ホルンを吹いてます。②

久々の土日休み。
転職サイトで見た、土日祝休み、年休125日って何だったの?状態の僕にはありがたい貴重な土曜日休み。
とか言いつつこの週末に特にやりたいこともないのだが。
ということで高校編書きます。


高1。
前年、支部大会ダメ金という快挙を成し遂げた、当時県内一の高校に進学した僕。
中3の頃、一度この高校の顧問に合奏を見てもらったことがあり、正直ツバをつけられてはいた。だって僕うまかったもん、そりゃそうよ。
中学時代の素行不良もあり、当時あまり褒められることに慣れていなかった自分は、甘い言葉にひょいひょいとその顧問の張った罠にハマり、その高校への進学を決めたのだが。
学生時代ってそんなもんよね。自分を認められることが嬉しい年頃。自分の個性や自信が何より欲しい年頃。

入部した僕は出番の少ない春のコンサートをなんとなくフワフワしながら終え、5月中旬だったかに1年生だけのソロコンを迎えた。

僕はそこで一位を取った。
吹いたのはカーペンターズのyesterday once more。賞品にたくさんの飴ちゃんをもらったのを覚えている。それは一緒に喜んでくれたパートの皆さんに配った。ただただ単純に嬉しかった。

うちの高校は部員数が多く、コンクールは大編成と中編成に分かれてメンバー組みがされていた。
先輩方は先輩方だけのソロコンがあって、それを先生が聴いてメンバーを決める方式。

そして迎えたメンバー発表。
ホルンは9人居たが、大編成が4人、中編成が5人という、???なメンバー分けだった。
そして自分は2年の先輩と一緒に1st2人という編成。

この頃になるとさすがに馬鹿ではなかったので、どちらか1人が大編成に行くことになるんだと思っていた。
正直、大編成に行きたい。狙いたいと思った。

ただ問題があった。
僕以外の同年のホルンは2人とも初心者。そんな2人にひとつずつパートが振り分けられているもんだから、パート練はぐちゃぐちゃ。
顧問に対して普通にイラついた。これで練習になるのかと。
早い段階で顧問に「自分を3rdに変えてください」と言いに行った。了解した顧問の顔は若干引きつっていたと思うが、このイライラする状態でパート練なんてしていられないと思う気持ちの方が強かった。

この時は、別に大編成じゃなくても好きなように吹けるなら全然いいやって思っていた。大も中も、魅力的で楽しい選曲だったし。
そして自分自身も、部員の殆どが真面目に練習するという環境がなぜか心地良くて、次第に邪念も消えて、毎日始発の電車に乗ってでも朝練がしたいと思えるような刺激的な日々だったように思う。

うちの地区には、地区大会前にお披露目的な地元の地区バンドを集めたコンサートがあった。

そのコンサートの一週間前、パート練中の僕は先輩に呼ばれ、状況が全く分からないまま大編成の合奏に急遽参加することになった。
もちろん楽譜もその時に初めてもらって初めて見た。4thの楽譜だった。

何度も耳にはしていた大編成の課題曲と自由曲。自由曲は難曲では無いけど、ホルンがモノを言う曲。
ただ課題曲がものすごく低かった。今度はシングルで4th、それも低音だらけ。

お金の無い公立校だったので、当てがわれた楽器がとにかくショボい。確か、ROXYとかいう台湾だかのメーカーから出ているハンスホイヤーのOEMのB♭シングル。
上のB♭が全然当たらないとか、その他のピッチや精密も酷かったが、替え指を駆使して乗り切っていたのが印象深い。
ただ、音だけは良かった。この楽器を吹いていた1年の時は、音がキレイだと何度も褒めてもらった。

そんな楽器で課題曲を吹き、そして自由曲。
ホルンが非常に非常にカッコいい曲。
バレそうなので曲名は伏せるが、全国でも演奏されたし、ブームも呼んだし、とにかくたくさんの学校で演奏された曲。

音を出しての練習はしてはいないけど、頭の中で音を追って、吹いてみたいなぁと何度も思った憧れの曲。

ホルンがユニゾンのメロディーのところは先輩方の音圧が凄かった。
それに隠れるようにはじめは遠慮がちに吹いていたが、次第に思い切り吹いたのを覚えている。
快感と爽快感で、吹きながら鳥肌も立っていたと思う。

でもそんな曲の最中、同じ4thの先輩がパーカッションパートの方へ移動した。
頭は???状態。

確かにその先輩は中学時代はパーカスだったことは聞いていた。前年のコンクールでもパーカスだったことも。

確かに大編成のパーカスは少なかった。元々4人だけど、自由曲はそのうちの1人がピアノに回る。

これまで中盤からはホルン4th無しでやってきたのか?こっからはまともに吹かないとやばいんじゃないか?
とか、頭をぐるぐるさせながら必死に編成の一員として吹くことにただ専念した。ただこれしか覚えていないけど。

合奏が終わり、いや、補充遅すぎない?とか何で演奏会の一週間前なの?とか後から後から文句が沸々と沸いてきたけど、晴れて大編成のレギュラーとなった。

嬉しさの反面、これから中編成のホルンがどうなるかとか心配していたけど、あまり干渉するのは良くないかなぁとは思ってはいたのであまり触れないでいた。
3rdに移りたいとか余計なこと言ったなぁとか、僕に3rdを渡した子に悪いことしたなぁとか。顧問言うのおせーし、とか。

でも、なぜか自分が悪者になった気でいた。
それをごまかすように必死に練習した。


この年はイケイケムード(死語?)だった。顧問も部員も。
当時の音源を聴いても確かに上手いプレーヤーが揃っていたし、合奏もまとまっていたと思う。
前年の功績の影響もあったのだろう。
確かに引けを取らない演奏だったと思う。

でも、この年は県大会で敗退した。
後から分かることだが、審査員の操作があったようだ。
今、当時のコンクールの音源を聴いても普通に支部大会レベル。客観的に聴いても細かいところはまだ甘く、でも非常に魅力の詰まった音楽だった。

その審査員操作を行った顧問のいる学校は支部大会で銅賞だった。

この件を当時3年生だった先輩が進学した先でその学校にいた生徒から聞いて謝られたと。
その話を聞いたのは2年前。
先輩の卒業から20年は経っていたのに、先輩は泣いていた。

大人は子供に対して、トラウマを簡単に植え付けることができるのだな。


当時はただただ悔しかった。

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