エヴァとその謎を理解するための、たった一つの“あらすじ”
『シン・エヴァ』。その前に知っておきたい、一つのこと。
2021年3月8日公開の完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を目前に、エヴァに関するさまざまなタイアップキャンペーンが展開されているが、それと同様にYouTubeを中心に劇中の謎に関する“考察”が盛り上がりを見せている。
振り返れば、95年にTV放映された『新世紀エヴァンゲリオン』の時点で、“考察”はエヴァを社会現象化させた大きな要因だった。デヴィッド・リンチ監督によるカルト的TVドラマ『ツイン・ピークス』が引き合いに出されるほどの莫大な伏線や謎、そしてキリスト教をモチーフとした独自のコードは、1996〜97年にかけて「エヴァ本」「謎本」と呼ばれる書籍ジャンルを生み、書店の一角を賑わせた。当時の視聴者たちは、本編で明かされなかった謎の数々に対する答えを、それらの有象無象の解説本に求めたのだ。
そして2021年。「歴史は繰り返す」といった感じだろうか。2007年から新たに始まった「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズで生まれた新たな謎は、今まさにその考察の最盛期を迎えている(むしろ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開後さらに盛り上がる可能性は十分に考えられる)。
さて、そんな『シン・エヴァンゲリオン劇場版』による“エヴァ完結”前に、そもそも「エヴァは何を描いた作品だったのか」を整理しておきたい。それがこの文章の目的である。
なお、ここでいうエヴァとは、基本的に『新世紀エヴァンゲリオン』、通称「旧世紀版」のことである。“原典”を理解することが、より深く『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を楽しむ一助となればと思い、ここに記す。
エヴァの謎はすでに解決している
いきなり出鼻を挫くようではあるが、“エヴァ最大の謎”については既に答えが出てしまっている。
熱心なファンや、YouTubeの解説動画をご覧になった方ならばご存じだろう。2003年に発売されたPS2用ゲーム『新世紀エヴァンゲリオン2』や、2013年に完結した漫画版によって、エヴァの大筋は次のように結論づけられているのだ。
太古の昔、第一始祖民族と呼ばれるM78星雲の宇宙人が、“月”に入れた生命の源を無数に宇宙に放流。本来は一つの惑星に一つの“月”が降り立つはずが、地球には誤って二つの“月”が到着してしまう。それらに乗っていた生命の源は、第一使徒アダムと、第二使徒リリス。両者が産んだ生命の可能性である使徒と人類が、地球という星を巡り、自らの存亡をかけて争う。
これがエヴァの基本的なあらすじであり、謎の答えである。
しかし、これにて一件落着……とはならないのがエヴァンゲリオンである。
なぜ、エヴァに乗ることは、シンジにとって苦痛なのか
もちろん、物語の表面を読み解くだけならば先のプロットで十分だろう。
しかし、作品を読み解くというのは、そういうことではない。…ましてや『エヴァンゲリオン』ならば、なおさらだ。
漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』第一巻の巻末には、庵野秀明によるエヴァ制作所信表明「我々は何を作ろうとしているのか?」が掲載され、そこでは次のような内容が綴られている。
4年間逃げ出したまま、ただ死んでいないだけだった自分が、ただひとつ『逃げちゃダメだ』の思いから再び始めた作品です。
自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい、と感じ、考えた作品です。
それが、無謀で傲慢で困難な行為だとは知っています。
だが、目指したのです。
結果は分かりません。
まだ、自分の中でこの物語は収束していないからです。
シンジ、ミサト、レイがどうなるのか、どこへいくのか、わかりません。
スタッフの思いがどこへいくのか、まだわからないからです。
無責任だとは、感じます。
だがしかし、我々と作品世界のシンクロを目指した以上、当たり前のことなのです。
『それすらも模造である』というリスクを背負ってでも、今はこの方法論で作るしかないのです。
私たちの『オリジナル』は、その場所にしかないのですから……
1995 7/17 雨とくもりの日に スタジオにて
ここで記されている通り、『新世紀エヴァンゲリオン』とは、庵野秀明が初監督TV長編『ふしぎの海のナディア』完成後に4年間の空白期間(いわく、壊れていた、逃げ出していた)を経て、再び立ち上がろうと作った作品だ。
そして無数の特撮やアニメなどの映像作品からコピーした入れ物に、「自らの人生=魂」を“唯一のオリジナル要素”として注ぎ込んで作られた作品なのである。
「ただのコピーとは違うわ。人の意思がこめられているもの。」
(赤木リツコ/新世紀エヴァンゲリオン第弐拾話「心のかたち 人のかたち」)
だからこそ、あらゆるパロディーやオマージュで組み立てられた『新世紀エヴァンゲリオン』は、それにも関わらずとてつもなくオリジナリティーに満ちた作品となり、数々の視聴者とシンクロし、社会現象となったのだ。
そうした『新世紀エヴァンゲリオン』という作品の成り立ちを踏まえれば、エヴァという作品には、さらに深い階層での、庵野秀明のプライベートフィルムとしての解釈と物語が隠されていることにすぐに気づくはずだ。
「クリエイター庵野秀明の苦悩」。一言で言えばそうなのだが、これまで世の中に存在していた考察や解釈は、ほぼそこで止まってしまっていたように思う。
もし『エヴァ』が庵野秀明版の『人間失格』なのだとしたら、庵野秀明は何に苦悩していたのか?
父と母、母と恋人、エロスとタナトス、夢(アニメ)と現実など、いくつも考えられるだろう。そして、ある部分においてはそのいずれもが正解であるはずだ。しかし、作品を貫くテーマとしては、そのどれもが弱い。あまりに普遍的すぎて、『エヴァ』という強烈なプライベートフィルムに込められた“人生”や”気分”、”魂”としては、割りに合わない。
(なお『エヴァ』は旧世紀版から新劇場版に至るまで、脚本や設定、演出に他スタッフの意見がかなり取り入れられており、場合によっては演出優先で制作中に設定を変更することもある。『エヴァ』が庵野秀明ひとりの作品ではないこと、そして優れた作品には意識的なテーマと無意識的なテーマが豊かなグラデーションで共存していることは補足しておきたい)
エヴァとは“可能性”とその死体の話である
ここからが本題だ。
「どうして庵野秀明は、地球で二つの生命が争う話を描いたのか?」
“エヴァを読み解くためのルール”は非常にシンプルで、次の通りである。
1.地球=庵野秀明
2.アダム(黒き月)=特撮
3.リリス(白き月)=アニメ
(4. エヴァに乗る=『エヴァンゲリオン』という作品を作る)
お分かりいただけるだろうか?
つまり、エヴァとは、
「特撮とアニメに大きな衝撃(インパクト)を受けた庵野秀明が、後にクリエイターとして両者に引き裂かれる」
「本当は『特撮を作りたい』と思いながらも、アニメ作家としての才能を爆発させる」
そんな物語である。
具体的にキャラクターに当てはめてみれば、分かりやすいだろう。
■リリス(アニメ)側の人物たち
・登場人物=地球とリリスの子・第18使徒リリン=庵野秀明とアニメの間に生まれた子どもたち=不完全な群体生物
→庵野秀明はキャラクターについて「全員が自分の分身」と語っている
→そして“不完全”な彼らは、”完全”になるためにエヴァを作ろうとする
・エヴァンゲリオンに乗る碇シンジ=アニメクリエイターとしての庵野秀明
→エヴァには乗りたくないが、乗れば誰よりもその才能を発揮する
・父・碇ゲンドウ=クリエイターとしての自分(碇シンジ)にアニメを作らせる、社会人としての庵野秀明
→「妻・碇ユイに会うためにシンジをエヴァに乗せる=愛した女性に認められるためにエヴァを作ろうとする」と解釈ができる
※碇ユイは『エヴァ』において唯一例外的なキャラクターなので、その解釈についてはまた別の原稿にまとめたい。
・エヴァ初号機=リリスのコピー=アニメーション作品としての『エヴァンゲリオン』
→初号機を“作品としての『エヴァ』の象徴”と読むと、話が分かりやすくなる
■アダム(特撮)側の人物たち
・使徒=アダムの子=完全な単体生物=(庵野秀明が作っていたかもしれない、あるいは過去の)特撮作品
・初号機以外のエヴァ=アダムのコピー=特撮のコピー作品としてのエヴァンゲリオン
→『エヴァンゲリオン』という作品における、特撮要素の比重の高さを表していると考えられる
・渚カヲル=アダムの魂を持ったヒト=特撮クリエイターとしての庵野秀明
→「理想の碇シンジ」が渚カヲルというキャラクターのコンセプトであることは資料によって明らかにされている有名な話
さあ、以上が整理できたら、いよいよ結論だ。
物語の事実上のクライマックスである第弐拾四話「最後のシ者」において、碇シンジ(アニメ作家・庵野秀明)は、アダムの魂を持つ渚カヲル(=特撮、特撮作家・庵野秀明)に「好き」「君に会うために生まれてきた」と言われる。
自己実現。欠けた心の補完。…それは何より幸せな瞬間だったはずだ。
しかし、碇ゲンドウの命令によって碇シンジ(アニメ作家としての庵野秀明)はエヴァに乗り(エヴァという作品を作り)、渚カヲル(特撮、特撮作家としての自分)を殺してしまう。
…つまり、1995〜96年の庵野秀明は、自らのもう一つの可能性を殺すことで、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品を作ることができたというドキュメンタリーでもあるのだ。
「滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ。」
(渚カヲル/新世紀エヴァンゲリオン第弐拾四話「最後のシ者」)
そして、この痛みと悲しみこそが、1997年の劇場版『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に。』の通奏低音なのである。
そして、エヴァによってすべての使徒を倒した後、人類はエヴァをめぐって対立する。あるものたちはエヴァを破壊して不完全なまま生きることを望み、あるものたちはエヴァを利用して完全な単体生物となることを望み、また別のものはエヴァの中で愛する女性と再会しようとし、その女性はエヴァを人類の生きた証として無限の宇宙に放とうとする。
この難解とされる第25話「Air」以降の展開も、先述の公式に則れば素直に理解できるはずだ。
例えば、エヴァシリーズによって完全な生命を作ろうとするゼーレは、『エヴァ』をガンダムのような人気シリーズにして無限に生き延びさせようとするスポンサーや製作委員会的な立場と捉えることだってできるだろう。
綾波レイの言う「絆」とは? ロンギヌスの槍とは?
ぜひこの公式を使って、数々の謎解きを楽しんでみてほしい。
そしてシンジとカヲルが協力することで、14年前の爆心地の封印を解くという『エヴァQ』のプロットを見る限り、この公式は現時点では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズにもほぼ適用されているように思える。
この記事が『シン・エヴァンゲリオン劇場版』をより楽しむためにお役に立てれば幸いだ。
↑2017年に書いた記事です。ぜひ合わせてご覧ください。
画像はすべて©︎カラー