僕を乗せ飛行機は福岡へ飛び立ちました。


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